コンポージアム2018 2018年度武満徹作曲賞本選演奏会|齋藤俊夫
2018年5月27日 東京オペラシティコンサートホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<演奏>
指揮:杉山洋一
東京フィルハーモニー交響楽団
審査員:ウンスク・チン
<曲目>
ルーカス・ヘーヴェルマン=ケーパー:『量子真空』
パウロ・ブリトー:『STARING WEI JIE TO DEATH~シンフォニック・エヴォケーション、中国の故事による』
ボ・リ:『SLEEPING IN THE WIND』
バーナービー・マーティン:『量子』
ドイツのヘーヴェルマン=ケーパー作品の不協和かつカオスな大音量の出だしを聴いた瞬間に筆者は先日聴いたウンスク・チンのオーケストレーションを想起した。明らかに似ている。しかし、カオスの中にロングトーンによる透明な流れが幾筋も流れていて、それら全体でまた1つのロングトーンになっているのかとも思え、そこに作曲者の音楽的意図と個性が現れていると考えられた。だが、打楽器アンサンブルの部分や、トゥッティでの大音量からデイミヌエンドして、またトゥッティの大音量からディミヌエンドして、といった同じ楽想の反復はこの作品と作曲者の個性を塗りつぶしてしまっているように聴こえた。
ブラジル出身で現在トロント在住のブリトー、「古代中国の風変わりな物語に音楽の形式を与えた作品である」(作曲者のプログラムノーツより)とあるが、筆者にはバルトーク『中国の不思議な役人』をヘンツェ風にアレンジした作品としか聴こえなかった。幾重にも重なり屈折したオリエンタリズム的視点とオリジナリティの欠如は如何ともし難い。
中国のボ・リ作品も冒頭の大音量トゥッティの時点でケーパー作品そしてチン作品と似ていると思わざるを得なかった。その後も、断片化された音型が合わさっての大音量と、それと対比的にある楽器がソロ的に前面に出る、室内アンサンブル的部分が挟まる、等々、チンの管弦楽法と楽式をそのまま写したようであった。ケーパーには感じられた作曲家の個性も見つけることはできなかった。
最後はイギリスのマーティン作品、ヴァイオリンの超弱音ハーモニクスにピアノ、木管、打楽器などがからまっての出だしこそケーパー、ボ・リ作品と異なって聴こえたが、その後はまたしても2人と同じく、チン作品を写したような音楽。大量の音の断片が押し寄せたかと思えば、弦楽を中心に静かな響きとなり、木管・金管・打楽器が咆哮し、静寂の中で演奏者がなにか呟き声を出し、トゥッティでの大嵐が吹き荒れる、などなど、オーケストラを手を変え品を変え鳴らすものの、そこから作曲者が何を聴かせたいのかがわからない。チンの音楽の「現代的」とされる楽想を連ねた以上のものは聴き取れなかった。
筆者は、4作の内で唯一作曲家の個性を聴き取ることができたケーパー作品を入賞、あとの3作は選外でも良いと評価したが、審査結果は同率2位にケーパー、ボ・リ(両者ともに賞金60万円)、1位にブリトー、マーティン(ただし賞金はブリトーに80万円、マーティンに100万円と差がつけられた)であった。(現代)音楽にとって大切なものは何か、個性とは何か、等々、筆者には考えさせられる結果となった。
(2018/6/15)