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ギル・シャハム ヴァイオリン・リサイタル|藤原聡

ギル・シャハム ヴァイオリン・リサイタル

2018年6月24日 紀尾井ホール
Reviwed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ヴァイオリン:ギル・シャハム
ピアノ:江口玲

<曲目>
クライスラー:プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
S.ウィーラー:ヴァイオリン・ソナタ第2番『歌うトルコ人』
ドルマン:ヴァイオリン・ソナタ第3番『ニグン』
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
(アンコール)
サラサーテ:『カルメン幻想曲』から
ボルコム:『グレイスフル・ゴースト・ラグ』

 

シャハムの実演に接するのは昨年11月のネルソンス&ボストン交響楽団来日公演におけるチャイコフスキーの協奏曲に次いで今回が2度目だが、今回の紀尾井ホールでのリサイタルでは現代におけるヴァイオリン演奏の技術的極致をまざまざと見せつけられたかのような「完璧な」演奏を披露した。とにかく上手い。いや、上手過ぎるほど。

1曲目はクライスラーが演奏されたが、冒頭から端正かつ滑らかで正確なフレージング、しっとりとした美音、あまりに見事な音程、とおよそヴァイオリニストに求められるものが全て揃っている感。前奏曲からアレグロへの移行における音色の対比も鮮やかで、またこのアレグロ部分での音の粒立ちと言うか発音の明晰さも素晴らしい。技術的にここまで余裕の感じられるこの曲の演奏を初めて聴いたと言っても過言ではない。この1曲だけでシャハムの隔絶した実力を痛感させられる。

当初はプロコフィエフの『5つのメロディ』が2曲目に演奏される予定であったが、シャハムの強い希望によってアメリカの現代作曲家スコット・ウィーラーのヴァイオリン・ソナタ第2番『歌うトルコ人』に変更となる。当日のプログラムによれば、作曲者はラリー・ウォルフの著書『歌うトルコ人』のタイトルをそのまま曲の題名とし、その内容はオペラ作品におけるトルコ人の登場人物を考察したものとのことだ。ウィーラーはそこに登場する3つのオペラを題材として3楽章からなるソナタを完成させた。それが本作である(ちなみに引用された3つのオペラとはヘンデルの『タメルラーノ』、ポール=セザール・ジベールの『3人の王妃』、そしてロッシーニの『イタリアのトルコ人』)。

エキゾティシズムの象徴としての「西欧から見たトルコ」がどのようにクラシック音楽の中で表象されて来たのか、というテーマがあるのかどうかは定かではないが、本作にいわゆる「現代作品」的な難解さは微塵もなく極めて親しみ易い佳品。物悲しい叙情的な旋律を持つモデラートとアダージョのそれぞれ第1、2楽章に無窮動的な超絶技巧が披瀝される軽快なアレグロの終楽章、とヴァイオリンという楽器のポテンシャルを十全に発揮するように書かれている。こういった楽曲はまさにこのヴァイオリニストにうってつけであり、シャハム自身が「ぜひ日本で弾きたかった」と述べているのも納得できる。名演だ。

3曲目もまた現代作品で、イスラエルの作曲家アヴネル・ドルマンによる『ニグン』。このタイトルを見てブロッホの同名曲を思い出す方も多いだろうが、本作もブロッホ作品と同様にユダヤの伝統音楽であるニグンを取り入れている。さらにはプログラムによると作曲者は北アフリカや中央アジア、東欧のクレズマー音楽などの諸地域のユダヤ伝承音楽を調査し、それらから引き出した要素を現代的な語法で再構築した、という(同時に非ユダヤ系の音楽的伝統をも組み込んだとのこと)。

冒頭、ヴァイオリンの持続する音からも即座に明らかなようにその音楽と奏法共々極めて民族音楽的な色彩が濃厚で、ドルマンはヴァイオリンをいわゆるクラシック的な技法によって扱ってはおらず、それはほとんどフィドル的に聴こえる。ジョージア(グルジア)やマケドニアの民族音楽的要素をも取り入れての沈滞と高揚のコントラストが非常に激しいこの音楽は、ある意味でポスト・クラシカル的作品と形容できるのかも知れない。シャハムの演奏はここでも万全であり、特に終楽章での超絶技巧では余裕すら感じさせる演奏で、難しい曲をいかにも難しく弾かずあっさりとこなしてしまう(もちろん実際に「あっさり」ということはないだろうが、外から見るとそうとしか見えないのだ)。

休憩を挟んでシャハムのソロによるバッハ。このパルティータ第3番のガヴォットとロンドーは本稿冒頭に記した昨年のチャイコフスキーの協奏曲の後にアンコールで弾いたと記憶しているが、それは随分と屈託のないストレートな演奏だと感じたものだ。この日の演奏でもその印象はほぼ変わらない。多彩な右手のボウイングによってその音楽の表情や音色は常に変化がもたらされ決して一本調子にならないのは凄いのだが、それぞれの舞曲の違いに対する表現様式の変化があまり感じられないので全て同じ雰囲気の元に演奏されているように聴こえる。全体にテンポが速く、その音楽には屈託と逡巡がまるでない。一応書いておくが、ヴァイオリン演奏としての技術的水準はとにかく隔絶している。まさに驚嘆すべきレヴェルだが、もっと陰影と内面的な深さが欲しい、というのが偽らざる思い。

それはプログラム最後のフランクも同様で、この渋く落ち着いた精神的高揚と充足感を伴うはずの楽曲が非常に速いテンポで「サクサクと」弾き進められて行く。妙に辛気臭い演奏よりははるかに素晴らしいのだが、この「軽さ」にはかすかな違和感が残る。尚、バッハを除いた曲でピアノを弾いた江口玲も本当に達者で、シャハムとの呼吸、音楽的な方向性も完璧に合致している。しかしそれだけにフランクでのこのピアニストの演奏も相当に豪胆ではあったが…。

アンコールは掛け値なしの名奏。サラサーテの技巧の冴えは信じ難いレヴェルであり、そしてボルコムの洒落たラグタイムはシャハムと江口にぴったりではないか。誤解を恐れずに書けば、シャハムにはメタフィジカルなものが求められる作品よりもこういう楽曲が合う。

(2018/7/15)