大西宇宙 バリトン・リサイタル|藤堂清
2018年6月19日 浜離宮朝日ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<演奏>
大西宇宙(バリトン)
筈井美貴(ピアノ)
<曲目>
ラヴェル:《ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ》
フィンジ:歌曲集《花束を捧げよう》Op.18
リムスキー=コルサコフ:〈オクターヴ〉Op.45-3
ラフマニノフ:〈私は彼女と一緒にいた〉Op. 14-4
〈夢〉Op. 8-5
〈春の流れ〉Op. 14-11
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プーランク:歌劇《ティレジアスの乳房》より〈プロローグ〉
モーツァルト:歌劇《ドン・ジョヴァンニ》より〈窓辺においで〉
モーツァルト:アリア〈彼に目を向けて下さい〉K.584
ベッリーニ:歌劇《清教徒》より〈永遠に彼女を失った〉
コルンゴールド:歌劇《死の都》より〈ピエロの唄〉
チャイコフスキー:歌劇《エフゲニー・オネーギン》より終幕のアリア
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ミッチ・リー:ミュージカル《ラ・マンチャの男》より〈見果てぬ夢〉
小林秀雄:〈落葉松〉
ガーシュウィン:《ガール・クレイジー》より〈エンブレイサブル・ユー〉
30代前半のバリトン。2011年よりジュリアード音楽院のMaster of Music and Graduate Diplomaで学び、その後2015年から2018年までシカゴ・リリック・オペラの研修機関 Ryan Opera Centerに所属し、《リゴレット》のマルッロなど脇役として舞台経験を積んだ。同時に、主要キャストのカヴァーとしてさまざまな役を習得する機会を得た。シカゴ・リリック・オペラが世界初演したNilo Cruzの台本、Jimmy Lópezの作曲によるオペラ《Bel Canto》では、Arguedas神父役を歌って注目を集めた。彼のアメリカでの活動はOpera News誌に記事が掲載され、広く知られることとなった。
東京でのリサイタルは5年ぶりとのこと。アメリカで学んできたことをすべて見せようという意気込みが感じられる意欲的なプログラムが組まれた。前半は歌曲、後半のオペラ・アリアという構成で、歌った言語は5ケ国語。アンコールには、ミュージカルや日本歌曲を入れるというサービス。
ラヴェルの《ドゥルシネア姫に想いを寄せるドン・キホーテ》、第1曲の〈ロマネスク風の歌〉でピアノが音量を抑えずにダイナミックに弾きだしたのに驚く。それにあおられるように大西も大きな声で歌いだす。3曲目の〈乾杯の歌〉では勢いも必要かもしれないが、最初からでは違うのでは。そんな印象から始まった。ジョゼ・ファン・ダムのようなフランス語でとまでは言わないが、子音が少し弱いために平板に聴こえる。また、低い音域で声の響きが薄くなり、高い音域で歌っていた旋律が急に遠くに行ってしまったように感じられる。
次のフィンジの《花束を捧げよう》はシェイクスピアの詩による5曲からなる歌曲集。幾分落ち着きを取り戻したようで、言葉もききとれるようにはなってきた。低音で弱声という部分はやはり弱点となっている。最後の曲〈それは恋人たち〉のはずむようなリズムは楽しく聴いた。
前半の最後に置かれたラフマニノフは、20歳ごろに書かれた作品。メロディーの美しさを聴かせてくれた。最後の曲〈春の流れ〉ではピアノに丁寧さを求めたいところ。
後半のアリアの方では本領を発揮。
《ドン・ジョヴァンニ》の〈窓辺においで〉での安定した響き。
〈彼に目を向けて下さい〉は《コジ・ファン・トゥッテ》のグリエルモのアリアとして書かれたが、初演の前に別の曲に差し替えられ、こちらは今では単独のアリアとして歌われる。大西の声の技巧を示す出来栄えであった。
なんといっても、プログラムの最後におかれたオネーギンのアリアが聴きごたえがあった。思いがけない展開、抑えられない自分の気持ちを歌い上げた。
アンコールの〈見果てぬ夢〉〈エンブレイサブル・ユー〉で会場は大盛り上がり。
大西の現在を存分に聴かせたと評価できる。
ところで、若い歌手がリサイタルを行う目的は何だろう?
どのようにしてリサイタルを作り上げるのだろう?
次の機会を得ることができるだろうか?
なんらかの支援なしでは、一回行うことすら困難な場合が多いのではないだろうか。
大西が貴重な機会と考え、可能な限り自己の能力を示そうとしたのは当然のことだったのであろう。
だが、聴く側の立場から言えば、もう少し焦点を絞った方が「大西宇宙」という名前を強く印象付けることができたのではないかと感じた。
(2018/7/15)