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ヴィットリオ・ギエルミ ヴィオラ・ダ・ガンバ・リサイタル|大河内文恵

ヴィットリオ・ギエルミ ヴィオラ・ダ・ガンバ・リサイタル

2018年5月12日 近江楽堂
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ヴィットリオ・ギエルミ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

<曲目>
M. マレ:
  プレリュード ホ短調(ヴィオル曲集第2巻[1701]より)
  アルマンド ホ短調(ヴィオル曲集第2巻[1701]より)
  スペイン風サラバンド ホ短調
    (ヴィオル曲集第2巻[1701]より)
  冗談 嬰へ短調(異国趣味による組曲 ヴィオル曲集第4巻[1717]より)
  人間の声 ニ長調(ヴィオル曲集第2巻[1701]より)
  ミュゼット(ヴィオル曲集第4巻[1717]より)
  アラベスク(異国趣味による組曲 ヴィオル曲集第4巻[1717]より)
C.T.ヒューム:
  聞け、聞け!
  パヴァン
V. ギエルミ:バグパイプ
A. フォルクレ:ヴィオラ・ダ・ガンバのためのファンタジア ト短調
J. S. バッハ:組曲 ニ短調 BWV 1008(無伴奏チェロ組曲第2番)
K. F. アーベル:ヴィオラ・ダ・ガンバのための3つの小品

~アンコール~
ギエルミによる即興演奏2曲

 

演奏者の希望により、休憩なしでおこなわれたこのコンサートは、開始から本篇最後の曲が終わるまで、裏に引っ込むこともなく、1本勝負。聴くほうの気力・体力も試される演奏会だった。

ヴィオラ・ダ・ガンバというと真っ先に思い浮かぶマラン・マレの曲から、リサイタルは始まった。マレの曲はメランコリックで流れるように歌うイメージが強いのだが、ギエルミにかかるとまったく印象が違う。最初の3曲は点描画を思わせる刹那的なもの。弓が弦をこするかこすらないかギリギリの弱音には心が震えた。4曲目の『冗談』は分散和音を多用するテクスチャーで、劇的にしようと思えばいくらでもできるはずだが、ギエルミはそういったものをすべて削ぎ落とし、素のままの曲を提示してみせた。今まで聴いていたのはいったい何だったのか?いやいや、凡庸な奏者が同じように弾いたら練習曲にしか聴こえない。それをここまでの完成度で聴かせるとは。

『人間の声』では、かすれ声のような音色で絞り出すような「声」を聴かせ、『ミュゼット』では一転して艶やかな音色で本当にミュゼットで弾いているのではないかと思わせた。最後の『アラベスク』は分散和音をはっきりと「分散」させて弾く演奏が多いが、ギエルミはあえて分散させず弾くことによって、曲の輪郭を明確に示した。

つづくヒュームの曲は非常に即興的で、その流れはギエルミ自身の曲『バグパイプ』に続く。『バグパイプ』ではイギリスっぽい曲調が存分に楽しめ、遠くに消えていくような終わりかたが印象的であった。

フォルクレ、テレマンでは、それまでの自由度が下がり、堅苦しい感じになる。もちろん、曲として悪くはないのだが、ヴィオラ・ダ・ガンバのために作られた曲であるにもかかわらず、この楽器でなければならない理由が見当たらない。おそらく曲調と楽器の相性があまりよくないのだろう。

それが、バッハになると一変する。本来チェロのために書かれた曲なのだが、この楽器に実に合うのだ。バッハがヴィオラ・ダ・ガンバのために作曲したのではないかと思ってしまうくらいに。バッハの音楽の懐の深さに改めて感じ入った。

最後はアーベルの作品。分散和音と音のぶつかりが心地よい。この曲だけではないが、ギエルミの演奏は、和声の細かい変化を過不足なく的確に表現しており、その細やかさ1つ1つに心を奪われる。近江楽堂という小さな空間で演奏したのは、それらすべてを聴いて欲しいからなのだなと納得した。

アンコールはいずれも即興演奏。2曲目の最後には、指板がなくなったさらに先の方まで使って弾き、こちらが驚愕しているのをみて、笑顔で終えた。奇を衒わず、本質を聴かせる演奏に修行僧のような雰囲気を感じていたのだが、茶目っ気たっぷりのアンコールに心がほころんだ。

(2018/6/15)