ローム ミュージック フェスティバル 2018|小石かつら
ローム ミュージック フェスティバル 2018
リレーコンサート B
ザ・スピリッツ・オブ・ブラス
2018年4月21日 ロームシアター京都 サウスホール
reviewed by 小石かつら(Katsura Koishi)
Photos by 佐々木卓男/写真提供:ロームミュージックファンデーション
<演奏>
菊本和昭、伊藤駿、杉木淳一朗、新穂優子、堀田実亜(トランペット)
日橋辰朗(ホルン)
太田涼平、風早宏隆、古賀光、辻姫子(トロンボーン)
藤井良太(バス・トロンボーン)
宮西純(チューバ)
黒田英実(打楽器)
<曲目>
J. S. バッハ(竹島悟史 編):小フーガ ト短調BWV578
H. パーセル(E. ハワース 編):トランペットチューン&エア
H. L. クラーク(井澗昌樹 編):トランペット、トロンボーンと金管アンサンブルのための「カズンズ」
C. ドビュッシー (井澗昌樹 編):月の光
A. ハチャトゥリアン(井澗昌樹 編):バレエ音楽「ガイーヌ」より 剣の舞
G. ロッシーニ(竹島悟史 編):歌劇「ウィリアム・テル」序曲
J. ガーデ(J. アイヴソン 編):ジェラシー
アイルランド民謡(J. アイヴソン 編):ロンドンデリーの歌
G. リチャーズ:「高貴なる葡萄酒を讃えて」よりIV . ホック
H. カーマイケル(J. アイヴソン 編):スターダスト
H. マンシーニ(J. アイヴソン 編):酒とバラの日々
G. ガーシュイン(井澗昌樹 編):ラプソディ・イン・ブルー
4月21日と22日の2日間、ロームシアター京都で、昼12時から夜まで、次々にコンサートが繰り広げられた。同じ時間に複数のコンサートこそ無いものの、コンサートとコンサートの間はわずか30分。いや、本当は1公演1時間半で、次のコンサートまでに時間はあるのだが、そのコンサートとコンサートの間に、「ローム・スクエア」と名付けられた中庭広場の特設会場で、近畿一円の中学や高校の優秀な吹奏楽部が熱気あふれる演奏を繰り広げるという趣向。そのため、コンサートと(吹奏楽部の)コンサートの間がぎゅうぎゅうに詰まって、盛りだくさんな「フェスティバル」ができあがった。ロームシアターがある京都の岡崎地区は、平安神宮、動物園、美術館等が広々と並ぶ地区で、規模の大きな近代的な建物群が、新しくも古くもない雰囲気を形成しており、こういった「フェスティバル」が、しっくりくると感じた。
前置きが長くなった。このような全体の中の初日の2つ目のコンサートとして、サウスホール(小ホール)でおこなわれたのが、13人の奏者による「ザ・スピリッツ・オブ・ブラス」である。既に広場で吹奏楽部が2つのコンサートを終え、すっかり「ブラス」の雰囲気はできあがっている。そして「中」で始まるのは、吹奏楽に携わる人たちにとって神様みたいな存在の奏者ばかりによる「本物の」コンサート。シチュエーションとして、これ以上のものは想像できない。(しかも、輝くばかりの晴天。)
舞台の金管奏者は、なんと13人。日本各地(1名はドイツ)から集まった、オーケストラの若手トップ奏者たち。ドリームメンバーである。とりまとめるのは、NHK交響楽団の首席トランペット奏者、菊本和昭だ。始まるのを今か今かと待つ客席の期待に押し出されるように、音が鳴る。バッハの小フーガト短調。得も言われぬ上質感。このギャップが、「プロ」の演奏を印象づける。自然な音。品の良さ。余裕あふれる時間。それはまるで、ヨーロッパにおける広場の雑踏と教会内の静寂との対比を連想させた。
プログラムは短い作品が12曲も並ぶ。しかし冒頭のバッハ、休憩前の「ウィリアム・テル」、プログラム最後の「ラプソディ・イン・ブルー」(とアンコール)だけが13人全員でのアンサンブルで、その他の9曲は、1人もしくは2人の奏者を主役として他の奏者が伴奏をするという編成だった。こちらの場合は、降り番の奏者もいて、11人での演奏だ。これがよかった。
アンサンブルのやり方が、13人でやる主役の無い曲目と、11人でやる主役アリの曲目とで、全然違う。とりわけ、和声進行の捉え方が、主役がいると浮き彫りになる。ドミナントからトニックへ、という高揚と安定のコントラスト。不協和の緊張から緩和へ、というセンテンスの収縮。それらが、水面の波紋のように、つまり、水深をしっかり感じさせてひろがる音楽として、すすんでいく。金管のきらびやかさだけでない、しんとしたアンサンブル。不思議なことに、誰が主役となっても、その核としてのアンサンブル形成は同じで、金管楽器が音楽的な伝統のなかで演じてきた隠れた特質を発見したような気分だった。
だからこそ、シロフォンが主役となった「剣の舞」は、別のたのしさだった。左足一本で身体を支え、右足は横に立てた小太鼓を打って、右手と左手は撥をあやつる。サーカスのような、まさに「舞」。客席がもしももっと自由だったなら、アンコールを要求したに違いない。いや、勇気をもって、「アンコール!」と叫べば良かったと後悔しきりである。
「中」における「本物」のコンサートながら、13人の奏者はそれぞれ仲の良さを醸し出し、菊本の普段着トークも相まって、「外の広場」とのゆるやかな親近感もあった。フェスティバルにふさわしい。企画にも脱帽である。
(2018/5/15)