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フランチェスコ・メーリ テノール・リサイタル|藤堂清

フランチェスコ・メーリ テノール・リサイタル

2018年6月27日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
フランチェスコ・メーリ(テノール)
ルーカ・ゴルラ(ピアノ)

<曲目>
ブリテン:《ミケランジェロの7つのソネット》より
   〈あたかもペンとインクで記したように〉op.22-1
   〈お前の美しい眼によってやさしい光を見る〉op.22-3
   〈美しい魂よ〉op.22-7
レスピーギ:霧 / 雨 / 雪
プッチーニ:すてきな夢 / 進め、ウラニア!
——————–(休憩)———————-
トスティ:子守唄 / 理想 / 最後の歌
ヴェルディ:《イル・トロヴァトーレ》より〈ああ、いとしいわが恋人よ〉
チレーア:《アドリアーナ・ルクヴルール》より〈君の優しく微笑む姿に〉
ヴェルディ:《シモン・ボッカネグラ》より〈何たることだ!アメーリアがここに!〉
——————(アンコール)——————-
ドニゼッティ:《愛の妙薬》より〈人知れぬ涙〉
デ・クルティス:忘れな草
プッチーニ:《トスカ》より〈星は光りぬ〉

 

若手と思っていたメーリも38歳。
はじめのころはロッシーニやドニゼッティといったベルカント・オペラをレパートリーとしていたが、近年、ザルツブルク音楽祭で《アイーダ》のラダメス、スカラ座で《二人のフォスカリ》のヤコポ・フォスカリ、そして今回来日したバーリ歌劇場公演では《トロヴァトーレ》のマンリーコ、といった具合に、ヴェルディの重めの役を歌うようになってきた。

トスティの歌曲から始まる後半は圧巻の出来。オペラ・アリア3曲は、彼の最近のレパートリーであるスピント系のもの。
〈ああ、いとしいわが恋人よ〉の弱声の美しい響き、そこから自然に強声へと移っていく。それが、聴衆も会場もふるわせるような圧倒的な力感。音程が安定しているし、まったく無理なところがないから、聴いていて気持ちがよい。
〈何たることだ!アメーリアがここに!〉では、出だしの部分の激しさ、中間部で神に慈悲を求めるときの悲痛な声、最後に盛り上げていくところでの響きの厚み。ダイナミクスの幅が大きく、常に明るさを感じさせる。どんなに声を大きく張り上げても、音楽のスタイルはきっちり守っている。
ドラマチックな役を歌えるテノールでイタリアを感じさせる声、これからも貴重な存在でありつづけるに違いない。

この日のプログラム、前半では歌曲が歌われた。
ブリテン、レスピーギといった、オペラ歌手メーリのイメージからは想像しにくいもの。楽譜をおいて演奏された。すべて歌詞はイタリア語。
最初のブリテンの《ミケランジェロの7つのソネット》よりの3曲。老年のミケランジェロの詩は美少年への愛を語る。それに作曲家が、自身のピーター・ピアーズとの関係をうつし込んだ作品。メーリはそういった屈折した感情は表に出さず、愛する思いの強さを歌い上げ、明るい声が紀尾井ホールを満たす。イギリスのテノールで聴く機会が多い曲であり、彼らは上に述べたような背景を意識した歌い方をする。それに対し、メーリは選んだ曲を素直に表現したと捉えることはできるのかもしれないが、将来彼がこの《ミケランジェロの7つのソネット》全曲を取り上げるならば、作詞家や作曲者の状況により踏み込むよう期待したい。
レスピーギの曲は、情景を描写する詩に付けられているが、それに仮託した孤独感、喪失感を歌う。ブリテンの歌では少し聴き取りにくかった言葉がこちらではスーッと入ってくるし、彫琢された声は見事だが、明るすぎる歌い方と聴いた筆者がへそ曲がりなのだろうか。

メーリは着実にレパートリーを拡げてきている。絶頂期をむかえようとする彼の現在を聴けたことは幸せなことであった。また現状に満足せず、歌曲の分野への意欲を見せてくれたことも楽しみである。

最後になるが、ルーカ・ゴルラが、コレペティトール、指導者としての名声にふさわしく、メーリの歌の様式感を支えるピアノを弾いた。使われたファツィオリの明るい音も彼の歌にふさわしいものであった。

(2018/7/15)