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札幌交響楽団 第611回定期演奏会|平岡拓也

札幌交響楽団 第611回定期演奏会

2018年8月25日 札幌コンサートホールKitara 大ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
写真提供:札幌交響楽団

<演奏>
ヴィオラ:今井信子
管弦楽:札幌交響楽団
コンサートマスター:田島高宏
指揮:尾高忠明

<曲目>
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲
エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 Op. 85 (L. ターティスによるヴィオラ版)
~ソリスト・アンコール~
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV 1007より サラバンド
〜〜〜
ウォルトン:交響曲第1番 変ロ短調

 

札幌コンサートホールKitaraに赴くのは昨年10月末以来、2度目である。前回は札幌交響楽団第604回定期演奏会―そう、ラドミル・エリシュカ最後の来日公演、と銘打たれた公演であった。あの名演(まもなくCDになるようだ)ではエリシュカの至芸に咽びつつ、Kitaraという稀有な音楽環境下にあって充実をきわめる札響の見事さにも舌を巻いたものだ。今年2月のマックス・ポンマー指揮による東京公演なども聴きつつ、今回8月の定期公演を心待ちにしていた。札響の音楽監督を経て、今なおオーケストラと厚い関係を保つ尾高忠明が得意とする英国音楽3品である。

冒頭に置かれたヴォーン・ウィリアムズ『タリスの主題による幻想曲』では、繊細なテクスチュアの弦が高音域で魅せ、その下降音型は星が降るように美しい。この作品ではオーケストラが2群に分かれるが、Kitaraの舞台をたっぷりと使い、第2群はステージ奥下手寄りに一列に並べられた。これにより生まれる距離感を活かした対話も絶妙だ。尾高のしめやかな指揮は途中熱を帯び、弦楽も大いにうねるが、終結では冒頭の静けさへと波が収まってゆく。澄み渡る残響をしばし味わう。

エルガー『チェロ協奏曲』は言わずと知れた同ジャンルの傑作であるが、ヴィオラの名手ライオネル・ターティスによりヴィオラ版が作られ、老エルガーも絶賛したという。近年録音も増えつつあるこの編曲を、大ヴェテラン・今井信子が弾くとあらば俄然興味が湧くというものだ。
今井の演奏は滋味に溢れ―ヴェテランへの決まり文句のように言われるこの言葉だが―その老練な語り口に自然と浮かんでしまったので、仕方ない―この難曲を誤魔化さず、正面から丁寧に弾き進めてゆく。ヴィオラの調弦はチェロよりも1オクターヴ高いわけだが、この曲に関しては相当の箇所でヴィオラは原曲通りの音高で弾ける箇所も多い(つまり、チェロにとって弾きにくいであろうことは推察される)。勿論オクターヴを上げて弾く箇所もあり、例えば第4楽章のチェロ独奏とオケのユニゾン箇所はオクターヴユニゾンとなる。さて、こうして音高の問題がクリア出来ても、ヴィオラは音量的にどうしてもチェロには勝てない。そこは指揮者の尾高が光る点で、管弦楽のヴォリュームを通常のチェロとの演奏と比べても意図的に落としていた。鳴らす箇所は過不足なく鳴らし、消化不良の感もない。今井のアンコールはバッハの無伴奏チェロ組曲第1番で、こちらでもチェロとはまた違う渋い味わいをホールに響かせてくれた。

後半は尾高の十八番であり、首都圏のオーケストラでも何度も取り上げているウォルトン『交響曲第1番』。16型のオーケストラながら管楽器は基本的に2管-3管という編成で、そうとは信じがたい威勢の良い鳴りにウォルトンの充実した管弦楽法を感じる作品である。
尾高の指揮は構造と旋律の流麗な受け渡しを両立しつつ、両端楽章頂点では高潮しオーケストラから鋭い表現を引き出す。その技は改めて見事だ。オーケストラは艶消しの響きで聴かせつつ、この曲に相応しい直裁な音響を具現化する。最強奏でも決して無機的に鳴らず、最上のバランスを保つのも素晴らしい。今回、金曜・土曜の両日公演を聴くことができたが、座席位置の異なる両日ともに見事な音響バランスであった。

ヴォーン・ウィリアムズ、エルガーと来て大迫力のウォルトンで締めるプログラムであったが、どこかウィットに富む音楽性は英国作品ならではだろう。終演後のカーテンコールではオーケストラ・尾高が盛大に讃え合い、今回で勇退となる楽員への花束贈与も温かい雰囲気だ。緑豊かな中島公園を散策しつつ、心満たされて帰途に着いた。

(2018/9/15)