特別寄稿|《献花》〜 ISCM2018 + 北京現代音楽祭の日々〜|會田瑞樹
《献花》〜ISCM 2018 + 北京現代音楽祭の日々〜
text & photos by會田瑞樹(Mizuki Aita)
打楽器音楽は20世紀に入ってから、優れた作曲家と演奏家の協働により多彩な楽曲が生み出されてきた。それでも、ピアノやヴァイオリンと比べればその楽曲数は比較にならないほど少ない。幼少期から10年、ヴァイオリンを手にしていた僕がその手をバチに持ち替えたその時から、ヴァイオリンも、ピアノをも超えるような音楽世界を生み出したいという夢を持った。幸運なことに、たくさんの優れた作曲家との出会いから、100作品以上のレパートリーを初演し、再演を重ねている。
遡ること3月、真夜中の電話は国枝春恵先生からの一報。
「ISCM、通ったのよ!!」。昨年<オーケストラプロジェクト2017>で初演した《弦楽器、打楽器、尺八のための音楽“花をⅢ”》がISCM2018北京大会で入選したことが公式ホームページで発表された。ISCMとは国際現代音楽協会の略称で1922年に新しい音楽の普及と発展を目的に創設された作曲家連盟だ。毎年世界各地で<World Music Days>と称して一週間の音楽祭を開催している。第一回目は1923年ザルツブルクにおいて開催され、バルトークなどが名を連ねた。日本でも2001年に開催している。毎年世界各地から800作品以上の応募があり厳選された100作品が選出され、国枝先生の作品はその高い倍率をくぐり抜け入選となったのだ。興奮した。しかも北京で演奏ができるかもしれない。
少し時間が経って、事務局代表のMaxからメールが届いた。それによると、作曲者への宿泊の負担こそあるものの、演奏者へのカバーは一切できないこと、そして作品の特殊性ゆえに、演奏者を日本から派遣できなければ演奏を見送るしかない。という幾分ネガティヴな内容であった。国枝先生のお電話に、僕は即答した。「自費でいいから、行きます。」と。
だが僕も日々の暮らしがある。なんとかかき集めなければならばならない。ちょうど今年は国際交流基金アジアセンターとの協働があり、担当の青柳利枝さんにご相談したところ、海外派遣に助成を手がける業務スーパージャパンドリーム財団への申請が良いのではないかと紹介があった。面接を経て合格の通知は渡航の前々日に到着。かくして全ての準備を整え、国枝春恵先生、坂田誠山先生と共にJAL25便に乗り込んだのだった。
中国には中国史学者だった祖父、寺田隆信の思い出がある。僕にとって手の届かないところにいる知識人の側面と共に、毎週「笑点」を欠かさず見て、自分の食事の一部を僕にくれたりする、優しい祖父だった。
逝って4年の2018年5月23日、祖父の誕生日に僕は北京へと降り立った。
北京国際空港は夏のような暑さに包まれていた。タクシーに乗り込むも英語は全く通じない。住所が書かれた紙を渡し一路宿へと向かう。ISCM事務局が予約してくれた「China Palace Hotel」にチェックインし、坂田先生の部屋で軽食とともに白酒で到着を祝う宴を繰り広げた。
翌朝、ホテル朝食会場で池田悟先生とばったり出くわす。池田先生もまた入選作曲家のお一人だ。前日到着され、リハーサルは当日のみ立ち会うとのことで、夜の演奏会を心待ちにされているご様子であった。その後、国枝先生、坂田先生とともに本番会場の北京中央音楽院へ。数年前、『北京ヴァイオリン』というドラマの舞台ともなった中央音楽院への訪問にワクワクが止まらない。事務局にはMaxと、これまでメール上で細やかな配慮を展開してくれたスタッフのJosephが暖かく出迎えてくれた。
その後、国枝先生と天安門へと向かう。移動は地下鉄に切り替える。さながら丸ノ内線のような赤いデザイン。地上に出ればたくさんの行列。人民カードを提示する人混みに紛れてパスポートを提示する。荷物検査ののち、そこには微笑みを浮かべる毛沢東主席の肖像が高らかに掲げられていた。その威光たるやいかばかりのものだったのか。
一度宿に戻り、リハーサル会場である中国国家交響楽団本拠へと向かう。宿からは少し離れているものの、タクシーで50元ほどの価格でスムーズに移動。中国国家交響楽団は全員が公務員だという。本拠建物は古めかしいものの、オーケストラのための施設としては破格の待遇とも言える立派な作りで、小部屋には各々個人練習ができるように大型楽器(マリンバなど)も設置されている豪華な作りであった。ここの事務局とはパート譜の有無について少し争議があったものの、指揮者の張国勇氏の登場により事なきを得た。
僕は内心ドキドキしていた。この作品はかなり大量の打楽器を使用する。事務局からは問題はないと連絡があったものの果たしてどのような楽器が来るのか当日までは全く未知数であった。日本から持ち込めるだけの楽器を背負いこみいざリハーサルルームへ。
広々としたスペース。まず楽器を見る。打楽器も弦楽オーケストラの内部で躍動するので上段にあった楽器類を下段に降ろしたい旨を伝えたのだが、それは不可能だという。狼狽したがまずはセッティングをしなければならない、いくつかの楽器を配置している間に、すでに弦楽器は整っていた。気まずい沈黙。猶予はなかった。リハーサルは開始された。
音が遠い、これでは合奏ができない…
焦りが募り、手元は狂う。楽器自体もまったく的確な場所に配置できていない。時間が足りていない…指揮者は言い放つ「君は本当に、この作品の初演者なのか?」もっともなことだと思った。しかし、このまま引き下がるわけにはいかなかった。合奏稽古の後、ギリギリまで粘らせてもらい、すべての団員が帰った後までセッティングと楽器の設定を国枝先生とともに練った。ベストを尽くすことを諦めてはいけない。
波乱の船出だったけれど、何故か3人の心は晴れやかだった。オーケストラのサウンドが耳から離れなかったのだ。躍動する音の数々。国枝先生のイメージする音はそこにはっきりと表出されていた。
そのまま中央音楽院での公演は天津交響楽団による室内楽演奏会。池田悟先生の作品は《監禁》と銘打たれた、緊張感と躍動を持つ緻密な作品であった。池田作品ならではの密集した動機と開離された展開和声の対比が見事にくっきりと映し出されていた。池田先生もはにかんだ様子で舞台に上がっていた。さらに会場では、東京藝大留学中に国枝先生と同門であった黄櫻力強先生との再会もあり、意気投合して深夜までの宴が繰り広げられた。黄櫻先生とは最近の北京の音楽事情から、周辺の名店のことなど様々な情報をお伺いすることができた。さらにMaxらの計らいで明日はリハーサル会場まで車を手配してくれるという。中央音楽院の作曲系学生さんたちの暖かなバックアップによるものだった。
翌日、気分転換も兼ねて王府井を巡る。いくつかの素敵なお土産との出会いもあり気持ちは一層華やかになる。頭の中では作品のことやセッティングのシミュレーションをしつつも、中国の持つ空気感が僕の肌に妙に馴染んでいることに気がついていた。ひとり、食堂で肉包を頬張っていると、ずっと昔からここに座っていたのではないかと思ったりした。
リハーサル会場に到着すると、セッティングのためのインターバルを15分与えてくれた。やはり楽器を下段に降ろすことは翌日のステージリハーサルでなければ難しいという。条件は厳しいものだが最善を尽くすより他はない。5分前には確定したセットアップが完了し、いざ二度目のリハーサル。昨日よりさらに緊張感に包まれた音たち。張先生も昨日とは打って変わって、打楽器にもいくつかの指示を飛ばしてくださり、僕もそれに応えていく。確実に音楽が息づきはじめていた。
翌日、我々は曲順が冒頭のためリハーサルはラスト。いよいよ打楽器が弦楽器、尺八とともに配置される。指揮もはっきりと見える。明晰な棒さばきの張先生のもとに、作品のはっきりとした輪郭が見え始める…素敵な時間の予感。リハーサル終了後、開場までの時間、ギリギリまで調整ができた。高らかにヴァイオリン、ハープを稽古する団員の方々に混じり、音による会話が少しずつ営まれていた。
ISCM・北京現代音楽祭閉幕演奏会は高らかに幕を上げた。
国枝先生の作品は中国語翻訳で《献花》と名付けられた。まるでそこにいない人を偲び、在りし日の思い出をなぞり、そして花を手向ける姿が音で描かれる。そこには言葉は介在せず、響きが凝結されて物語を紡ぐ。悲しみさえも光となるように。音が吸い付いて来る、そして音楽となって…
会場は万雷の拍手に包まれ、国枝先生は大きな歓声と共に舞台へと登場した。張先生は暖かな笑顔を僕に向けてくれた。そこには、音楽という崇高なものへと向かいあう同志へのまなざしがあった。更に休憩時間には多くの方々から写真撮影、賞賛をいただいた。誰もが、音楽を心から楽しむ空間がそこにはあった。
Harue Kunieda (Japan)
Floral Tributes III for strings, percussion and shakuhachi(2017)
China National Symphony Orchestra
ZHANG Guoyong, conductor
Seizan Sakata, Shakuhachi
Mizuki Aita, percussion
URL https://youtu.be/W2YFNpEJPe0
終演後は、坂田先生の古くからの友であり、黄櫻先生と同様に東京藝大に留学されていた胡銀岳先生のおもてなしを受け、黄櫻先生や日本から応援に駆けつけてくれた作曲家佐原詩音氏らとともに大宴会が繰り広げられた。次々と来る美食の数々は、満漢全席を彷彿とさせる絢爛豪華な宴であった。
翌日、帰国便のタイムリミットを睨みながら街に繰り出し、故宮が一望できる景山公園へと登った。そこには悠久の息吹を持つ中国の壮麗な文明が一面に広がっていた。
「中国の人々は数千年来、一貫して文明の歴史の現役でありつづけている。」(寺田隆信著「物語 中国の歴史」より(中公新書)
祖父は憧憬を抱いたのだろうか。それとも、何を見つめていたのだろうか。
《献花》は、僕にとっては、祖父への手向けでもあった。
ここにまた来よう。故宮を眼下に、そう思った。
(2018/5/28記)
———————————
會田瑞樹 (Mizuki Aita)
打楽器奏者。1988年宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校を経て武蔵野音楽大学大学院修士課程修了。学部三年次に日本現代音楽協会主催第九回現代音楽演奏コンクール「競楽Ⅸ」において第二位入賞。2014年NHK-FMリサイタルノヴァ出演、第四回世田谷区芸術アワード”飛翔”音楽部門受賞。
ホームページ・http://mizukiaita.tabigeinin.com