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東京都交響楽団 第855回定期演奏会Bシリーズ|平岡拓也

東京都交響楽団 第855回定期演奏会Bシリーズ

2018年5月22日 サントリーホール 大ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

<演奏>
ソプラノ:ヒラ・プリットマン
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部達哉
指揮:下野竜也

<曲目>
メンデルスゾーン:交響曲第3番『スコットランド』
コリリアーノ:ミスター・タンブリンマン─ボブ・ディランの7つの詩(2003/日本初演)

 

2006年の読響就任披露での『交響曲第1番』、2008年の『ザ・マンハイム・ロケット』『ハーメルンの笛吹き幻想曲』、2012年の『音楽に寄せて』、映画『レッド・ヴァイオリン』から生まれた『ヴァイオリン協奏曲』と、継続的にジョン・コリリアーノ(1938-)作品を取り上げてきた下野竜也が、都響定期において『ミスター・タンブリンマン─ボブ・ディランの7つの詩』の日本初演を行った。独唱者は同曲の管弦楽版初演、CD録音(ファレッタ指揮バッファロー・フィル、NAXOS)でも歌っているソプラノ、ヒラ・プリットマン。デトロイト響との演奏動画もウェブ上で観られる。

現代を代表するシンガーソングライターとして知られるボブ・ディランだが、コリリアーノは彼の音楽を聴いたことがなかったという。コリリアーノは純粋に詩への興味から詩集を手に取り、「全ての人へ語りかける詩人」としての彼に魅せられ『ミスター・タンブリンマン』を書いた。普段親しんでいるディランの詩が全く違った音楽を得てどのように響くのか、という楽しみ方をされる音楽ファンも多かったことだろう。(筆者は、幸か不幸かこれまでディランの音楽は一切聴いたことがない)

プリットマンは譜面を持たずに現れる。流石は初演者―などと呑気に構えていると、彼女はサントリーホールの舞台狭しと駆け巡り、あらゆる方向に向けて、鋭くディランの詩世界を刻み込み始めるではないか。その姿はさながら現代の「狂乱の場」と言いたくなるが、歌い手は正気を失っているわけではない。寧ろきわめて冷静かつ精緻に言葉を紡いでゆく。軽妙なプロローグ、日常の一場面を柔和な筆致で切り取った「物干し(Clothes Line)」に続く「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」で第一の音響的頂点がやってくる。自然や社会に対する問いかけの言葉が蓄積され、「こたえは風に舞っている」という楽章の題のリフレインが曲に槌を打ち込む。楽曲冒頭の低音楽器による下降音型は葬列を思わせ、音楽の性格を悲壮なものにしている。第4曲「戦争の親玉」では言葉は直接的な糾弾へ変化し、弱音器付きの金管・多数の打楽器・木管は歌詞の皮肉(”And I hope that you die”以降の訴求力!)をこれでもかと抉り、暗喩する。音楽の性格で第3曲と対をなすのが、第6曲「自由の鐘(Chimes of Freedom)」だ。聴く者の心を揺さぶる直截な言葉が”Tolling for…”に結実する瞬間に、コリリアーノは3方向からチューブラー・ベルを鳴らす。あらゆる境遇の人々に勇気を与えるため―たとえそれが気休めであっても―鐘は力強く、全方位的に鳴り響くのだ。音楽はここで終わっても良かったのだろうが、更に小さな後奏曲として「いつまでも若く(Forever Young)」で敬虔な祈りが捧げられる。

演奏開始から慎ましい祈りで全曲が閉じられる瞬間まで、息を殺して聴いていた。コリリアーノがディランの詩に心から打たれ、真摯に作曲していることが音楽の節々から痛いほどに伝わってきたのだ。これは一節たりとも聴き逃すべきではない―と、作品の力に引き寄せられた。(もちろん、PAで拡声しているとはいえ注意深く聴かなければ16型の大オケと独唱の交錯を聴取するのは困難、という実情はあるにせよ)作品の日本初演にプリットマンを迎えられたことは何より大きく、また彼女を支えつつ明晰に都響を鳴らした下野竜也の手腕も大いに讃えたい。

ディランの詩は平易な装いの中に、社会や集団が内包する暴力性、個人の弱さを鋭く指摘している。その世界観に音楽という形で寄り添ったコリリアーノの本作は、マーラー『大地の歌』、ツェムリンスキー『抒情交響曲』、シェーンベルク『ワルシャワの生き残り』などと並ぶ感銘をもたらしうる作品だ。これからも各所で演奏され続けることを真に祈りたい。

なお、前半にはメンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』が演奏された。後半との関係性は希薄に思われたので最後に記すことにしたが、こちらも同じく16型の大オケを終始筋肉質に鳴らし、モダンオケの機動力を全開とさせた秀演であった。肉感豊かなコントラバスの唸り、重厚な管楽器のハーモニーなどは、まるで細密な油彩画を見るようで隙がない。2月に聴いたレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルによる、凹凸を激しく打ち出す演奏の対極に位置するメンデルスゾーン解釈だ。

(2018/6/15)