フェスタ サマーミューザ KAWASAKI 2018|平岡拓也
2018年8月5日、9日、12日 ミューザ川崎シンフォニーホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 青柳聡/写真提供:ミューザ川崎シンフォニーホール
♪ 8/5 東京都交響楽団
<演奏>
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:マルク・ミンコフスキ
<曲目>
チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」 Op. 71
♪ 8/9 日本フィルハーモニー交響楽団
<演奏>
ピアノ:反田恭平
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:千葉清加
指揮:藤岡幸夫
<曲目>
ラフマニノフ(ヴァレンベルク編):ピアノ協奏曲第5番(日本初演)
シベリウス:交響曲第1番 ホ短調 Op. 39
~アンコール~
エルガー: 夕べの歌 Op. 15, No. 1
♪ 8/12 東京交響楽団 フィナーレコンサート
<演奏>
テューバ:田村優弥
ヴォーカル:幸田浩子、中川晃教
管弦楽:東京交響楽団
コンサートマスター:水谷晃
指揮:秋山和慶
<曲目>
J. ウィリアムズ:オリンピック・ファンファーレ
テューバ協奏曲
バーンスタイン:「キャンディード」序曲
「キャンディード」より “Glitter and be Gay”、”Candide’s Lament”、”Oh, Happy We”
組曲「キャンディード」(C.ハーモン編)
ディヴェルティメント
~アンコール~
バーンスタイン:「ウエスト・サイド・ストーリー」より トゥナイト
毎年恒例となったフェスタサマーミューザKAWASAKI。首都圏のオーケストラが趣向を凝らしたプログラムを携え、短期間のうちに入れ替わり立ち替わり登場する。音楽祭の中からいくつかの公演を選んで振り返りたい。
まずは8/5の東京都交響楽団。例年はエリアフ・インバル、大野和士、小泉和裕と、何らかのポストを有する指揮者と登場してきたこの楽団(昨年は、首席客演指揮者としての最終シーズンを迎えていたヤクブ・フルシャとの共演だった)が、今年はマルク・ミンコフスキの指揮でチャイコフスキー「くるみ割り人形」を演奏する。ミンコフスキと都響は既に共演を重ねており、ポストこそ有していないが既にお馴染みの存在だ。なお彼は今シーズンよりオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任しており、このサマーミューザ公演の直前には同団を率いて金沢・東京でお披露目公演を指揮していた。
ミンコフスキのレパートリーとして、「くるみ割り人形」という作品は少々意外、というのが最初にこのプログラムを見た際の印象である。ただ、モダン・オケ客演時に幅広いプログラム(ワーグナーなども好んで取り上げている)を振っている彼。チャイコフスキーもその範疇なのかもしれない。または、チャイコフスキー存命時の19世紀ロシア宮廷の公用語がフランス語であったことも、彼がロシア作品に親しむ理由なのだろうか。
演奏はこの指揮者らしく機知に富んだものだ。音の絨毯に抱かれるような豪奢なチャイコフスキー像とは全く違う、鋭いリズムの粒立ちと淡々としたフレージング、全体的に凝縮されたテンポによる「くるみ割り人形」が展開された。緊迫感ある各声部の畳み掛けには、作曲家の筆の冴えを強く実感させられる。また少年合唱団の飾らない発声(リハーサル時にミンコフスキが意図的に『元気よく!』と指示を飛ばしていた)も新鮮で、曖昧模糊とさせず好ましい。ただ、舞曲の一部では些か彼が採った運びが性急に過ぎるように感じられたのも事実だ。有名な「花のワルツ」のリズムは前につんのめり、かなり異様な様相を呈していた。都響初共演で聴かせたビゼー作品や、彼が得意とするフランス・バロックのような趣を醸していたとも取れるが、違和感も拭えない(全曲版を一気呵成に聴かせる勢いは充分だったが)。都響は弦のしなやかさや木管の美しさは印象的だったが、一部金管などに「らしくなさ」も聴かれた。夏の音楽祭シーズンで一部奏者が抜けていたことも一因だろうか。
8/9の日本フィルの演奏会では、前半に置かれたラフマニノフ「ピアノ協奏曲第5番」が話題を呼んだ。ラフマニノフの番号つきピアノ協奏曲は当然第4番までしか遺されていない。では「第5番」とは?ラフマニノフの代表作として名高い「交響曲第2番」をアレクサンダー・ヴァレンベルグがピアノと管弦楽のための作品へと編曲した作品が、「第5番」の正体である。筆者はいくつか出ている音源を事前に耳にしていたが、独奏パートと管弦楽のバランス等細部までは把握しきれず、この編曲の真価を体験できるライヴ(しかも今回が日本初演となる)を心待ちにしていた。
実際に聴いた率直な印象を述べると、やはり「交響曲第2番」は交響曲の名作であり、甘美な旋律をピアノに割り振って協奏曲に仕立てたこの作品は据わりが悪いのではないか。管弦楽の編成を縮小し(何故か鐘は追加されているが)、第2楽章に交響曲の第2・3楽章を凝縮、その他多数のカットも加える―等々の措置をもってしても、である。管弦楽としての鳴りを想定として書かれた旋律がピアノに移行し、その旋律は管弦楽からは欠落してしまうわけだから、どうしても聴感上は「歯抜け」状態に聴こえるのだ。特に第3楽章コーダなどは顕著である。交響曲・協奏曲版双方を比較検討して準備したという反田恭平の意気込み、藤岡/日本フィルのサポートにより意義ある初演にはなったが、また同時に編曲としての問題点が明け透けになったのも事実だ。
後半のシベリウス「交響曲第1番」は、藤岡の熱っぽい指揮に導かれ日本フィルが疾走したが、演奏精度としては必ずしも十全ではなかった。木管の音程の不揃い、アタックに今一歩の拘りが欲しい金管群など、暴れ馬状態のままエイヤッと駆け抜けてしまったという印象だ。アンコールには藤岡が得意とする英国作品(以前もヴォーン・ウィリアムズの見事な演奏を聴かせてくれた)を用意し、エルガー「夕べの歌」。シベリウスで火照った耳を冷ましてくれた。
フィナーレコンサートは、ホスト・オケの東響を秋山和慶が指揮。秋山は前日の中部フィル定期をも指揮しているので、リハーサル日程はきっと入れ子になっているのだろう。喜寿を過ぎてなお無駄なく活力溢れる指揮姿といい、恐れ入るばかりである。ジョン・ウィリアムズの純音楽作品2作と、今年生誕100年を迎えたバーンスタインによるプログラム。
前半、ジョン・ウィリアムズの「テューバ協奏曲」ではミューザ・ソリスト・オーディション2016の覇者・田村優弥が独奏を務めた。彼のテューバは高音のふくよかな音色、広域を自在に駆け巡る運動性が大変見事で、独奏楽器としてのテューバの豊かな可能性を聴衆に強く印象付ける演奏を聴かせた。対するオケは弾き慣れない作品に苦しんだか、テューバと同じ音型で重なるホルン以外はやや消化不足に聴こえた。
後半のバーンスタイン作品、まずは「キャンディード」から序曲、アリア数曲、組曲が演奏された。オーケストラは節度を持ちつつ華やかに鳴ったが、肝心の歌は両者とも英語がくぐもって聴こえて来ず、楽曲と歌唱スタイルの相性も大いに疑問であった。折角の選曲なのだから、ミュージカルに最適な人選を頼みたいところ。コンサートの最後はバーンスタインの多彩な音楽性が散りばめられた「ディヴェルティメント」。気心知れた指揮者とオケらしい手堅い演奏であったが、リズムが弾まず前に進んでいかない。終曲など、クラリネットが軽快にオーケストラをリードして前へ前へ畳みかけていく位でないと痛快な音楽が立ち現れないのだが。そんな中、ワルツの濡れたような質感の弦は絶品だったことを記しておこう。
首都圏のオーケストラによる華やかな音楽の饗宴が繰り広げられ、今年のサマーミューザは幕を閉じた。来年も聴き手の興味をそそる企画の数々に大いに期待したい。
(2018/9/15)