異才たちのピアニズム トーマス・ヘル|齋藤俊夫

異才たちのピアニズム トーマス・ヘル

2018年4月19日 トッパンホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:トーマス・ヘル
<曲目>
ロベルト・シューマン:『クライスレリアーナ』
チャールズ・アイヴズ:『ピアノ・ソナタ第2番《マサチューセッツ州コンコード1840-60年》』
(アンコール)アーロン・コープランド:『真夏の夜想曲』

 

『クライスレリアーナ』とはこんなにも狂気をはらんだ、否、狂気そのものが音楽化したものであったのか。急速な部分と緩徐的な部分、厳粛な部分と甘美な部分、それらが正常な人間の感情の振幅、速度を超えて入れ代わり立ち代わり現れる。美しい、と同時に、恐ろしい、という感情が湧き上がる。
第1曲冒頭からテンポを揺らし、デュナーミクも揺らし、1つ1つの音符を明確に発音するのではなく、全体としての「音響」を聴かせるヘルの演奏による本作は、まるで「現代音楽」のように聴こえる。と思えばロンド形式の第2曲の緩徐部分では甘く甘く弾き始め、やはりテンポとデュナーミクをこれでもかと揺らす。だが直後、テンポの速い部分は機械的とも言えるような鋭角的な演奏、そしてまた甘く幻夢的な音楽が奏でられる。
第3曲の通常ならば「優雅」な部分も、表現主義的な、心の奥底の無意識に宿る狂気を呼び覚ます。急速かつ強音の第7曲はもはや音響を超えた「音塊」がぶつかってくる。
最終第8曲は陰鬱に、悪魔や妖怪といったものが人の不幸を喜んで暗闇の中で踊っているように。最後の最弱音の2音は悪魔の微笑か?
音楽的構成の統一、感情表現の自然な流れ、そのような「正常」な音楽からかけ離れた「異形」の『クライスレリアーナ』であった。

後半のアイヴズの『ピアノソナタ第2番』。約50分の巨大な謎の集合体たる本作品は、その謎は解けないままであるが、ヘルの「音楽的論理」によって秩序立てられた構築物として現れた。
本作の謎、例えば第2楽章でアイヴズ作品の代名詞のような「引用」(ここではマーチングバンドの曲)が用いられ、それがグシャグシャのトーン・クラスターのようになって崩壊する部分など、何故この楽想がここに入るのか、皆目不可解である。
さらに作品の始まった直後に現れ、以降第3楽章まで繰り返し登場する「運命の主題」(ベートーヴェンの第5番交響曲冒頭の4音の主題である)、これが何を意味しているのか、作曲者の中では意味を持っていたのかもしれないが、少なくとも作品を聴く限りではこれも謎である。
だが、ヘルはこの「運命の主題」に概念的意味内容ではなく、あくまで音としての意味内容を担わせ、ピアノソナタ全体を構築する背骨としたのである。そして50分間、謎の主題の、ただ音楽だけが持ち得る意味によって作品は見事に論理的に建立されたのである。
しかし、上記の謎とは異種の謎もまたこの作品には存在した。すなわち、第4楽章である。弱音で不可思議な和声進行による夜の世界が広がる(ただし時折嵐のような強い風が吹きすさぶ)この楽章、「ウォールデン湖のほとりに住む森の哲学者ソローの静かな思索を反映」(沼野雄司筆プログラムノートより)しているのかもしれないが、第3楽章まで執拗に繰り返された「運命の主題」はどこへ行ったのであろうか?また、あの「引用」とは?我々が聴いていたのは一体なにものだったのだ?と思わせつつ、音楽は夜のとばりの中へ消え入った。謎の中に皆を取り残して。
音楽というものが本来的に持つ、そして音楽を音楽足らしめつつ、人を惑わし続ける、音楽の「謎」は「謎」のままに、音楽をほぼ完全に構築し、されど最後に謎を残したトーマス・ヘルの圧倒的な読解力と技巧に心底震撼せしめられた。

シューマン、アイヴズ、ともにトーマス・ヘルでしかありえない演奏であった。このような演奏会に立ち会えたことを心から喜びたい。

(2018/5/15)