claviārea14 コンテンポラリー・トイピアニズム|齋藤俊夫
claviārea14 コンテンポラリー・トイピアニズム 大人たちの本気の遊び
2018年8月4日 東京オペラシティ・近江楽堂
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:claviārea(クラヴィアーレア)
<演奏>
トイピアノ:中村和枝
プラスチック・トロンボーン:村田厚生(*)
企画:claviārea(中村和枝、山本裕之)
<曲目>
田口和行:『星屑』
山口恭子:『砂糖の雨』
近藤浩平:『坊さんの気晴らし』作品111
山根明季子:『マジカル・メディカル・トランキライザー』(*)
山本裕之:『ヘミオラ・スリップ』
松平頼暁:『ABZ』複数のトイピアノとヴォイスのための(委嘱新作初演)
近藤譲:『カッチャ』(日本初演)
成本理香:『ラインズ』
平石博一:『鏡の向こうに』(委嘱新作初演)
<使用楽器>
河合楽器製作所:KAWAI 1164、KAWAI 1135、KAWAI 1104、KAWAI 1152
シェーンハット:Schoenhut 2522W、Schoenhut 379B
白河ピアノ調律所:Weissenbach
「トイピアノ」、その大きさ・重さ、対象年齢、音色、全てがグランドピアノと対極にあるようなこの楽器のみのコンサートなどこれまでにあったであろうか。しかも、トイピアノ7台7種を曲に合わせて使い分けながら、曲によっては同時に2台以上の(最大は松平作品の同時に3台)トイピアノを弾くというのだから恐れ入る。予約で満席になり当日券が出ないほどの客の入りであったが、それに見合った驚きと楽しさに満ちたコンサートになった。
田口和行『星屑』はW.A.モーツァルト『きらきら星変奏曲』の主題と5つの変奏をルールに従って田口の8音音階に置換したもの。不気味可愛いきらきら星がきらきらきらきらと輝くこの作品の時点でトイピアノの複雑な音色と、不正確な音高による、音同士のずれ合い、ぶつかり合いに魅せられてしまった。また本作品では変奏ごとに5台のトイピアノを使い分けたのだが、この楽器の機種による音色の違いは、それぞれ全く別の楽器と言えるほどであることがわかった。
山口恭子『砂糖の雨』は3曲から成る。音の減衰が速いので体感的にはテンポがゆっくりに感じるが、実は相当に速いテンポの第1曲は淡々とした狂気を感じさせる。第2曲はキラキラというよりギラギラと形容すべき、歪みきったバロック風音楽。第3曲はドライバーで発音体(鉄琴のようなもの)を直にはじいて「ポーン」という単純な音を交えたりしつつ(鍵盤を弾いて出す音の方が何故か複雑な音色なのである)、点描的に、楽器の音色をじっくりと聴かせる。先の田口の作品とは全く異なるトイピアノの世界が広がった。
近藤浩平『坊さんの気晴らし』、おそらく日本音階による、超高速で、丁度「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」とでも早口で唱えるような激しいパッセージ、そして生臭坊主が酒を飲んで暴れているような強打が奏でられ、「トイピアノでこんなにドス黒い音楽が!」と驚かされた。一番大きなトイピアノゆえの重量感のある音が、「ズシリと、軽い」とでも言うような、摩訶不思議な音楽を形作ったのである。
山根明季子『マジカル・メディカル・トランキライザー』は「魔法少女」という日本アニメの伝統的(?)キャラクターに付随する音楽をベースにした作品。トイピアノはあくまで明るく、しかしだからこそ怖い、言うならば魔法少女がニコニコ笑いながら魔法で街を破壊しているような印象を与える。トイピアノが魔法少女ならば村田厚生のプラスチック・トロンボーンは使い魔であろうか。声を発しながら吹いて、楽音ならぬ潰れた音を発したり、ピアノに追いつこうといそがしく動き回ったりと、象が高速で走り回り鳴き喚くようなこれまた不穏な音楽を奏でる。そして二人でどんどん破壊魔法の狂い咲きを加速させて終了。身体の内側に手を突っ込まれて神経を直に逆撫でされるような山根ならではの体験をさせてもらった。
山本裕之『ヘミオラ・スリップ』はトイピアノに何か細工をしていたのか(他の作品でも同楽器を使っていたのでその可能性は低いと思われるが)、トイピアノ自体の音高のずれを山本が計算したのか、同時に鳴る音同士が常にずれて得も言われぬ響き――それはトイピアノならでは、そして山本ならではの響きだ――を会場に充満させる。そして舞曲風の激しい超高速パッセージが弾かれるのだが、その縦の線もまたずれている。耳と脳の焦点がずれ続ける、実に気持ち悪くて素晴らしい作品であった。
松平頼暁『ABZ』は通常奏法用のものと、マレットで鉄琴のように発音体を叩く(枠も叩く)ものと、おはじきを発音体の上に山盛りにしたものの、3台のトイピアノと、演奏者の声による作品。冒頭から中村が「あ~~~~」と声をグリサンドし、(プログラムによると)とある生物群の学名を歌い、あるいは叫び、そして右手のトイピアノをマレットで叩き、左手のトイピアノの鍵盤に張り手を入れる――そうすると発音体の上のおはじきの山が次第に崩れていき、音が変わっていく。弾き、叩かれるリズムは1拍子か2拍子で一定だったようだが、声と歌、そしてトイピアノの音の変化で一瞬ごとに新しい響きが広がる。何故かプッチーニ『蝶々夫人』の「ある晴れた日に」の冒頭を中村が歌って終曲するまで、全く先が読めないスリリングな音楽であった。
近藤譲『カッチャ』、題名はイタリア語で「狩り」、もしくは輪唱を表す名詞。その名の通りの2声部による輪唱の構造は認識できなかったものの、両の手が休むことなく動き続け、異国風(東南アジア風?)の旋法の音がどんどん絡まり合って連なっていくのは、鏡の国に迷い込んだかのような音楽体験であった。極めて精緻かつ複雑な構造の作品であるのに、楽器の音域は2オクターヴと長3度程度なのである。なんという作曲技術であろうか!
成本理香『ラインズ』は静かな部分と超高速の部分、そしてクラスター的な和音が暴力的に叩きつけられる部分が循環し続ける作品。ある時は連続的にこれらの楽想が連なり、ある時は非連続的に、突如爆発するように、楽器も壊れんばかりの強打が鳴り響く。プログラムによるとアメリカの美術家、ジェニファー・バートレットの『ラプソディ』という作品の中の「ラインズ」という部分の構造を分析して「クールに要素を並べ」(プログラムより)て作曲したそうだが、筆者にはクールではなく、直截的な怒りの感情表出を感じさせる曲のように聴こえた。
プログラム最後の平石博一『鏡の向こうに』は前奏曲と「鏡の向こうに」の1セット(それぞれ1セットで2分程度の小品)が7つで構成された作品。常に2台のトイピアノを用い、そしてセットごとに楽器の種類が変えられた。
前奏曲は概して静かな曲であったが、「鏡の向こうに」は、どのように楽譜に書かれているのかと驚くほどの複雑な縦の線で大小のトイピアノを合奏したり(第1曲)、ミニマル・ミュージック以上に激しい高速反復が弾かれたり(第2曲)、小さなトイピアノ2台を一定のリズムで淡々と、少し不気味なほどに美しくきらめかせたり(第3曲)、小さな音域を昆虫的に目まぐるしく動いたり(第4曲)、小さなトイピアノでまた超高速反復がなされたり(第5曲)、大きなトイピアノ2台で荘厳な響きを轟かせたり(第6曲)して、最後の第7曲はガムランを思わせるがそれ以上の超高速で大きなトイピアノ2台を弾ききって終曲した。聴き紛うことなき平石の音楽であり、トイピアノの音楽でありながら、実に多彩。トイピアノという楽器の性格を作曲者と演奏者が共に探求し尽くしたがゆえに、このような音楽が可能となったのであろう。堂々たる連作であった。
アンコールでは、先には小さなトイピアノで弾いた近藤『カッチャ』が、大きなトイピアノで弾かれた。大きなトイピアノの方が音高の歪みが大きいのか、前の演奏とは全く違う、いささか強迫的ともいえる力が伝わってきた。
玩具とするには勿体無いほどの表現力がトイピアノというこの楽器に秘められていたのかと嬉しい驚きを味わえた。このような未踏の地を開拓せんとする中村和枝と作曲家たちの冒険心もまた頼もしい。「大人たちの本気の遊び」は音楽本来の「遊び」でありつつ、それを超えたものであった。
(2018/9/15)