パノハ弦楽四重奏団|齋藤桂
2018年8月31日 ザ・フェニックスホール
Reviewed by 齋藤桂(Kei Saito)
写真提供:Kojima Concert Management Co.,Ltd.
<演奏>
パノハ弦楽四重奏団/
イルジー・パノハ(ヴァイオリン)、パヴェル・ゼイファルト(ヴァイオリン)
ミロスラフ・セフノウトカ(ヴィオラ)、ヤロスラフ・クールハン(チェロ)
<曲目>
ハイドン:弦楽四重奏曲 第39番 ハ長調「鳥」op.33-3
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲 第2番「内緒の手紙」
スメタナ:弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調「わが生涯より」
ごく一部の超人的な演奏家を除けば、「円熟」の裏面には「衰え」が貼りついている。私たちは時に、たとえば老指揮者を神格化して、その音楽に深みを見出したりする。だが、老いた映画監督が若者を主人公にした映画を撮ることはできても、老いた役者が若者を演じることはできない。楽器を演奏するということはそういうことだ。
派手さはないものの、1971年の結成時からほとんどメンバーの出入りなく手堅い演奏を残してきたこのパノハ弦楽四重奏団も例外ではない。この日の演奏は「衰え」の面を隠し切れないものであった。
特に苦しかったのはチェロで、音程、リズム、音色など、相当に乱れる。
第一ヴァイオリンのイルジー・パノハはまだ鮮やかな技巧で安定感を保っていたが、第二ヴァイオリン、ヴィオラも要所で甘さを露呈する。
1曲目のハイドンはその弱点を見せつけてしまう出来で、まともなアンサンブルが成立しているとは言えなかった。
技術的にはより難曲であろうヤナーチェクは、どうなることかと思われたが、こちらは意外に聴きどころの多い演奏であった。ひとつには、各楽器が比較的独立した動きを見せることで、パート間のバランスがハイドンほどは気にならないことがその理由だろう。もうひとつには楽想が断片的な部分が多く、短い瞬発力で聴かせることができていたからだろう。後のスメタナにも言えることだが、全体としては整合性に欠ける出来であったとしても、一部を取り出してみれば、やはり往年の輝きは残っているのである。
休憩をはさんだ後半は、スメタナである。ハイドンほどではないにしても、やはり随所にほころびのある演奏。かと思えば第三楽章では難所でもあたかも一つの楽器のように統率された歌を鳴らす。要は、合うところはものすごく合うが、合わないところはまったく合わない、という状態で、言ってみれば手癖で揃っているだけのようにも聞こえる。
ただし、というべきか、だから、というべきか、ここには新しいものは何もない。チェコの国民的作曲家が、若かりし頃の思い出や、難聴への不安など、自らの人生を物語らせたこの作品を、彼らはチェコの楽団として、もう数えきれないほど演奏してきたであろう。この一公演で、そう簡単に新しさを求める方が間違っているのだ。ほとんど熱的死を迎えた演奏にかろうじて変化をもたらすのは、技巧や創意ではなく、楽器を御しきれずに生じた緊張である。
このように書いたが、この演奏会を楽しめたかどうか、と言われれば、私は疑いなく楽しんだ。単純に、技術的に調子が良くない奏者が演奏する場合に、ハイドンよりもヤナーチェクのほうが聴きやすいというのも発見といえば発見であったし、技術やエゴで作品を何か別のものに見せかけようというようなことの決してない、誠実な態度であったと思う(もちろん、不実な演奏も魅力的なものではあるが)。
衰える技術、音楽の推進力の断片化、定番になった演目から剥がれ落ちていく新鮮さ……これらは人間であれば、いつかは避けることができなくなる。とすればこの演奏会の演奏は、非常に人間的なものだったとも言える。
たとえば、これまでの長いキャリアで彼らが何を考えて演奏してきたのか。特にスメタナのような自伝的作品を、彼らがいま、何を思って演奏するのか。自分を重ねることはあるのか、ないのか。音楽が終わった後に、彼らからそのような話を聴きたいと思った。
もちろんそれは、純化した音の世界で正確さや正統性、新奇さやオリジナリティを突き詰めていく芸術音楽の本流ではないだろう。そして本流から外れてしまった水たまりは、いずれ干上がるだろう。しかしそれまでは空を映すこともあろうし、時にはそこに命が宿ることすらあるのだ。
(2018/9/15)
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齋藤桂(Kei Saito)
京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター講師。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学・大阪大学)。日本学術振興会特別研究員PD(東京大学)、同二国間交流事業特定国派遣研究者(シベリウス音楽院)、大阪大学大学院文学研究科助教を経て2018年度より現職。2006年度柴田南雄音楽評論賞奨励賞受賞。著書に『〈裏〉日本音楽史:異形の近代』(春秋社、2015)、『1933年を聴く:戦前日本の音風景』(NTT出版、2017年)。