びわ湖ホール プロデュースオペラ「ワルキューレ」|能登原由美
2018年3月4日 滋賀県立芸術劇場 びわ湖ホール
Reviewd by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:びわ湖ホール
〈演奏〉
指揮|沼尻竜典
演出|ミヒャエル・ハンぺ
管弦楽|京都市交響楽団
〈キャスト〉
ジークムント|望月哲也
フンディング|山下浩司
ヴォータン|青山貴
ジークリンデ|田崎尚美
ブリュンヒルデ|池田香織
フリッカ|中島郁子
ゲルヒルデ|基村昌代
オルトリンデ|小川里美
ワルトラウテ|澤村翔子
シュヴェルトライテ|小林昌代
ヘルムヴィーゲ|岩川亮子
ジークルーネ|小野和歌子
グリムゲルデ|森季子
ロスワイセ|平舘直子
「ジェンダー」をめぐる議論がホットな今だからというわけではないのだが、「私の好きな女性像」について思わず考えさせられてしまった。というのも、この公演、二人の対照的な女性の存在がどちらも愛おしく、強く私の胸を惹きつけてしまったのだ。ブリュンヒルデとジークリンデ。かたや戦士として自由自在に飛び回り、強固な意志のもとに世界に臨む。かたや妻として世界から隔絶された家の中で、夫の意志に従いひっそりと暮らす。昨今の日本のオペラ界を賑わせている二人の新星、池田香織と田崎尚美が、魅力的な女性たちを見事に歌い演じていたのである。
池田のブリュンヒルデ。雷光のように鋭く輝きのある声で、登場するやその存在が舞台を支配する。その上、安定感のあるその声が、危機一髪の窮地を救ってくれる「正義の味方」よろしく、頼もしさすら感じさせる。そうしたなかで、それまでの半ば攻撃的とも思える歌唱が、終幕での父ヴォータンへの釈明と別れにおいてわずかに緩んだ。父への思慕の念、あるいは自らを待ち受ける試練に対する不安と恐れがその声に、その佇まいに現れた。鎧の下に隠されたブリュンヒルデの別の一面が露わにされ、一層こちらの心を掴み上げて離さない。さらにその瞬間、彼女は炎に包まれた岩山で長い眠りにつく。最後になってようやく彼女の新たな一面を垣間見ただけに、眠りから覚めた彼女がその後どのような女性像を見せてくるのか、早くも気持ちを次作へと駆り立ててくるのである。
一方、田崎のジークリンデ。池田同様に重量感と芯の強い歌声をもつだけに、これまでに彼女自身がブリュンヒルデを演じたこともあるというのも大いに納得できる。けれども、今回は何よりも、ジークリンデという一人の女性の心の機微を見事に歌の中で演じていた点で、おそらくブリュンヒルデ以上に私の心を捉えてしまった。もちろん、自分の意志を殺して夫に従うという弱い女性像には共感できない。けれどもジークムントと出会ったことで芽生えた恋心、その戸惑いと慄きを切々と表現しながら徐々に強さを増していくその姿からは片時も目が離せなかった。そして愛の自覚とともにうちに秘めていた意志が彼女を解き放ち、逃避行という大きな行動へと駆り立てる。その変化の様子は歌の中で説得力をもって表現され、十分に共感できるものとなっていったのだ。
強さの裏に隠した弱さがほの見える女性と、弱さの裏にある強さで思いがけない行動へと突き進む女性。私はやはり前者のブリュンヒルデに惹かれるけれども、今回はジークリンデの一途さとその激しい行動を駆り立てた愛のひたむきさに参ってしまったかもしれない。
もちろん、男性陣も決して遜色なかった。ジークムントの望月哲也も、ヴォータンの青山貴も素晴らしい。とはいえ、ブリュンヒルデやジークリンデのように、その内面にまで心を寄せてしまうというほどではなかったかもしれない。「素晴らしい歌唱だった」とは言えるのだけれども。
それにしても、日本人によるキャストでこれほどのワーグナーが聴けるとは想像しなかった。おそらくあの日会場にいた聴衆の多くが同じような感想を抱いただろう。正統派として知られるドイツの巨匠、ミヒャエル・ハンペの演出は、最新の映像技術の使用という点では目新しさはあるものの、そうした技術を台本の世界の視覚的再現に傾けるために、演出としての斬新さには乏しい。彼が一手に引き受けた4年にわたる壮大なプロジェクト、「びわ湖リング」の2作目となるが、昨年の《ラインの黄金》ではその映像技術に目を見張ったものの、音楽も含めて大きなインパクトを欠いていた。結果、「凡庸な」プロダクション、という印象で終わったように思う。
けれども本公演では、歌手陣の働きによりその演出が「正しい」ことを示していたと言える。第1幕第3場でジークムントとジークリンデの愛の二重唱では、フンディングの館の内部が一瞬にして春に溢れる戸外へと変化するが、抑圧されていたジークリンデの心の解放が音楽と呼応しながら見事に表現されていた。この度の映像による演出ならではのものであろう。
欲を言えば、沼尻竜典率いるオーケストラに物足りなさを感じる場がいくつかあったことを加えておきたい。特にジークムントとジークリンデや、ヴォータンとブリュンヒルデの対話など、感情の変化をより引き立たせるには控えめに過ぎるような気がする。言葉のない場面となると、背後の音楽がおとなしいために空気が淀み、冗長に感じられてしまう瞬間もあった。これだけ力量のある歌手陣が揃ったのだから、もっと管弦楽が主張しても良いのではないだろうか。
とはいえ、振り返ってみればこのような不満は払拭されるぐらい全体としての満足度は非常に高いものであった。来年の公演が早くも楽しみである。
(2018/4/15)