大阪交響楽団 第218回 定期演奏会|能登原由美
2018年6月1日 ザ・シンフォニーホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:大阪交響楽団
<演奏>
指揮:カーチュン・ウォン
大阪交響楽団
<曲目>
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「プルチネルラ」
ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 作品27
こういう熱さを最後に味わったのはいつだっただろう。かつて学生時代にどっぷり浸かっていたような気がするが…。だとすれば何年前、いや何十年前?…それは良いとして、このような熱さの音楽は最近経験していないように思う。つまり、まるで学生オケのような若さ、ひたむきさ、無邪気さ、ほとばしる情熱がある。何よりも、音楽に対する愛情がひしひしと伝わってくるのだ。2016年にグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝したシンガポール生まれの指揮者、カーチュン・ウォンの演奏は、とにかく熱かった。
もちろん、全てを手放しに賞賛するわけではない。その熱さが功を奏するか否かは、楽曲によって異なるようだ。今公演の場合、前半と後半でその善し悪しが著しく分かれていたと思う。つまり、ストラヴィンスキーの《バレエ組曲「プルチネルラ」》。冒頭こそ、その音の響きの明るさに、このオーケストラのこれまでの音とは異なるものが感じられて一瞬期待したのだが、すぐにその思いは落胆へと変わってしまった。全体的に足取りが重く、ニュアンスやテンポの変化に乏しい。小曲ごとの性格付けも曖昧。何よりも、この指揮者の個性が今ひとつ感じられないところに不満が残った。
けれども、後半のラフマニノフ《交響曲第2番》でその印象は一転した。確かにこちらも前半同様、冗長になり単調に陥る傾向はあった。例えば第1楽章や第3楽章などの緩徐楽章。旋律やオブリガート・ソロなどを甘く情熱的に歌い上げるのは良いのだが、中声部や低声部などの対位声部の扱いがなおざりで、その役割が今ひとつ生かされてこない。その結果、ニュアンスや音色に多彩さが欠け、単調に思えると同時に深みが感じられないのである。前半の「プルチネルラ」で感じたもどかしさも、この辺りにあるのではないかと思った。
だが、第2楽章や第4楽章ではそのネガティブな印象を吹き飛ばすほどのパワーがあった。きらびやかな響きと底から突き上げるような推進力で、こちらをクライマックスへの高みへと徐々に引き上げていくのである。その長い階梯の途中、何度も息切れしそうになるのだが、その度に飽くことなく、新たな音の波を作り上げてこちらを鼓舞してくる。いや、もうこれ以上の高みはないだろう、と感じたところでさらなる高みへ。一体、このウォンという指揮者の中にはどれほどのエネルギーが秘められているのだろう。
終わってみれば、華やかな宴の後のような一抹の寂しさが残った。演奏が進むにつれてあれよあれよとウォンの世界に引き摺り込まれ、圧倒的なフィナーレを体験する。今度はその酔いから冷めるのにしばしの時間が必要となった。あとで冷静になって振り返れば、色々と細かく難点を指摘することはできるのだけれども、それは全て単なる理屈に過ぎないと思えてしまう。少なくとも、最近味わったことのない高揚感に満たされたのは確かだ。
さて、帰り際に思わず想像してみた。この人が日本のオーケストラの常任になったらどのような化学反応が起きるのだろうかと。
(2018/7/15)