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東京春祭 ロッシーニ:《スターバト・マーテル》 |藤堂清

東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.5
ロッシーニ:《スターバト・マーテル》 (没後150年記念)
~聖母マリアの七つの悲しみ

2018年4月15日 東京文化会館 大ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by  林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:スペランツァ・スカップッチ
ソプラノ:エヴァ・メイ
メゾ・ソプラノ:マリアンナ・ピッツォラート
テノール:マルコ・チャポーニ
バス:イルダール・アブドラザコフ
管弦楽:東京都交響楽団
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:マティアス・ブラウアー、宮松重紀

<曲目>
モーツァルト:交響曲 第25番 ト短調 K.183
————–(休憩)————–
ロッシーニ:スターバト・マーテル
 第1曲 〈悲しみの御母は立ちつくし〉(導入唱)
 第2曲 〈嘆きのその御魂は〉(アリア)
 第3曲 〈涙を流さぬ者などいるだろうか〉(二重唱)
 第4曲 〈人々の罪のため〉 (アリア)
 第5曲 〈ああ御母よ、愛の泉よ〉(合唱とレチタティーヴォ)
 第6曲 〈聖母よ、願わくは〉(四重唱)
 第7曲 〈キリストの死を負わせてください〉 (カヴァティーナ)
 第8曲 〈業火と火炎の中で〉(アリアと合唱)
 第9曲 〈身体が朽ちるときも〉(四重唱)
 第10曲 〈アーメン〉(終曲)

 

昨年の東京春祭の最後を飾ったスペシャル・ガラ・コンサートを指揮し、その力量を強く印象付けたスペランツァ・スカップッチ、今年も最終日のコンサートの指揮に戻ってきた。今回は合唱の芸術シリーズ vol.5として、没後150年の記念の年となるロッシーニの《スターバト・マーテル》を振った。

まずはメインのロッシーニについて。すばらしかったというのが結論。
オーケストラの音、合唱の声、どちらも透明感があり、いきいきとしていた。ソリストのレベルも高く、ロッシーニのスタイルを熟知した歌であった。指揮者の意図が細部にいたるまでしっかりと浸透していた。

この曲は、最後のオペラ《ギョーム・テル》を完成した13年後の1842年に初演された。1833年に非公開で一回限りの演奏、出版しない約束で書かかれた第1稿(半分ほど他の作曲家に任せた)、それが依頼者の死後に出版社に渡り出版をめぐるトラブルとなり、すべて自分の筆によるものに書き換えた第2稿である。「悲しみの聖母はたたずみ」という訳が使われるように、キリストの死を悲しむ聖母マリアを描く典礼文による。

第1曲の冒頭、スカップッチはしゃがみこむように体を低くし弦楽器に弱音で弾くように指示した。3小節目のフォルテの後も早めに音量を下げ、続くピアニシモで聴衆の意識の集中をさらに図るようだった。合唱、続く4人のソリストもコントロールされた弱声で歌い始める。“dum pendebat Filius”(十字架に架けられた息子)という言葉を、フォルティシモで歌い、演奏する。そこでの急激な変化に強く打たれる。スカップッチの的確な指示で、オーケストラ、合唱、ソリスト、みなぴったりと合う。
全曲を通じて、彼女の指示は細かく、オーケストラの各楽器に入りや音量の変化をはっきり分かるように指揮している。合唱に対しても同様で、ぐいぐいと引っ張っていく。ただソリストに関しては、多少力の差があったためか、テンポを緩めるといった配慮はあった。2曲目のテノールのアリアでは、早いと歌い切れないと判断したのか、細かな声の動きを必要とするところでは少し遅めのテンポをとった。
第3曲のソプラノとメゾ・ソプラノの二重唱、ソプラノが第1節を歌いメゾ・ソプラノが第2節を歌う。その後二人が声を合わせ、美しい二重唱を繰り広げる。メイも決して悪いわけではないのだが、少し声が細く、またこまかな部分でコントロールに苦労しているようにみえた。相手のピッツォラートの、若い余裕たっぷりの声とコロラトゥーラの見事さと較べると、それが感じられた。

昨年スカップッチが指揮したオーケストラは常設の団体ではなかったが、今年のオーケストラは東京都交響楽団。このことが、彼女の要求に的確に反応することを可能とし、オーケストラの一体感にもつながっていた。東京オペラシンガーズの合唱も、力むことなく美しい響きで会場全体を満たしていた。

前半には、モーツァルトの交響曲の中で2曲しかない短調の一つ、交響曲第25番が置かれた。同じト短調の第40番と区別し、小ト短調ともよばれる曲である。
オーケストラの編成は12型と大き目。古楽奏法を意識した形態が多くなっている中で、モダン・オーケストラとして演奏される機会は減ってきているが、スカップッチはそのオーケストラの機能を活かしきっている。ダイナミクスの幅を大きくとり、弱音は徹底して抑え、一方で強い音は限度いっぱいに引きだす。弦楽器の多様な音色、管楽器のタップリとした歌、モーツァルトの時代にはなかった表現だろうが、ここまで徹底されれば小気味よい。

スペランツァ・スカップッチはリカルド・ムーティの下で長くコレペティトゥアを務めていたということだが、彼の音楽作りから学んだことは多いように思う。声の扱いや細かい点まで揺るがせにしない指揮ぶりにムーティの影響を感じる。決して勢いで押し切るというところはなく、冷静に細部をコントロールしている点、高く評価できる。次は、オペラ全曲で聴いてみたい。

(2018/5/15)