レ・ヴァン・フランセ~協奏交響曲の夕べ|大河内文恵
2018年4月24日19:00 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
レ・ヴァン・フランセ:
エマニュエル・パユ(フルート)
フランソワ・ルルー(オーボエ)
ポール・メイエ(クラリネット)
ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(ホルン)
ジルベール・オダン(バソン)
東京フィルハーモニー交響楽団
<曲目>
プレイエル:フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第5番 ヘ長調 B.115
ダンツィ:フルートとクラリネットのための協奏交響曲 変ロ長調 Op. 41
~休憩~
ドヴィエンヌ:フルート、オーボエ、ホルン、バソンのための協奏交響曲 第2番 ヘ長調
モーツァルト:オーボエ、クラリネット、ホルン、バソンのための協奏交響曲 変ホ長調 K. 297b
~アンコール~
イベール:木管五重奏のための3つの小品より 第1曲アレグロ
協奏交響曲というと、どんなイメージだろうか?オーケストラの演奏会で交響曲などに混じって演奏されることが多く、たしかに独奏者が複数いると豪華な感じにはなるものの、曲そのものの華やかさはソロ・コンチェルトには敵わないので、それを聴きに来るというよりはおまけでついてくるといった感じが多いような気がする。
今回はそんな「おまけ」の4本立て。いったいどんな演奏会になるのか?しかもソリストはあのレ・ヴァン・フランセである。展開が読めないにも程がある。
始まってすぐに、指揮者がいないことに気づいた。オーケストラが小編成であることもあるが、オーケストラだけの時にはコンサートマスターがリードをとり、ソリストとの掛け合いでは、ソリストが音楽を引っ張るという形で進んでいく。
そうか、協奏交響曲というのは、管弦楽曲ではなく室内楽だったのか!と気づいた。普段オーケストラの演奏会に組み入れられる機会が多いので、オーケストラの曲だと思い込んできたけれど、少し編成の大きい室内楽だと思ったほうが、腑に落ちる。
まず、冒頭のプレイエルでソロが入ってきた瞬間に、涙が出そうになった。いい音というのは、その音色だけで人の心をつかむものなのだと改めて思い知った。1楽章のカデンツァを、2楽章でアンサンブルの妙を堪能したあと、思わず身体が動いてしまうような3楽章。曲の終わり方がなんともお洒落でさすがと唸った。
つづくダンツィでは、1楽章と3楽章でのフルートとクラリネットのいかにも楽しげなソリストの応酬と、2楽章のとがっていない音色にうっとりしているうちに、ソリストたちの音色の多彩さに気づいた。クラリネットはリードの振動によるピーンと張った音が特徴的なのだが、通常ならあり得ないほどの弱音でメイエが演奏すると、ハッとする美しさがある。普通が1~10だとすると、マイナス500~プラス1,000くらのレベルで音色が変化する。桁が違う。
後半のドヴィエンヌでは第1楽章でファゴットの巧さにしびれつつ、各楽器の妙技に聴きほれていたら、いつの間にか曲が終わっていた。
ここまでの曲は、言ってみれば曲そのものはいわゆる名曲ではなく、メンバーたちの演奏そのものを堪能できたのだが、モーツァルトとなるとそうはいかない。曲が良すぎるのだ。「モーツァルト」が前面に出てしまって、言葉は悪いが「名手の無駄遣い」のように聴こえてしまう。しかしそれも、2楽章になると、「らしさ」全開で安心して楽しめた。
ドヴィエンヌまで慣れない感じで弾いていた東京フィルハーモニーのメンバーも、モーツァルトでは俄然活き活きとした演奏になり、「合わせている」のではなく自然に「合っている」ように聴こえた。第3楽章の変奏部分はレ・ヴァン・フランセらしいフランス風の洒落っ気があって良かったのだが、じつはそれだけでは終わらなかった。
アンコールで演奏されたのは、「題名のない音楽会」の休日シリーズのテーマ曲としてもお馴染みのイベールの木管五重奏曲。これまで4人までしか一緒に演奏していなかったメンバーが初めて5人揃って、しかも彼らだけ。本編4曲がどうでもよくなってしまうくらいの強烈な魅力に、客席は沸きに沸いた。やはり本物を生で聴けて良かったとしみじみ思う夜だった。
(2018/5/15)