第56回大阪国際フェスティバル2018 ロッシーニ《チェネレントラ》 |能登原由美
第56回大阪国際フェスティバル2018 ロッシーニ《チェネレントラ》
2018年5月12日 フェスティバルホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 森口ミツル/写真提供:朝日新聞文化財団
<演奏>
指揮:園田隆一郎
演出:フランチェスコ・ベッロット
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
<キャスト>
アンジェリーナ:脇園彩
ラミーロ:小堀勇介
ダンディーニ:押川浩士
ドン・マニフィコ:谷友博
クロリンダ:光岡暁恵
ティズベ:米谷朋子
アリドーロ:伊藤貴之
ロッシーニ没後150年ということもあり、今年の大阪国際フェスティバルでは彼のオペラ《チェネレントラ》が上演された。早くから話題を集めていたのは、アンジェリーナ役を務める脇園彩。イタリアの「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」で脚光を浴び、その後はミラノ・スカラ座でのアンジェリーナ役をはじめ、イタリアの主要劇場への出演という快挙を成し遂げた期待の新人である。本場イタリアで高い評価を受けた上での帰国凱旋公演といった趣もあり、観客の多くはその歌声に酔いしれることを期待していたに違いない。もちろん筆者もその一人だった。
だが残念ながら、今回の公演ではその期待が満たされたとは言い難い。この日の脇園は、登場から終演までどこか精彩を欠いていた。その売りの一つと言われる難度の高いコロラトゥーラの連続こそ大きなミスはなかったものの、声そのものにハリがないのである。終盤のアリアになってようやく挽回の兆しが見えたものの、全体的に他の出演者に比べても声が響いていないのは歴然としていた。もちろん、これがミラノ・スカラ座で同じタイトル・ロールを務めた者の実力というわけではないだろう。ひとえに、彼女の本来の力が発揮されなかったのだと思いたい。
一方、主役の不調をカバーしていたのが脇役陣である。とりわけドン・マニフィコ役の谷友博が素晴らしかった。歌唱や演技はもちろんのこと、ロッシーニ喜劇の醍醐味とも言える場面展開に欠かせないテンポ感と推進力を備え、全体をうまくリードしていた場面が何度もあった。同様に、艶のある美声を効かせたクロリンダの光岡暁恵もその喜劇的な役回りをうまく演じていた。登場する場面は少ないながらも米谷朋子のティズベも芯のある声と豊かな歌唱で存在感を示していたと思う。彼女はもう少し大きな役回りで聞いてみたいものだ。ラミーロを演じた小堀勇介は、美声で歌詞の扱いなど歌い回しが丁寧で真摯。ただ声があまり届いてこなかったのが残念だが、これはオペラ公演には広すぎる会場のせいかもしれない。
さて、イタリアの演出家、フランチェスコ・ベッロットによる舞台の構想は、物語という空想の世界を舞台上に具現化するもの。2008年にイタリアで行ったプロダクションの再演となる。登場人物たちは舞台中央に置かれた大きな本の中から現れ、その中に戻っていくという仕掛けだ。我々観客は、本来なら読みながら自らの頭の中でバーチャルに繰り広げていく物語の世界を、舞台を通してリアルで体験していくといった様相を呈する。登場人物が細かく動き回ることで軽やかさやコミカルな表情が与えられるが、重要なアリアの場面ではその動きがはたと止まり、緩と急、静と動の変化が全体の流れに躍動感を与えるものとなっていた。
ただし、我々が体験するのはあくまでベッロットの空想の世界。個人の空想の世界は時に他者を置き去りにもする。背後のスクリーンに断続的に映し出される映像(人の足に始まり、マッチをこする手、水をこぼす手、幼児の顔などが現れる)は、何かの暗喩であったのだろうが最後までその意図がわからず、逆に我々の目を舞台や音楽から逸らせてしまうだけになった。もちろんプロットや楽譜の忠実な再現だけではつまらないが、やはりロッシーニの音楽の世界を堪能することが大前提であろう。
園田隆一郎が指揮したオーケストラ(日本センチュリー交響楽団)は、ロッシーニの喜劇性を出すには少し慎重すぎたのではないだろうか。確かに、前のめりになりやすい歌唱につられて全体が危うくなる場面も多々あったが、その都度ブレーキをかけ沈静化をはかってしまうために喜劇のドタバタ感が損なわれるのである。特にマニフィコによる巧妙な場面展開を抑えてしまった箇所が何度かあり、高揚する気分や緊張感に妙に歯止めがかかってしまうのが口惜しかった。
終わってみれば、当初の期待とは異なり、脇役の奮闘が印象に残る。何せたった一日限りの公演。その肝心の日に、それまで積み上げてきたものがうまく発揮されるとは限らない。華々しい舞台の裏での見えない苦労を感じるとともに、オペラ公演を成功させることの難しさを改めて考えさせられた。
(2018/6/15)