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エリーザベト・レオンスカヤ シューベルト・チクルス| 藤原聡

エリーザベト・レオンスカヤ シューベルト・チクルス 

東京文化会館小ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)撮影:4/4

 <演奏>
ピアノ:エリーザベト・レオンスカヤ

<曲目>
Ⅰ.2018年4月4日(水) 
シューベルト
 ピアノ・ソナタ第1番 ホ長調 D157
 ピアノ・ソナタ第4番 イ短調 D537
 ピアノ・ソナタ第17番 ニ長調 D850
(アンコール)
 4つの即興曲 D899~第4曲 変イ長調 

Ⅱ.2018年4月6日(金)
シューベルト
 ピアノ・ソナタ第9番 ロ長調 D575
 ピアノ・ソナタ第15番 ハ長調 D840『レリーク』
 ピアノ・ソナタ第18番 ト長調 D894『幻想』
(アンコール)
 3つのピアノ曲 D946~第1曲 変ホ短調 

Ⅲ.2018年4月8日(日)
シューベルト
 ピアノ・ソナタ第2番 ハ長調 D279
 ピアノ・ソナタ第13番 イ長調 D664
 ピアノ・ソナタ第16番 イ短調 D845
(アンコール)
 5つのピアノ曲 D459a~第3曲 アダージョ 

 

今年の東京・春・音楽祭での目玉はワーグナーの『ローエングリン』上演だと思うけれども(今年、と言うか毎年のワーグナー上演はそういう位置付けであろう)、今年の「もう1つの目玉」は何と言ってもこのレオンスカヤのシューベルト・チクルス。全6回のリサイタルで『さすらい人幻想曲』を含む19曲が演奏されたが、第8番、第10番、第12番は完成楽章が全くないので復元しない限り演奏できない(本当の意味での「未完成」)、と考えればこの6回は「ソナタ全曲演奏」と銘打ってもよいチクルス。特に初期のソナタなどはなかなか演奏されない上に、それがレオンスカヤであればこれを逃す手はない。6回中前半の3回を聴く。 

レオンスカヤのシューベルトの特徴は極めて大柄な造形でスケールが大きく骨太、言うなればベートーヴェン的なシューベルトとでも形容できるものだ。それはピアノの前に座るや否や大きな身振りで弾き始めた初日の第1番アレグロ・マ・ノン・トロッポから既に明らかだが、初期ソナタと言えどもビーダーマイアー風にちんまりした親密さを打ち出すというよりももっと強靭な意志の力を感じさせるのはアンダンテでも同様。このような演奏では、若きシューベルトがピアノ・ソナタという形式に初めて挑戦した気概とでも言うべきものが前面に出て来ることとなる。 

 2日目の『幻想』第1楽章のような息の長い抒情的な楽章では俯瞰的なフレージング設計の巧みさによってこの無時間的な音楽を常に内的緊張感とメリハリを持って演奏することに成功している(演奏がまずいと聴き手はどこにいるのかが分からなくなる) 。もちろん十分に甘美で柔らかく美しいのだが、レオンスカヤの本領はやはり構成感と言うかがっちりとした造形感の内にあるだろう。それは初日の第17番コン・モートにも言える。 

 筆者が通った3日間、アンコールを入れて全12曲を細かく述べて行くことはしないが中でも特に名演奏だと思ったのは上に挙げた初日の第1番と2日目の『レリーク』(第2楽章の凛とした佇まいによる高貴な「歌」の素晴らしさ!)、曲自体を非常に好むということもあるが3日目の第13番アレグロ・モデラートで聴かせたたゆたうようなキリッとした甘美さと同曲終楽章アレグロでの軽快さ。同じ2日目の第16番では曲自体のスケール感と表現力がそれまでのソナタから一段とアップした中期の傑作だけに、レオンスカヤの力量もさらに万全に発揮されることとなる。主題発展や転調の効果の生かし方と堂々たる力感という点で、録音も含めて過去聴いたこの曲の中でも最高の演奏の1つだった。そこにあるのはシューベルトの楽想の意味を捉える知性と強靭な技巧であり、その意味ではタイプこそ全く違うものの同じ時期に来日して同じくシューベルトを弾いたピリスと合い通じるものがあろう(余談めくが、今回レオンスカヤとピリスは2人ともヤマハのピアノを使用した。日頃からヤマハなのかは存じ上げぬが、独特の色を持たないフラットで明るいヤマハの音はこの2人の演奏に確かに合ってはいまいか)。 

作品が演奏者という媒介者を通じて音化される以上その演奏者の「色」が出るのはいわば当然なのだが、その「媒介者」が透明になる演奏というものもある。レオンスカヤのシューベルトは最初こそその剛直さに演奏者の身体性を感じさせられることとなるが、チクルスで聴き進んで行くうちにシューベルトの音楽をレオンスカヤ流に「汲み尽くして」おり、それが極めて的確であるが故に次第に「慣れ」というのではなくレオンスカヤとシューベルトが一体化して行く現場に居合わせたという印象があり、終盤に至ってはそこにシューベルトの音楽しか感じないという僥倖が訪れていた。それはピリスのような自然さで訪れた訳ではないが、確かにシューベルトをたっぷりと堪能したという思いだけが残った。チクルス後半3回が聴けなかったのが誠に残念…。 

(2018/5/15)