新日本フィルハーモニー交響楽団トパーズ<トリフォニー・シリーズ>第590回定期演奏会|齋藤俊夫
新日本フィルハーモニー交響楽団トパーズ<トリフォニー・シリーズ>第590回定期演奏会
2018年6月29日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 大窪道治/写真提供:新日本フィルハーモニー交響楽団
<演奏>
指揮:アンドリュー・リットン
ソプラノ:林正子(全ての作品に出演)
<曲目>
アルバン・ベルク:『ルル組曲』
アルバン・ベルク:『アルテンベルク歌曲集』
グスタフ・マーラー:『交響曲第4番 ト長調』
筆者がアンドリュー・リットンの指揮に接するのはこれが初めてだったのだが、前半のベルク2作品、後半のマーラー交響曲第4番、全てが新鮮かつ独創的で、その技量に感嘆せざるを得なかった。
『ルル組曲』第1曲冒頭を甘く優しく演奏するのはおそらく「一般的な」解釈であったと思うが、その後が今までに筆者が聴いてきたどのベルクとも違った。冒頭の優しさがずっと保たれ、綾織物のような軟らかい響きが会場を包んだのである。
第2曲のアレグロは概ね一般的と言えるであろう表現主義的な激しい演奏であったが、第3曲はさにあらず。林正子のソプラノは表現主義的情念のほとばしりを抑え、凛として、端正で、澄み切った歌声。オーケストラもソプラノとぶつかり合うことなくあくまで伴奏に徹する。歌の終わりのフォルテシモが昇華されて弱音に消えていくまで、「十二音技法の作品」らしからぬ叙情性に満ちていた。
虚ろで不吉な華やかさに満ちた第4楽章も、各パートの音を相殺させることなく、テクスチュアを丁寧に編んだ解像度の高い演奏で、決して力押しすることがない。
第5楽章は別世界からの音のような「遠い」音楽に始まり、劇的な楽想を経てソプラノの「ルル!わたしの天使!ずっとあなたのそばにいるわ!永遠に!」のソプラノで終わったが、その決然たる悲痛な歌声の美しさをなんと表現しようか。
小品歌曲集『アルテンベルク歌曲集』も実に印象的。感情を強く表出する部分、大胆に大きく音を鳴らす部分なども良かったが、最も筆者の心に残ったのは弱音の豊かな表現力である。オーケストラでこんなにほのかな音が出せるのかと、そしてベルクのソプラノがこんなに繊細微妙な響きに満ちていたのかと、聴き入りつつ感心、そして感動することしきりであった。
ともすれば悪夢的とも感じられるベルクの12音技法の作品と無調の作品から、まるで後期ドビュッシーの音楽のような夢幻的な響きが引き出された、このことに驚いたのは筆者の勉強不足というものであろうか?蒙を啓かれた心地がした。
後半のマーラー『交響曲第4番』、第1楽章冒頭の鈴とフルートの序奏の後の弦楽が「ドイツの巨匠マーラー」というような重さとは無縁の軽やかな、メルヘンチックな響きをなす。その後の総じて弦楽器の音を軽めに、木管楽器の音をやや大きめにしたオーケストレーションはまるでシベリウスの管弦楽作品のように涼やか。
第2楽章は室内楽的あるいは古楽的に、各パートを緻密にアンサンブルさせて1つの音楽にしつつ、ぶつかったり重ね塗りになったりするのを徹底的に拒む。
第3楽章、かすかな弱音による、修道院的とも言える極めて禁欲的な、しかし宗教的な安らぎに満ちた音楽。長調の第1主題も、短調の第2主題も、劇的になることがなく、いっとき大きく重くなる楽想が現れてもすぐにまた平安が訪れる。終盤の輝かしいフォルテシモのトゥッティもすぐに眠りにつくように安らぎの中へと帰っていった。
第4楽章は清浄な、喜びに満ちた、まさに天上的な音楽世界。林正子は前半のベルクと同じく全く飾り気のない透明な歌声を、決して張り上げることなく響かせる。最後の節のオーケストラとソプラノの天使的な音楽から自然に減衰するようにディミヌエンドして終曲したのは、筆者には初めて聴くかもしれない「静けさを奏でた」マーラーであった。
ベルクとマーラーの先入観を覆す(それは「ドイツ音楽」という先入観を覆すことでもある)リットンの解釈・再現は人によると物足りなく感じられた(特にその全体的な音量の小ささに)かもしれないが、筆者にはとても自由かつ的確、そして個性的に感じられた。新日フィルとは初共演だそうだが、今後の再共演を期待したい。また、ソプラノ歌手にありがちな「過剰さ」を抑えつつ表現力に満ちた歌声を聴かせてくれた林正子と出会えたのも嬉しかった。このような人選に挑戦したことにも感謝。新たな音楽、新たな出会いに恵まれた幸せな演奏会であった。
(2018/7/15)