渡邊順生&藤木大地 デュオ・リサイタル|大河内文恵
2018年7月1日 浜離宮朝日ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 村上健/写真提供:チェンバロ・フェスティバル in 東京実行委員会
<演奏>
渡邊順生(ラウテンクラヴィーア)
藤木大地(カウンターテナー)
<曲目>
H. パーセル:恋の病から
美しい島
ばらの花より甘く
新しいグラウンド(ラウテンクラヴィーア独奏)
夕べの讃歌
J. S. バッハ:組曲ホ短調BWV996(ラウテンクラヴィーア独奏)
~休憩~
J. ダウランド:わが思いには希望の翼
行け 透明な涙よ
さあ もういちど 愛が呼んでいる
ラクリメ
G. カッチーニ:アマリリ美わし
C. モンテヴェルディ:アリアンナの嘆き
あの蔑みのまなざしが
~アンコール~
モンテヴェルディ:歌劇「ポッペアの戴冠」より 第1幕 オットーネのアリア
浜離宮朝日ホールで6月29日から7月1日にかけて3日間おこなわれた、チェンバロ・フェスティバルin東京「バッハへの道、バッハからの道」の最終日昼間の公演に行ってみた。このフェスティバルは、2011年の上野学園石橋メモリアルホールでの第1回から数えて、今年で5回目となる。2016年の第4回からは会場が浜離宮朝日ホールに移されている。
3日間で、リサイタル3本、アンサンブルの演奏会2本、レクチャー・コンサート5本、ミニ・ライブや子供のためのチェンバロ教室が開かれた他、ロビーや階段の踊り場などにチェンバロを始めとする鍵盤古楽器が展示され、様々な様式の楽器を間近で見たり、一部試奏ができる楽器もあり、非常に盛りだくさんな内容であった。
その中からこのデュオ・リサイタルを選んだのは、ラウテンクラヴィーアという楽器を生で聴いてみたかったのが一番の理由であるが、さらに藤木の歌が聴けるとあらば、1粒で2度美味しいというもの。この日は他の古楽演奏会と日程が重なったためか、大入り満員とはいかなかったのが何とも残念であった。
さて、ラウテンクラヴィーアと聞いて、どのくらいの人がピンとくるだろうか?リュート・チェンバロとも呼ばれるこの楽器は、ちょうどバッハの時代のドイツで作られていたがその後廃れてしまい、現在では基本的にごくわずかな復元楽器でのみ接することができる。楽器の特徴としては、ダンパー(音を止める装置)がないため、ピアノでいう右のペダルを踏みっぱなしで演奏しているような状況となる。ただし、音の減衰が速いので、ペダルを踏みっぱなしのピアノよりははるかに音の濁りは少ない。とはいえ、絶大なる指のコントロール力が奏者に要求されることは想像に難くない。
渡邊のCD「J.S.バッハ ラウテンクラヴィーアのための音楽」では、分散和音を弾いたときにリュートっぽく聴こえるのと、チェンバロのシャリシャリした感じが少なく素朴な音だという印象くらいしかなかったが、実演を聴いてみると、もっと奥深い楽器だということがわかる。
ラウテンクラヴィーア独奏で演奏されたのは、追加曲のグラウンドとバッハの組曲、ダウランドのラクリメである。グラウンドは左手の低音進行が心地よい。混ざり過ぎず、切れ過ぎず絶妙なテンポ設定であった。バッハのBWV996はリュート組曲として知られ、ギターでも演奏されるが、当時の手稿譜に「ラウテンヴェルク(=ラウテンクラヴィーア)のため」と書かれており、バッハがこの楽器のために作曲した可能性がある。この楽器は下行する分散和音を弾いたときにリュートっぽさが一番よくあらわれるのだが、この組曲の第1曲プレリュードではこの音型が非常によくつかわれている。
ほかの舞曲のうち、ブレやジーグのような速い舞曲では問題ないのだが、ゆっくりのテンポのサラバンドでは減衰が速すぎて長い音価が保てず、この楽器には荷が重いのではないかと思った。ラクリメはリュートで演奏されることの多い曲で、チェンバロでありながらリュートの音色をもつラウテンクラヴィーアにはよい選曲だったと思うが、やはりリュートほどの響きはないため、かえってこの楽器の難しさが浮き彫りになった。
では伴奏楽器としてはどうか。今回使用されたのは、2000年にキースによって復元製作された楽器で、二段鍵盤を持ち、2組のガット弦と1組の真鍮弦が使われている。その組み合わせによって、リュートっぽい音になったり、チェンバロに近い音になったりといくつもの音色が楽しめる。曲によって音色の使い分けができるという利点が、藤木の歌の魅力とも相俟って、非常に効果的に使われていた。
パーセルの『ばらの花より甘く』は歌と楽器が呼応し合って、室内楽的な魅力を醸しだしていたし、ダウランドの『行け、透明な涙よ』では藤木の軽い声とリュートっぽい楽器の音が非常によく合っていた。カッチーニの『アマリリ美わし』はシャリシャリし過ぎないラウテンクラヴィーアの音がこれまたぴったり。最後のモンテヴェルディの『あの蔑みのまなざしが』では技巧的な曲をこともなげに歌って、場を盛り上げた。カウンターテナー歌手としての藤木の成長とこの楽器との相性が良かったのか、渡邊との相性が良かったのかは判断つきかねるが、ソロではなくデュオ・リサイタルとして開催されたのはよい判断だったと思う。貴重な音楽体験ができた。
(2018/8/15)