21世紀音楽の会 第15回演奏会|平岡拓也

21世紀音楽の会 第15回演奏会

2018年5月16日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 平岡拓也(Takuya Hiraoka)
Photos by 進藤綾音/写真提供:21世紀音楽の会

<曲目・演奏>
辻田絢菜:コレクショニズムⅫ/‘ハーピー’弦楽四重奏のための
  ヴァイオリン:花田和加子、川口静華 ヴィオラ:甲斐史子 チェロ:松本卓以

加藤真一郎:不在〜ピアノと弦楽三重奏のための〜
  ヴァイオリン:花田和加子 ヴィオラ:甲斐史子 チェロ:松本卓以 ピアノ:鷹羽弘晃

小櫻秀樹:unfocused rage
  フルート:多久潤一朗 クラリネット:有馬理絵 ヴァイオリン:川口静華 チェロ:松本卓以

ピアノ:鷹羽弘晃 指揮:森垣桂一

鈴木純明:リューベックのためのインヴェンションⅡ〈冬〉
  フルート:多久潤一朗 クラリネット:有馬理絵 ヴァイオリン:花田和加子 ヴィオラ:甲斐史子 ピアノ:鷹羽弘晃 指揮:安良岡章夫

安良岡章夫:横・竪〜箏独奏のための
  箏:深海さとみ

日野原秀彦:舗装していない坂道~藤富保男の詩による5声のマドリガーレ~
  ソプラノ:薬師寺典子 声楽アンサンブル:コンチェルト・ソット・ラルベロ

 

「形や風評にとらわれることなく、自由の原点から真に心に残る作品を」をモットーに掲げる作曲家集団「21世紀音楽の会」。彼らの第15回定期演奏会を聴いた。古典的な編成から邦楽器まで多彩なスタイルの作品群が集まり、演奏者にも同時代作品を得意とする顔ぶれが並ぶ。「心に残る」同時代作品は、果たしてあるのか。

一曲目の辻田作品は、オーソドックスな弦楽四重奏による作品。プログラム・ノートで作曲家は「『Collectionism』(=蒐集症)シリーズの続編」と書いている。身近なもの―多くは本人にしか意味が無いようなもの―を捨てられずに溜め込んでしまうこと、という意の言葉をシリーズ名にあてるとは、謙遜か一種の皮肉なのか、と一瞬勘ぐってしまう。本質的ではない話ではあるが。タイトルの『ハーピー』はギリシア神話に登場する神獣で、鉤爪をもつ怪物・美しい風の精霊という相反する性格を有する。辻田は弦楽器の鋭い摩擦音やスピード感ある楽節の連鎖を用いつつ、清涼感ある音像を作り出した。題から連想される弦鳴楽器ハープへのオマージュも聴こえたように思う。楽曲自体が一抹の風のように吹き抜けていった。

続く加藤作品は、ベートーヴェン『告別』ソナタ第2楽章の副題から取られた『不在(Die Abwesenheit)』を掲げている。ピアニストとしても幅広く活動する作曲家らしい題材選定だ。ピアノと弦楽三重奏は激しくぶつかり、またある時は各々が違ったイデーのもとに奏でる。ピアノと弦楽を用いる以上、音楽の進行の上でそれぞれが交錯することは不可避なのだが、その編成を用いて「ないこと」を描こうとする試みを興味深く聴いた。

『unfocused rage』と題された小櫻作品は、数々の楽しげな作品が頭に浮かぶクインテットの編成を用いて、焦点の定まらない(unfocused)憤怒(rage)を発散する。連続的なノイズの意図的な使用、時折大声で怒りに吼えるピアニスト、それらの混沌ははっきりと作品のコンセプトを抽出していた。しかし、プログラム・ノートで作曲家が語っているような「怒りとともに伴う悲しみ」(原文ママ)はよく分からない。終演後の戸惑いを含んだ空気感に幾分悲哀の余韻を感じることは出来たが。

若手作曲家のコンセプチュアルな作品が続いた前半に対して、後半はやや落ち着いた作風の作品群が並ぶ。鈴木作品はバッハ作品の引用がコラージュのように散りばめられた。旋律一つずつを抽出すれば聴いたことがあるものなのだが、それが編成と文脈を変えて立ち現れると全く新鮮な音楽として響く。弦楽器の選択も、渋めの音色を志向しての事だろうか。楽曲後半はやや冗長に感じた。

この会を主宰する安良岡章夫作品は、箏の独奏のために書かれた。「長年にわたり邦楽に親しんできた。それ故却って邦楽器による創作に向かい難かった」と作曲家は語っているが、満を持して取り組まれた本作『横・竪』は紛うことなき同時代作品の体裁をとる。音楽の横軸・縦軸両方において箏の多様な可能性―打楽器的鋭さで空間を一変させる「横」、楽音の持続と漸進的変化の「竪」―を引き出し、緊張感の高い音像をつくった。深海さとみという優れた独奏者との出会いも大きかったのだろう。

最後に置かれた日野原作品は、本日演奏された作品群の中では最も親しみやすい部類の作品だろう。藤富保男の詩を自由に用いたこの五声のマドリガーレは、冒頭の「冥土への道は坂道で舗装していないンだ」という節を何度かモティーフ的に繰り返す。歌われる日本語はある程度は聴取可能だが、音節とは無関係に用いられる場面も多い。詩と音楽の関係としては、音楽側に引き寄せられているということだろう。ソプラノ・薬師寺典子が持つ芯の強い声の力に魅せられた。

6人の作曲家が自らの創造意欲の赴くままに生み出した作品は、編成や音響の志向性等、聴感上の印象はどれも全く似ていない。それ自体は大変素晴らしいことだ。しかし、作曲のコンセプトが(比較的)短い楽曲の中に詰め込まれすぎてはいなかっただろうか。異なる二要素の連環を追い終わる前に新たな要素が出現し、更に新たな要素が・・・と進んでいくので、結局楽曲全体の印象が霧散してしまうのが何とも歯痒い感覚であった。それら多くの要素を滑らかに繋げていくという責務においては、演奏者は十分な仕事をしていた。ただ総論として「心に残る」同時代作品があったかと言われると、何とも返答に困ってしまうというのが正直なところだ。

(2018/6/15)