神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第338回|齋藤俊夫
神奈川フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会みなとみらいシリーズ第338回
2018年4月7日 横浜みなとみらいホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 藤本史昭/写真提供:神奈川フィルハーモニー管弦楽団
<演奏>
指揮:川瀬賢太郎
メゾソプラノ:福原寿美枝(*)
<曲目>
(全てレナード・バーンスタイン作曲)
『スラヴァ!(政治的序曲)』
『ウエスト・サイド・ストーリーよりシンフォニック・ダンス』
交響曲第1番『エレミア』(*)
(アンコール)
『ウエスト・サイド・ストーリーよりシンフォニック・ダンス』より「マンボ」
神奈川フィル2018年シーズンは生誕100周年のバーンスタイン個展で始まった。
『スラヴァ!』の冒頭からとにかく元気でとにかく明るいバーンスタイン節が炸裂した。筆者の音楽的範疇ではアメリカ映画の劇伴に入る類の音楽(劇音楽「ペンシルベニア街1600番地」からの引用が用いられているのだから当然とも言えるが)なのだが、この快活さはそんなことを忘れさせる。誰かの政治演説らしきテープ録音が混じるのを音楽がかき消すのもまた痛快。最後に奏者が「スラ・ヴァ!」(ロシア語で「栄光」の意、また、ロストロポーヴィチの愛称)と声を合わせて終了。
『ウエスト・サイド・ストーリー』より『シンフォニック・ダンス』これも当然劇伴音楽なのだが、しかしカッコ良すぎてそんなことはどうでも良くなった。
「プロローグ」のダンスはドンチャン、乱痴気騒ぎには決してならず、あくまでクールに。「サムウェア」はメロウに歌い上げる(弦楽のなんと美しいことか!)。軽やかな「スケルツォ」を挟んで「マンボ」で弦・管・打の全力投入。メルヘンチックな「チャチャ」からヴァイオリン4人とヴィブラフォンによる「出会いの場面」はひそやかに。「クール フーガ」は聴いていて思わずリズムを刻んでしまう。「ランブル」で疾走し、「フィナーレ」で弦楽が哀しくも美しい旋律を奏で、そして昇華されて了。
「ウエスト・サイド・ストーリーならばこう来なくては」と思わせる快演であった。
後半は前半のバーンスタインの「明」の側面の反対、バーンスタインの「影」の側面を表現したと言える交響曲第1番『エレミア』。タイトルの「エレミア」とは古代ユダヤの預言者であり、若きバーンスタインがユダヤ人としての自身のルーツを辿った作品でもある。
第1楽章「預言」の息の長い悲痛な弦楽の旋律、その後の木管・金管のポリフォニックな書法などは明らかにマーラーの交響曲を範に取っているように思えた。マーラー解釈の第一人者だったバーンスタインらしいことではあるが、彼のオリジナリティはまだ確立されていないように感じられた。
第2楽章「冒涜」はエレミアの預言に耳をかさない異教徒の祭礼らしいが(白石美雪氏のプログラムノーツによる)、「冒涜」の踊りというより、クールなダンスといった感が強く、第1楽章よりはるかに「バーンスタインらしい明るさ」に溢れていて「楽しく」聴いてしまった。
第3楽章「哀歌」もまたマーラー的なメゾソプラノとオーケストラが支配的だが、長調の部分などでマーラーの思弁的な楽想とは異なる、バーンスタイン的な朗らかさや人間的優しさが聴こえてきたのが興味深かった。慰めるような穏やかな終曲部分など、先の『ウエスト・サイド・ストーリー』の終曲との近親性が明らかであった。20歳代前半のバーンスタインの宗教的ルーツと共に、音楽的ルーツ、そして彼のオリジナリティの萌芽が確かめられたのが嬉しかった。
アンコールは『ウエスト・サイド・ストーリー』より「マンボ」を、聴衆に「マンボ!」の掛け声を任せての演奏。金管が立奏し(もしかすると金管が即興をしていたかもしれない)、おそろしく痛快な終演であった。
(2018/5/15)