井上道義指揮 バーンスタイン生誕100週年記念演奏会|齋藤俊夫
横浜みなとみらいホール開館20周年
井上道義指揮 バーンスタイン生誕100周年記念演奏会
2018年5月26日 横浜みなとみらいホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Phots by 平舘平/写真提供:横浜みなとみらいホール(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)
<演奏・曲目>
(全てレナード・バーンスタイン作曲)
指揮:井上道義
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
『ハリル』
フルート:工藤重典
『セレナード』
I:「パイドロス――パウサニアス」
II:「アリストファネス」
III:「エリュクシマコス」
IV:「アガトン」
V:「ソクラテス、アルキビアデス」
ヴァイオリン:山根一仁
交響曲第2番『不安の時代』
第1部:「プロローグ」「7つの時代」「7つの段階」
第2部:「挽歌」「仮面劇」「エピローグ」
ピアノ:福間洸太朗
ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』より『シンフォニックダンス』『トゥナイト』
ソプラノ:鷲尾麻衣
テノール:古橋郷平
シアターピース『ミサ』より
第1曲:「ミサの前の祈祷」より第2番 讃歌と詩編「シンプル・ソング」
第9曲:福音書 説教「神は言われた」
第16曲:聖体分割式「すべて壊れる」より
第17曲:「シークレット・ソング」
司祭:大山大輔(バリトン)
ストリートコーラス
ソプラノ:鷲尾麻衣、小川里美、藤井玲南、メゾ・ソプラノ:森山京子、
テノール:古橋郷平、宮里直樹、又吉秀樹、
バリトン:籔内俊弥、ヴィタリ・ユシュマノフ、バス:ジョン・ハオ
ボーイソプラノ:込山直樹
東響コーラス
ロックバンド:白石准(E.Key)、坪川隆太(E.Gt)、小枝英隆(E.Gt)、小野田篤(E.Bs)、佐々木章(Drs)
ブルースバンド:川畑淳(E.Key)、船津恵一(E.Bs)
パイプオルガン:石丸由佳
スモールオルガン:小埜寺美樹
バーンスタインのメモリアルイヤーである本年、彼の作品を取り上げた演奏会は数あれど、曲目と指揮者・演奏者に一分の隙なし、と、筆者にとって期待度が最も高いのは今回の演奏会であった。
1973年の第4次中東戦争で死んだフルート奏者とその兄弟たちに捧げられた『ハリル』、安らかに、甘やかに、あるいは悲愴に工藤重典のフルートとオーケストラが死者の魂の安らぎと平和への祈りを奏でる。激しいがクールなダンス風の音楽が中盤に挟まれるのもいかにもバーンスタインらしい。最後は祈りの音楽に戻って了。静かなれども「これからバーンスタイン尽くしが始まるのだ」というワクワク感に包まれた。
愛について語り合ったプラトンの対話篇『饗宴』を元に書かれたヴァイオリン独奏と弦楽オーケストラトハープ、打楽器のための『セレナード』、これはもうソリスト・山根一仁の独壇場というか、彼のヴァイオリンのあまりの完璧さに何も考えられなくなるほどであった。
繊細なピアニシモ、ショスタコーヴィチか伊福部昭かという太い音色、斬りつけるような激しいダウンボウ、正確無比な高速パッセージ(第3楽章のそれは驚異としか言いようがない)、バーンスタイン流にクールかつホットに踊るように、等々、どこを聴いても奏者の表現と作品が要求する音楽が全くズレることなくピタリと決まっていて、しかも山根の個性が感じられる。弦楽オーケストラとソリストが駆け抜けて終曲した後、筆者は思わずブラボーを叫んでいた。
福間洸太朗のピアノ独奏を伴う交響曲第2番『不安の時代』、この作品もまた冴え渡るソリストの技巧に圧倒された。「7つの時代」第1変奏でピアノが登場しただけで、ピアノとはかくも美しい音を鳴らす楽器だったかと思わせられた。重さを感じさせない福間のピアノはまさに天国的・天使的。「不安の時代」を音楽化した箇所では、音は軽くとも実に表現力が強く、こちらに訴えかけてくる。
だが、第2部のジャズ風の軽快な「仮面劇」はいささか福間と作品の性格に齟齬があったと正直に言わねばならない。ピアノがスイングできていなかったのである。やはり、福間はクラシックのピアニストなのだなあ、と思わざるをえなかった。
しかし最後の「エピローグ」で信仰の回復とその喜びを堂々と奏でるフィナーレを迎え、福間洸太朗ここにあり、と感じ入った。
『ウェスト・サイド・ストーリー』より『シンフォニック・ダンス』と『トゥナイト』(ミュージカル形式で上演)、これはまさにバーンスタイン、井上道義、神奈川フィルが三位一体となった音楽。機械的な演奏とは無縁、「ノリノリ」な、奏者が皆競い合うような痛快至極な合奏に(金管の音が割れんばかりというより実際割れていたが、それがまた良い)、「サムウェア」「トゥナイト」のメロウな旋律、どちらも「最高!」としか言いようがない。
最後の『ミサ』抜粋の前に井上道義がバーンスタインの思い出を少し語った。意外なことに、バーンスタインはいつもタバコとアルコール臭くて楽団員にガミガミ言い続ける人間で、井上は近寄らなかったとのこと。筆者が昔ドキュメンタリーで見た子供たちと音楽を語る彼の姿とは正反対である。そしてバーンスタインは自分や世界というものに心底絶望していた、だからこそ彼は音楽を書かざるを得なかったのだ、と。『ミサ』も既存の宗教全てを疑い、「それでも」と神を見る音楽なのだ、と。
その『ミサ』抜粋、ロックバンドで始まる第1曲「シンプル・ソング」ではバリトンの司祭が神を祝福し、また神からの恵みを喜ぶ。しかし第9曲「神は言われた」は聖書の天地創造を風刺した、井上道義訳の日本の関西弁テキストによる、神への懐疑と冒涜の歌。第16曲「すべて壊れる」では第1曲で神を讃えた司祭がその装束をかなぐり捨て、信仰も捨てて絶望の中、死に至る。
だが第17曲「シークレット・ソング」ではボーイソプラノがひそやかに神への信仰を歌い、「ラウダ、ラウデ」の歌声が広がる中で司祭も甦り(これはラザロの奇跡?)、合唱とオーケストラが信仰の復活を歌い、「アーメン」で静かに終わる。
自分も神も何も信じられないというバーンスタインの絶望と、そこから湧き上がる希望としての音楽と信仰への回帰、ドストエフスキー的とも言える彼の精神世界を初めて知ることができた。3時間以上の長大な演奏会であったが、誠に充実した音楽体験となった。演奏者と共に、企画者にも感謝と敬意を払いたい。
(2018/6/15)