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カデンツァ|ガスパロ・ダ・サロが来た!|丘山万里子

ガスパロ・ダ・サロが来た!

text & photos by 丘山万里子(Mariko Okayama)

ビソロッティ一族の工房

ガスパロ・ダ・サロが手元に来た、と友人の楽器職人Sさんからの知らせ。
ガスパロ・ダ・サロ(1540~1609)は北イタリアのブレシアの楽器職人でヴァイオリンの創始者との説もあるが、この街から50キロほど離れたクレモナのA・アマティ(1505~79)の方が先だ、との主張もあり、が、何と言ってもストラディヴァリ(1644~1737)でその名を轟かせるクレモナであれば、ガスパロ・ダ・サロなど知る人ぞ知る、である。
私は以前、楽器のことを少し知りたいとクレモナに1ヶ月ほど滞在、有名どころのクレモナ職人(ビソロッティ、モラッシ、コニア、ノッリら)と日本人職人の工房を訪ね歩いた時、その名を覚えた。

Sさんはクレモナ国際弦楽器製作学校で学び、2007年ピゾーニェ弦楽器製作コンクールのコントラバス部門1位受賞など、各地で製作・修理の指導にあたるほか、クレモナと日本に工房を持つ(コントラバスがメイン)。
ガスパロ・ダ・サロ(以下、ガスパロ)はかぐわしく豊かな音色のアマティと異なり、豪放で力強い鳴りを特徴とし、ヴィオラ・ダ・ガンバやコントラバス(以下コンバス)を多く残した。Sさんの東京工房に来たのはそのコンバスで、名古屋フィルハーモニー交響楽団からの修理依頼を受けて、とのこと。
ぴかぴかつやつやのストラディヴァリもいいけれど、私はオーケストラでもコンバスが存分に鳴るとぞくぞくする。派手なヴァイオリンより縁の下の力もちが好きなのだ。
ガスパロのコンバスだって?
たぶん1500年代のものだろうからストラディより100年近く古い。そりゃ、会わせていただかなくちゃ。
と、彼の工房に飛んで行ったのは昨年の5月半ば。
それから1年あまり、日本帰国のたび、何度か拝みに通ったのである。

その初対面。
当たり前だが修理のため、楽器は解体されている。けれど、机の上に立てられた表板の美しさよ。くすんだ茶褐色のボディ、優美なライン、黒い唐草装飾が素敵にクラシカルだ。400年近くの年月が刻まれた木肌(傷とかアザ、割れがいっぱいある)に触れると微妙なザラザラ感が人懐っこい。
ペグ部分のプレートには、なんとドラゴネッティのサインが刻まれているではないか!
ドラゴネッティ(1763~1846)とはコンバスの名手でソロ演奏の先駆者。ハイドンやベートーヴェンと親交があり、ウィーン訪問の折にはベートーヴェンと合奏したというエピソードも。その傑出した演奏技術は交響曲のパート譜や書法にも影響を与えたそうだ。
彼は楽器のコレクターでもあり、ガスパロのコンバスを3台所有したとのことで、一つはロンドン、もう一つはヴェネツィアに保存されており、残りの1台がこれ!(らしい、と用心のため言っておく。GASPARO DA SALOのボロボロシールもあったがこれは本人のものではないそうだ)
美術館や博物館でなく、何世紀にもわたり世間の空気を吸い続け、人に弾かれている唯一の1台だなんて、すごい!と、思わず撫でてしまうのであった。
修理中の楽器の中を見るのは初めてで、バンドエイドみたいな薄い木片がいっぱい貼り付けてあり、肩こり磁石治療に使うような丸いパッチもパラパラ。なるほど、怪我の部分の手当というわけね。
が、Sさんに言わせると先人のこのベタベタ手当は「ひどい仕事」だそうで、まずこれを剥がしてゆかねばならないそうだ。
職人は先人がどんな仕事(修理)をしたか一目でわかるわけで、その意味では、自分の仕事も次の誰かに見られて「ひどい」と言われぬように、心して向かわねばならない。ミリより薄い繊細緻密な作業で、生かすも殺すも、外科医の「神の手」と同じなのだ。
と、ごつくデカいSさんの手を崇め見る(というより、五感をフル稼働させねばできる仕事ではない)。

S・コニアの工房

クレモナでのこと。
当地の名工たちはみな、日本人は手先が器用で教えることは完璧にこなすが(弟子に使うにはもってこい)オリジナリティが無い、と私に言った。だから修理に向いている、とも。その音は、クール(当地で聴き比べての私の感覚では平べったい)だそうだ。
コニアは、削りすぎた時、調整するかやり直すかの選択で、日本人はやり直す、と語った。
ミスから生まれる可能性へのトライをしない、それでは創造性は生まれない、と。
技術完璧、創造性欠如は日本人の演奏にも指摘されることで、聞きながら私はやっぱりなあ、と思ったことは確か。
楽器の克明な分析データを書き付けた分厚いノートを見せてくれた日本人職人と、科学技術でストラディヴァリの秘密を解明!なんて研究は同一路線に思えたし。
でも。
そういう了解の仕方で話を終わらせてよいものだろうか。
文化の相違を認識、互いに学ぶ姿勢が大事、とか、結局は「人だ」という言葉も聞いたが、日本の文化的特性についてはもっときっちり考えたい問題だ。
現代のストラディヴァリなどともてはやされるビソロッティ一族の家内手工業・伝統的職人気質は、日本の仏師や宮大工の仕事と重なる。では、仏師や宮大工に創造性は無いか?
いや、そもそも何気なく口にする「創造性」(個性とかオリジナリティと連動してしばしば語られる)という言葉の概念、その内実を、とりあえず東西の文化史(技術と芸術の分岐も含め)から、私たち、一度洗い直したほうがいいんじゃないか。
日本は外来文化の吹き溜まりだが、その異文化受容パターンを考えるに、仏教伝来とその変容(インド〜中国〜日本)あたりをモデルにするのも一つの手では、とか。
一方で、本家崇拝の日本人が高額ブランド品を買い漁るのは商売上歓迎なわけで、都合のいいマーケットにされてきたが、昨今はその栄光も廃れ気味、粗悪とされた中国製品の評価も高まり、世界に出回るようになったとも聞く(中国ビジネスはユダヤに匹敵する力を持つことは華僑の歴史が物語る)。
が、この7~10月に東京で開催される『ストラディヴァリウス フェスティバル2018』にストラディ21丁(総額推定210億円)が集結、などというニュースには、日本、変わらんな、と思うのだ。
などなど、この辺りの話は追いかけると大変なので、ここではおくけれども。

重厚かつ気品あるガスパロを見ながら、触れながら何より感じたのは、これが「木」であること。
宮大工の棟梁が「木の癖を読み、生かせ」というように、木は育つ場所で性質が異なるから、木材の選定が第一歩。名器たるには自然木(植林木不可)、木目、色合い、柔硬、伐採時期、自然乾燥など諸条件を満たさねばならず、さらに適切な木取りと厚みの配分が必要。ゆえにどの楽器も「この世でたったひとつ、唯一無二」の原型であれば、そこにどんなデータの集積・再現を試みようと完全コピー(複製)ができるわけがない。生きとしいけるもの全て、そういう命を宿す。
さらに楽器は弾き手によって育つ。職人たち(日本人も)誰もが口を揃えて言ったのは、それ。使われた時間、奏者の手(振動の癖に染まる)による歴史的蓄積が楽器の細胞となって増大、拡張される。ゆえに楽器は常に未知の領域を孕む、と。
木の命と人の命の交感が世紀を超え、楽器を育て、一方で奏者をも育ててゆくのだ(名器は奏者を導く)。
目の前のコンバスのように修理職人の手も加わるわけで、早い話、この1年、クレモナと日本を行ったり来たりの中でこの楽器が経験したもの、吸った空気も歴史的時間として刻まれ、次なる奏者に手渡される。
おお、ならば私の指先も、かすかな痕跡を残したかも・・・。

製作と修理は全然違うが、400年近い歴史の一瞬に Sさんは確実に関与した。私もそのおこぼれにあずかった。
最後にこの楽器に会ったのは5月末。バンドエイドは姿を消し、新たな木片(収縮への対応に、面取りされた平行四辺形。人により、楕円だったり色々だそうだが、それぞれに最善の工夫を凝らす)があちこちに貼られ鎮座していた。
そのボディからは、こんな声が。
ほら、私を行き交う無数の命の脈動を聴いて。
6月末に納品と聞き、半ばに電話したら、もう名古屋だった。
修理を終えた(本当はまだまだだ、と彼は言っていた)高貴なガスパロの「ねいろ」を私は聴かずじまい。「全然違う。鳴るようになった」んだそうだ。うう。
来年3月に名フィルが東京に来るから、行ってみるぞ。聴き分けられないだろうけど。

クレモナを訪ねる前、『バイオリン製作 今と昔』(ヘロン・アレン著/1893)という古い本を読んでメモした言葉。
「東洋に由来しない西洋のものはない。」
「今世紀の前半に作られた楽器はイタリアの巨匠たちがやがて他のすべての物と同様に不可避な年齢と共に死する時、彼らの作品に取って代わる価値が出る。」

道はめぐり、人は行き交う。
自然は「ここ」と、境界を定めない。
自然と人為(文化文明)のダイナミズムと流動を世界(地球)と歴史に読み取り続けること。
ふと、カンボジアのタ・プロムで見た光景を思い出す。巨大なガジュマルがアンコール遺跡を覆う姿。破壊しているのか支えているのか、判別不能と聞いた。

人も木も、命は畢竟、死を迎える。
数百年後、新たに現れているであろう「価値」、現代の名工は今、いずこに。

(2018/7/15)