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神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会|藤原聡

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神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会
みなとみらいシリーズ第340回

2018年6月16日 横浜みなとみらいホール 大ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 藤本史昭/写真提供:神奈川フィルハーモニー管弦楽団

<演奏>
高関健(指揮)
アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフ(ピアノ)

<曲目>
シチェドリン:『ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書-管弦楽のための交響的断章』(日本初演)
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番 ハ短調 Op.37
ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 Op.55『英雄』
(ソリストのアンコール)
ラフマニノフ:楽興の時 第6番

 

考えられたプログラム構成だ。最初にこれが日本初演曲であるシチェドリンの『ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書-管弦楽のための交響的断章』を配置し、その後にはまさにベートーヴェンによってハイリゲンシュタットの遺書が書かれた直後に作曲されたピアノ協奏曲第3番と『英雄』が演奏される。このプログラミングはある意味で必然的なものだろう。尚、この日は本プログラムの前に神奈川フィルの第3代音楽監督を務め5月28日に亡くなったハンス=マルティン・シュナイトへの追悼としてバッハの『G線上のアリア』が演奏された。演奏後はしばし黙祷。

ついで1曲目のシチェドリン。本作はヤンソンスとバイエルン放送響からシチェドリンに委嘱されたが(彼らによる録音もある)、作曲家は常に関心を持ってきたベートーヴェンの「遺書」に基づいて曲を書くことに決めたという。ベートーヴェンが苦悩を克服し、力強く歩み出すまでが描かれた曲である(以上、遠山菜穂美氏によるプログラムより)。楽器編成は『英雄』と同様の2管編成を基本としつつ、そこにピッコロとトロンボーン3本が加わる(これは第5交響曲と同様だ)。大まかに記せば、曲は『エグモント』序曲を想起させるような陰鬱かつ重厚な響き(「マエストーソ・コン・グラーヴェ」)で開始され、その後速アレグロに速められたテンポでの弦と管の不安を煽るような楽節の反復の後の重厚な冒頭部分の回帰、その後ヴィオラによる新しい部分も加わりつつ音楽は展開して行くが、最後には遂に長調の和音が静かに鳴り響き、正に『英雄』冒頭の音形が静かに引用されて曲は閉じられる。つまり、楽器編成からも『英雄』の引用からも、この曲自体に明確に「遺書をしたためるほどの苦悩を克服して次の創作段階-『英雄』-へ至る」というドラマが内包されている。であるから、先述したように本コンサートの最後に『英雄』が演奏されるのは半ば必然といいうる。ドラマ構成は措いた上でのシチェドリンの音楽への印象を記せば、ティンパニの音階ソロや木管アンサンブルの使用法などにシチェドリンらしさを感じ取れるものの、かつての作品で聴かせたような楽器法の冴えや色彩感はあまり聴き取れず、というのが偽らざる感想(曲が曲だけに抑制的に書いたということはあるだろうが)。しかしこの珍しい曲を実演で聴けたのは良かったと思う。

2曲目はこれが日本デビューとなるアルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフをソロに招いてのベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番。祖母はかの大ピアニスト、タチアナ・ニコラーエワであるという。大変端正なピアノを弾く人だ。そこにはロシアの男性ピアニストにともすると見られる傾向としての豪胆さや極大なスケール感というものは感じられず繊細な演奏をする。もちろん技術的にも優れてはいるものの、その音響はやや平板でいささか立体感に乏しい。表現自体にもあまりコクがなく、逸材ではあろうがまだ発展途上という印象は拭い難い。この人の演奏はリサイタルでソロを聴いてみたいと思う。アンコールのラフマニノフはさすがに板に付いた演奏だったが、ここでも平板さは感じられた。高関のサポートは繊細なソロをマスクせずベストバランスで合わせる。さすがに上手いです。

休憩を挟んでの『英雄』は掛け値なしの名演奏。実を申せば、筆者はここしばらく神奈川フィルの実演に接していなかった(特に深い理由はないのだが)。久方ぶりに聴くこの日の演奏、同フィルの格段の進境ぶりに嬉しくなる。タイトな合奏、それでいて合わせることに汲々としていないヴィヴィッドな躍動感。ソロとしての妙技とアンサンブルとしての機能が見事に両立している木管群、ホルンの好調…。もちろん高関の指導のたまものとは言え非常に高いレヴェルである。これでフィジカルな底力があればさらに完全だったろう。オケは14型、ティンパニはバロック式、弦楽器はノン・ヴィブラート基調、快速テンポで進みつつもその音楽は全く上滑りせずに抉りが利いている。その意味で第1楽章の展開部や第2楽章の二重フガート部分は大変な聴き応え。最近接した『英雄』の実演中でもトップレヴェルのものといいうる。今後神奈川フィルをもっと聴かねば、という気にさせられた演奏であった。

 (2018/7/15)