パリ・東京雑感|平成の禊ぎ 不吉なオウム大量死刑執行|松浦茂長
平成の禊ぎ 不吉なオウム大量死刑執行
text & photos by 松浦茂長( Shigenaga Matsuura)
麻原彰晃らオウム真理教の7人が処刑された日、フランスで法学を研究している若い日本女性からメールが届いた。「今日は気持ちのいいお天気にもかかわらず、日本のニュースのためにあまり気分の良くない日になってしまいましたね。フランス人の友人に、中学校のフランス語の先生がいるのですが、フランスでは、中学生の段階から、死刑がなぜ人権に反するのかをユゴー『死刑囚最後の日』に代表される文学を使って説明するそうです。死刑が制度として成立しており、そのため、公立学校では死刑廃止論を述べることすら許されない日本とは大きな違いです。」
7人という大量処刑は、日本の裁判下では大逆事件(明治44年)の12人以来だそうだ。大逆事件を境に、日本の文学・哲学がおおらかさと社会性を失い、内面にこもり萎縮して行く歴史を振り返ると、ますます不吉な予感がする。
地下鉄サリン事件が起こる前、友人の新聞記者が電話してきて、「きょう上九一色村に行った。すごく良い青年たちだったよ」と言った。わざわざそれを伝えるために電話してきたのだから、よほど強烈な驚きだったのだろう。麻原の教団には、訪れる者を感動させる何かがあったに違いない。
最近上九一色村を訪れた作家、高橋源一郎氏はこう書いている。
オウム真理教・元「科学技術省」次官の豊田亨は、自分がどんなふうに麻原の言葉にからめとられていったか上申書にこう書いた。「(麻原の指示に従わないのは自分の煩悩であり心のけがれであると村井秀夫幹部に言われた後)自分はこの答えを聞いて完全に納得した訳ではありませんでしたが、結局、村井さんの言うように、『自分の考え』というもの自体が自己の煩悩であり、けがれである、として自分の疑問を封じ込めるようになりました」(降幡賢一「オウム裁判と日本人」)
オウム真理教に集った者たちの多くは、元々は現代社会の矛盾に悩む善男善女たちだったろう。だが、彼らに送った麻原の回答は、ひとことでいうなら「自分の考え」を持つな、ということだった。豊田は、そのことについて別の言い方をしている。「簡単に言えば、教祖という存在を絶対とし、その指示に対しては疑問を持たず、ひたすら実行することが修行であると考えていた」(同)
学歴の高い理想主義的青年が、なぜ人を殺すことがその人の救済になると信じるまでに至ったのか?それは催眠術にかかったとか、洗脳されたという受動的変化ではなく、<自分の考え>総体を煩悩・汚れとして徹底的に否定する強烈な意志による能動的達成なのだ。高橋氏の指摘は、オウム真理教の怖さの根源をついている。
しかし、もしかしたら、僕に電話してきた友人が感動したのは、この<自分の考え>の全否定=指導者への絶対服従の態度だったのではないだろうか。将来を約束された秀才たちが、自分のプライドを醜い煩悩として憎み、我執を捨てるために必死の努力をする。全共闘が唱えた<自己否定>の甘っちょろさに失望した僕たちの世代の弱みかもしれないが、上九一色村の禁欲修行には見る人まで惹きつける魅力があったのではないか。
それに、自我の放棄を説くのは麻原だけではない。宗教的訓練の場では普通に言われることなのだ。
世間の人自らいはく、「それがし師の言葉を聞くに、我が心にかなはず」。我思ふに、この言葉非なり。……学道の用心というは、我が心にたがへども、師の言葉、聖教の言葉ならば、暫くそれに従って、本の我見を捨てて改めゆく、この心、学道の故実なり。 『正法眼蔵随聞記』(道元の教えを弟子が筆録した書)
謙遜の第一段階は、一瞬の遅れもなく従うことです。長上から命令を受けると、あたかも神からの命令であるかのように、直ちにこれをためらわずに実行に移します。そこでこのような人々は、直ちに個人的な関心や我意を放棄し、手にしていることはこれを捨て、従事している作業は未完のままに放置して、急ぎ服従し、命令する者の声に行為を持って従います。 『聖ベネディクトの戒律』(6世紀に書かれ、修道院では今も守られている)
さて、修行の場では「一切の是非を管ずることなく、我が心を存することなく(正法眼蔵随聞記)」指導者に従うのだとしたら、万一邪悪な指導者を選んでしまった場合、どうやって迷妄から抜け出すことができるだろう。我執を断ち切れない凡庸な弟子は、うんざりして逃げ出すだろうが、本気の発心であれば、非常識な師の言葉を信じ切れない自己を責め、自己を追い詰めて行くだろう。真面目であればあるほど逃げ道はない。最初に間違った指導者を選んでしまったら、悲劇は避けられないのだ。道元禅師も「正師を得ざれば学せざるにしかず」と警告している。
では僕が麻原に出会ったら偽者と見抜けただろうか?正師と思い込むリスクはなかったのか?
吉本隆明氏は、地下鉄サリン事件のあとでも、宗教家としての麻原を高く買っている。
僕は今でも、たぶん中沢新一さんのようにヨガやチベット仏教について知っている人よりも、麻原さんの存在を重く評価していると思います。うんと極端なことを言うと、麻原さんはマスコミが否定できるほどちゃちな人ではないと思っています。これは思い過ごしかもしれませんが、僕は現存する仏教系の修行者の中で世界有数の人ではないかというくらい高く評価しています。(1995年9月5日 産経新聞)
私たちは麻原の信仰とあの恐ろしい犯罪がどうつながるのか粘り強く考え続けるべきだ。指導者と弟子たちの内面のドラマをもっと真剣に追求していれば、ISイスラム国の理解にも貢献していただろう。私たちのやったことは、オウム真理教に対する憎悪と恐怖の挙国体制を固めることだった。
僕たちの世代のテレビ記者は「テレビ報道にBGMをつけてはいけない。ニュースは感情ではなく理性に訴えるように作らなくてはいけない」と教えられたが、オウム真理教に関しては、記者のレポートより芝居がかったナレーションが好まれ、おどろおどろしいBGMをかぶせ、恐ろしさを情緒的に訴える演出が流行する。シナリオライターの小山内美江子さんは事件のあと「特番でまともなナレーションだったのはたったの2つ。あとは怪奇ものと同じような大時代なシャベリと大げさな音楽」と批判していた。
不安と憎悪をかき立てる演出法で、オウム真理教の修行の光景や教祖の顔が毎日繰り返し流されるから、視聴者は催眠術にかけられたように、オウムにつながるシーンを見ただけで恐怖の反応を示すようになった。視聴者は対象を理性的に批判・理解する能力を麻痺させられ、国全体が集団催眠にかけられたのだ。
オウムの報道は、オウムを悪の集団として糾弾し、その悪を憎む感情を共有することで、自分たちが健全な日本国民であることを再確認する<祭り>だった。だからその共同感情にそぐわない発言は排除されがちであり、コラムニストの山崎浩一氏は「そんなことをいうとオウムの肩を持つ非国民だといわれそうだが・・・」と、ことさら戦争中の「非国民」という言葉を持ち出して、オウム報道を取り巻く雰囲気を表現していた。
挙国的オウム叩きによって何が変わったか。宗教はヤバイという嫌悪感、一層の宗教離れ。杉並の我が家の近くのキリスト教会は、オウム真理教の施設が区内にあったためか、教会を訪ねてくる若者が半減したそうだ。もっと深刻なのは、人生の苦悩を正面から見つめる生き方をヤバイとして敬遠するようになったことだろう。
事件後、「オウムバッシング」が広がり、実存の不全感を人前で訴えるのは「やばい」ことになる。事件の半年後に始まったテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に代表されるように、若者は自己イメージを維持するために繭にこもるようになる。(社会学者・宮台真司)
宮台氏の説について若い曹洞宗の僧侶に聞くと、「そういう傾向はあるかもしれません。熱心に座禅する僧侶は、同輩から変な目で見られます。」と言う。求道もほどほどにしないと、ヤバイのか。でも、若いとき、ヤバイくらいに内的格闘をすることで、本物と偽物を見分ける直感力が身につくのではないか。魂の底から発せられるかすかな声に耳を澄まし、聞き取れる人間になる、その能力だけが偽教祖に誘惑されない免疫力になるのだ。
(2018年7月30日)