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シネマティック・フルオーケストラ・コンサート《ウエスト・サイド物語》|大田美佐子

バーンスタイン生誕100周年記念
ウエスト・サイド物語
シネマティック・フルオーケストラ・コンサート

2018年8月9日 フェスティバルホール
Reviewed by 大田美佐子 (Misako Ohta)
Photos by Ryosuke Kikuchi /写真提供:フジテレビジョン&キョードー東京

<演奏・出演>
佐渡裕 (指揮)
東京フィルハーモニー交響楽団 (管弦楽)

<曲目>
ウエスト・サイド物語

 

シネマ・コンサートが大流行である。その理由は何か。イマジネーションにとって、映像は頼もしい。普段は脇役を求められる映画の音楽から音楽を取り出して、さらに抜粋の映像がつけば、音楽もゆったりとより楽しみやすくなる。現代音楽も、映画音楽であれば、人々はそれと感じずにすんなりと受け止めてしまう。視覚芸術の情報量とスピード感に慣らされている現代人にとって、シネマ・コンサートはリラックスして、楽しめる催しなのである。

しかし、今回の「シネマティック・フルオーケストラ・コンサート」は普通のシネマ・コンサートとはだいぶ趣が違う。言うなれば、「事実」を超えた「理想」に出会う旅のようなものだ。ブロードウェイでのミュージカル鑑賞は、音楽ファンにとっても理想的だ。なぜなら、テープでカラオケが流れることはないし、ライブの音楽とダンス、歌との熱い競演が繰り広げられているからだ。1957年に《ウエストサイド物語》をブロードウェイの舞台作品として発表したバーンスタインは、ブロードウェイの音楽家たちの玉石混交の技量と予算に合わせて、28名の規模でオーケストレーションを考えたという。現場に合わせた英断である。そんな彼にとって、フルオーケストラを揃え、スタジオで録音された映画版『ウエスト・サイド物語』は、音響の厚みはもとより、音楽の密度が濃く、充実したものであった。

ミュージカルの場合、音楽はステージ版よりも映画版の方が冷遇されるのが一般的だった時代、バーンスタイン自身、初のブロードウェイ作品《オン・ザ・タウン》(1944)の映画版では、その辛酸を舐めている。見せ場の長大なバレエのシーンは大胆にカット、舞台版が語った人種やジェンダーの問題意識の先進性もばっさりと切られた別物になってしまった。映画『ウエスト・サイド物語』でのバーンスタインの試みは、音楽も内容的にも、ミュージカルの舞台と映画の関係を逆転させるほど、画期的なことだったのである。

今回のフルオーケストラのコンサートでは、映画『ウエスト・サイド物語』の全編に、映画版の音楽を完全にシンクロさせた。舞台上の役者とコンタクトが取れないので、オーケストラは映像のほうに100パーセントタイミングを合わせなければならない。その作業は指揮者の譜面台上のライトに誘導され、その繊細かつ大胆な作業は、ほとんど神業の領域であるといっていい。さすが、バーンスタインから直接薫陶を受けた佐渡裕のタクトに導かれた東京フィルハーモニー交響楽団の作り出すサウンドは、<Cool>や<Tonight>など有名な「ナンバー」の部分だけでなく、そこに到達するまでのドラマの「繋ぎ」の部分の魅力を、あますところなく伝えてくれた。バーンスタインの音楽は効果的なところで弦楽四重奏を使い、ドラムの躍動的なリズム、三全音の謎めいたレトリック、ベートーヴェンから引用された美しい旋律など、ぞくぞくするほど仕掛けに満ちている。それらが、スクリーンに映し出された役者の動き、ダンス、クローズアップされた顔の表情や街の様子と絶妙に掛け合いながら、作品の究極の「理想」の姿を実現させたのである。

特にあらためて感じたのは、都市を描いたこの作品の魅力である。映画は、舞台よりも都市の姿をそのまま映し出す。映画のタイトルロールでニューヨークの摩天楼を俯瞰するダイナミックなショットに重なるバーンスタインの響きが、このうえなく新鮮に響いた。

コンサートだけでなく、マエストロ佐渡裕のプレトークもよかった。大阪のフェスティバルホールは、1985年に佐渡が聴いたイスラエル・フィルとバーンスタインの奏でた《シンフォニック・ダンス》の現場として、三十余年の歳月を経て、今ここの歴史と繋がっているのだ。そして、バーンスタインが愛したタングルウッド音楽祭の名物企画、フィルム・ナイトを想起させた。作曲家バーンスタインのこの作品に対する熱い思いが、佐渡のタクトと東京フィルハーモニー交響楽団のキレのいい演奏を通じて、蘇った至福の3時間だった。

映画館で観て、小説で読んで、サントラ盤を聴いて、ミュージカルを観てもなお、このシネマティック・コンサートで、あらためてレニーの懐に入るような、まったく次元の違う『ウエスト・サイド物語』に出会うことができた。映画芸術、音楽芸術の「再生」を通した創造力は、どこまで広がり高まっていくのだろう。新しいテクノロジーに感謝しつつ、できたら年に一度はこうして極上の『ウエスト・サイド物語』を上映し続けてほしいと切に感じた。移民や銃の問題、六十年あまりを経ても何ひとつ解決されていないこの現実を、平和を愛したレニーの音楽とともに、しっかりと心に受け止めるためにも。

 (2018/9/15)