フェスタサマーミューザKAWASAKI 2018 東京交響楽団 オープニングコンサート|藤原聡

フェスタサマーミューザKAWASAKI 2018 東京交響楽団 オープニングコンサート

2018年7月21日 ミューザ川崎シンフォニーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 青柳聡/写真提供:公益財団法人川崎市文化財団

<演奏>
指揮:ジョナサン・ノット
【ジャズ・トリオ(*)】
 大西順子(ジャズ・ピアノ)、井上陽介(ベース)、高橋信之介(ドラムス)
【ジャズ・バンド(☆)】
 鈴木正則、山下真一、二井田ひとみ、吉澤達彦(トランペット)
 中川英二郎、半田信英、笹栗良太(トロンボーン)
 野々下興一(バス・トロンボーン)、
 本田雅人、真野峻磨(アルト・サックス)
 庵原良司、三木俊雄(テナー・サックス)
 鈴木圭(バリトン・サックス)
コンサートマスター・水谷晃
東京交響楽団

<曲目>
ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー(*)
リーバーマン:ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲(*)(☆)
ナンカロウ:スタディ第1番、第7番
バーンスタイン:『ウェスト・サイド・ストーリー』から シンフォニック・ダンス

 

毎年夏恒例のフェスタサマーミューザKAWASAKI。クラシック・ファンにとっては夏の一大イヴェントとしてもはや欠かせぬ存在となっているこの音楽祭(昨年も同じようなことを書いた気がするが、実際そうなのだから仕方ない。これがなくなったら随分寂しい夏になってしまうことだろう)、去年はオープニングコンサートで『浄夜』と『春の祭典』を演奏したノット&東響、今年は毛色を変えてジャズ特集とでも言うべき魅力的な内容である。さらにはガーシュウィンとリーバーマン作品における出演者がまた豪華であり(上記参照)、それもあってチケットは完売していた。

1曲目は大西順子トリオが加わっての『ラプソディ・イン・ブルー』。ヒールを履いているためか(やや遠方にて明確には確認出来ず)いかにも不安定な足元で登場した大西順子だが、その演奏はいい意味でも悪い意味でもオケとの全体性を指向した表現ではなく、もっと言えばトリオはオケとは別に好きにやっているという印象。それは通常15分ほどの演奏時間であるこの曲に30分近くも掛かっていたという事実に現れているが、トリオ部になると『ラプソディ~』やさらには『パリのアメリカ人』の素材を使用しながらもいつしか完全に延々と別の世界に入り込み、こうなるとガーシュウィンも『ラプソディ~』も関係なくなってしまい、そこだけ完全に浮いていた。これなら大西順子トリオは大西順子トリオで、『ラプソディ~』は『ラプソディ~』で別々に聴いた方が良かったんじゃないか、という思いが演奏中に脳裏をかすめる。一応書いておくが、筆者は大西順子の力量は承知しているつもりであるし、その演奏も録音とライヴで度々接して感嘆させられたことも1度や2度ではない(とは言えこの日の大西のタッチにはいつもの冴えがなかった気も…。普段聴くライヴハウスとコンサートホールの印象の違いはあるかも知れない)。今回の演奏は、大西順子の演奏を聴く、と言う意味では楽しめるものだったにしてもどうにも居心地が悪い。ノット&東響はさすがに上手く合わせてはいたが、少し生真面目で硬い。演奏後の喝采はこの日随一のものであったが、あまり楽しめなかったのは自分だけか(こういう経験、ありますよね…)。

そこへ行くと2曲目のリーバーマンは文句なし。大西順子トリオはここでも参加しているが、あくまで全体の一部として組み込まれていてアドリブを発揮する、というような類の音楽ではない。ジャズ・バンド全体がソロに見立てられ、合奏協奏曲のようにオケと緊密に協奏する。1954年作曲で全8楽章、いかにも戦後前衛の現代音楽的な浮遊感を感じさせるピアノとフルートソロから開始されるその音楽は、しかしいつしかオケ全体がスウィングする展開に巻き込まれていく。部分的に12音技法を用いているということもあろうが、その当時としては極めてモダンな印象を与えていただろう(今聴いてもほとんど古さは感じない)。後年のギル・エヴァンスやラロ・シフリンを想起させるような響きもちらほら。ここでは『ラプソディ~』とは逆にノットの強靭なドライヴが圧倒的だ。特に最終曲の『マンボ』の内から自然に湧き上がって来るかのような躍動感と律動感は聴いているこちらの体も浮き上がりそうになるほど。そして名手達を揃えたジャズ・バンドのソロがまた上手い。中でも鈴木正則のトランペットと本田雅人のアルト・サックスが特に光っていた。しかし、この曲1曲だけのためにジャズ・バンドによくこれだけのメンバーを集めたものだ。

休憩を挟んではこれまたいかにもノットらしい選曲、ナンカロウのスタディ第1番と第7番の小編成オケ編曲版。この曲のアレンジ版ではアンサンブル・モデルンによる室内楽版の録音があるが、さすがにプレイヤーピアノ版での急速テンポを採用することは出来ずに相当テンポを落として演奏している。ここでの小編成オケ版の演奏もまた然り、ではあるが極めて正確である。しかも正確なだけではなくそこには音楽的な「うねり」と「感興」をも伴っている。こういうのを聴くとジョナサン・ノットという指揮者は譜面ヅラを正確に再現する能力に極めて長けているのみならず、そこに音楽的な「豊かさ」をも注入することの出来る全く稀有な音楽家なのだと痛感させられる。ナンカロウのような曲でそういう思いを聴き手に抱かせるのだから改めて凄い指揮者である。

最後は『ウェスト・サイド・ストーリー』から「シンフォニック・ダンス」。リズムの柔軟性にいささか欠けるきらいがないではないが、そんなことは些事に思えるような大快演(そんな形容詞があるのか?)。「どこかで」のような抒情的な曲でもテンポを引き締めキリッと辛口に仕上げていたところにノットの「シンフォニック」な拘りを聴く。あくまで全曲を1つの統一された流れの内にまとめ上げること。「マンボ」や「クール」での余りにシャープな音像には生理的快感すら…!

来年のサマーフェスタミューザではどのような曲及び演奏をわれわれに披露してくれるのか、もう楽しみと思わせるようなノット&東響の今年の演奏でありました。

 (2018/8/15)