広島交響楽団 第380回定期演奏会|馬場有里子

広島交響楽団 第380回定期演奏会

2018年5月25日 広島文化学園HBGホール
Reviewed by 馬場有里子(Yuriko Baba)
写真提供:公益社団法人広島交響楽協会

<演奏>
指揮:秋山和慶
管弦楽:広島交響楽団
ヴァイオリン:佐久間聡一
ピアノ:サラ・デイヴィス・ビュクナー

<曲目>
バーンスタイン:「キャンディード」序曲
バーンスタイン:セレナード
     (独奏ヴァイオリン、弦楽、ハープと打楽器のための)
―(休憩)―
バーンスタイン:交響曲第2番「不安の時代」
(ビュクナーによるアンコール … ガーシュイン The Man I Love)

 

広響終身名誉指揮者、秋山和慶がタクトを取った第380回定期演奏会は、今年で生誕100年となるレナード・バーンスタイン(1918~1990)へのオマージュとして、全曲バーンスタイン作品で行われた。
広島とバーンスタインには縁がある。今から33年前、第2次世界大戦終結から40年の1985年に、バーンスタインは「平和」を冠した公演で世界4都市を巡った。その一つ、広島での、原爆投下の8月6日に行われた「広島平和コンサート」の様子を、地元新聞社は、今回の定演に先立ち2回にわたって掲載した特集記事で取り上げている(中国新聞、5月16、17日朝刊)。平和への強い想いを託し、当時演奏されたのは、広島出身の糀場富美子による《広島レクイエム》(指揮は大植英次)、そしてバーンスタイン自身の指揮による《交響曲第3番「カディッシュ」》。
バーンスタイン・メモリアルとしての今回の広響定期での秋山の選曲も、この敬愛すべき巨匠の平和への強い信念をしっかりと受け止めた、広島の地ならではのメッセージ性の込められたものとなった。

冒頭は《「キャンディード」序曲》。この後に、いずれも深みのある2作品が続くだけに、バーンスタインのエンターテインメント性が遺憾なく発揮され人気の高いこの曲には、手の込んだメインコースの前の、華やかで洒落たオードブルのような効果がある。馴染みの曲だけに、指揮もオーケストラも演奏はまずまず手慣れたもの。時に細かいうねりも工夫された躍動感、シャープかつみずみずしさのあるブラスの響きなど、小気味良く粋な味で楽しませた。

続いて、《セレナード(独奏ヴァイオリン、弦楽、ハープと打楽器のための)》。管楽器なしという変則的な編成ながらヴァイオリン協奏曲としての性格をもつ。プラトンの『饗宴』が題材となっており、5つの楽章中、詩人、哲学者など7人の賢人たちが次々に登場して、愛についての語りを繰り広げる。それぞれ個性的な楽章を、秋山は巧みなバランス感覚でまとめあげた。
ソリストを務めた佐久間聡一(広響の第一コンサートマスター)は、第1楽章冒頭の「パイドロス」をはじめ特に緩徐部分に硬さがあり、やや慎重すぎる印象。しかし、第4楽章「アガトン」半ばの重音奏法を用いたカデンツァでは確かなテクニックを見せ、続く第5楽章でも、前半「ソクラテス」での独奏チェロとの二重奏(ここはチェロも秀逸)を深みと陰影のある音色で聴かせた。
そこから一転、酔った「アルキビアデス」が乱入し大騒ぎとなる後半は、ソロ、オケともに上々の出来。新古典主義時代のストラヴィンスキーや、バルトーク作品を思わせる諧謔味とジャズの軽快なスィングが楽しいこの部分、佐久間のソロは生き生きと表情豊かにアルキビアデスの酩酊ぶりを演じ、打楽器も所々でピリリとスパイスを効かせる。このうえ欲を言うならば、弦パートにはもう一息、芝居っ気を出す感じがあると良かったか。

休憩後の3曲目《交響曲第2番「不安の時代」》は、1947年に出版されたW. H. オーデンの同名の長編詩に基づいている。第2次大戦末期のニューヨークの酒場で偶然出会った4人の男女が、戦時の不安に始まり、人生行路や人間の歴史の諸段階への省察、さらに現代社会のさまざまな世相と人間模様について、思い思いに語り合う。通低するモチーフは、例えば孤独、虚偽・虚栄、父なる存在と信仰の喪失、そしてそれらが生み出す不安や悔悟。放射能やすべてを抹殺する人工の大爆発など、核兵器への不安を暗示する言葉も顔を出す。
交響曲でありながらピアノ独奏の活躍するピアノ協奏曲の性格も併せ持つこの曲、1949年の初演時には名ピアニストだった作曲者自身がソリストを務めた(なお曲は54年に改訂)。今回迎えたのはアメリカのサラ・デイヴィス・ビュクナー。風貌から受ける印象に違わず、知性とユーモア、スケールの大きさを感じさせる演奏を披露した。最大の聴き所は、やはり終盤の、夜通し踊り歌い興じる4人の様を描いたジャズの部分。束の間のめくるめく男女の高揚と狂騒が、気まぐれな軽さも醸し出すしなやかなタッチと、鍵盤を縦横無尽にかけ巡る圧巻の超絶技巧によって繰り広げられる。と同時に、例えばその直前の「追悼歌」での限りなくデリケートなピアニシモによる哀しみのつぶやきの、何と心にしみ入ることか。そして何と言っても、短く断片的なフレーズにも多くの表情を読み取るイマジネーションの豊かさと、それを音で(また身体で)雄弁かつ自然に表す技量に、感嘆しつつ聴き入った。
対する広響も、曲前半では時に手探り感が残りつつも、ピアノとの細かな掛け合いに粋さがあった。後半となる第2部では表現の幅、凝集力ともに増し、随所に見られるバーンスタインの多彩で効果的なオーケストレーションも含めて、曲の魅力を存分に伝える演奏で楽しませてくれた。
演劇的性格の強いこの作品の場合、指揮者の役割はいわば演出家のそれに近接しても不思議ではない。実際、この曲での秋山は、要所要所は締めつつも、指示統率的な役割は最小限にとどめ、本番でのビュクナーと楽員の演技を近くから見守ろうとする印象も。さまざまな表現可能性のあるこの曲、ぜひまた遠からずの、広響での再演機会を期待したい。
なお今回、「エピローグ」部分にてオケ内で鳴らされるアップライトピアノには、原爆により19歳で亡くなった女学生の遺品である被爆ピアノが用いられた。その古びた独特の音色からは、かつての少女の夢や想いも伝わってくるようで、現在の「不安の時代」の響きと共鳴した。

最後はビュクナーによるアンコール。椅子に座ると、先ほどまでの熱演を振り返るように「ふう」と大きく一息。チャーミングな表情で会場の笑いを誘ってから弾き出したのは、ガーシュインの《The Man I Love》。当夜のプログラムの後にこれ以上ない選曲だ。メロディの細かい息づかいや抑揚の一つ一つに、やわらかく粋な、時にけだるくアンニュイな表情が宿り、奏でる音からは、さながら白黒時代のハリウッド映画の女優たちの、デリケートでコケティッシュな眼差しや仕草が浮かび上がるよう。ここでもつくづく、「演奏(play)」とは音によって「演じる(play)」ことでもあるのを実感しつつ、会場を後にした。

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馬場有里子(Yuriko Baba)
広島生まれ。東京大学文学部美学芸術学科卒、エリザベト音楽大学大学院修士課程および博士後期課程修了。専門は音楽学、西洋音楽史。2006~08年にヴェルサイユ・バロック音楽センター研究員。同センターより、ルイ14世時代の王室礼拝堂副楽長のグラン・モテを収めた“Guillaume Minoret, Les Motets, Vol.1”を出版。現在、エリザベト音楽大学音楽学部教授。

(2018/6/15)