ウィーン便り|プラハ旅行記|佐野旭司

プラハ旅行記

text & photos by 佐野旭司  (Akitsugu  Sano)

ヨーロッパは先週までイースターで賑わっていた。去年のイースターは4月の第2~3週、ちょうど今頃の時期だったが、今年はそれよりも2週間ほど早く3月の最後の週から4月の第1週にかけてだった。
この2週間は大学も休みになるが、去年は奨学金延長申請の書類の作成などもあり、イースターの時期はどこにも出かけなかった。ただその代わりにウィーンで礼拝や演奏会、イースターマーケットなど様々なイベントを見て回ったが。
そして今年は、この2週間の休みを利用して国外に出かけ、イースター休みの最初の5日間(3月24~28日)はプラハで過ごした。今回は1月のイタリア旅行記に続き、国外旅行の話題もこれで2回目になる。

年末年始にイタリアに旅行した時と同じように、ウィーンからプラハまでは鉄道で移動した。ウィーン中央駅(Wien Hauptbahnhof)からプラハ本駅(Praha hlavní nádraží)までは列車で約4時間弱かかり、しかも乗り換えなしで行くことができる。ウィーンとプラハは直線距離で251kmほどで、これは東京と愛知県の安城(約254km)とほぼ同じくらいの距離である。ただウィーンからは国外に出る列車でも、日本の新幹線みたいに速い便はなく、日本でいえば東京から三河安城あたりまで在来線で移動するのと同じようなものだ。
プラハ本駅に着くとさっそくチェコの雰囲気に浸ることができる。駅のアナウンスの時に流れるチャイムの音が、なんとスメタナの交響詩《ヴィシェフラド》(《我が祖国》の第1曲)の冒頭の旋律だった。この駅から市の中心地に出るために地下鉄で移動し、国立博物館の近くの駅で降りた。駅を降りると目の前はヴァーツラフ広場で、イースターの時期ということもあり人が多く賑やかだった。そしてここから少し足をのばすと旧市街の広場に出る。この広場でまず目につくのは真ん中にあるヤン・フスの像である。よく知られているように、フスは14世紀から15世紀初めに宗教改革を試みてカトリック教会に処刑された宗教思想家で、チェコでは英雄である。そしてこのフス像の周りではイースターマーケットが開かれていた。ウィーンのイースターマーケットはフライウングやシェーンブルン、アム・ホーフなど場所が限られているのに対し、プラハでは街中のあちこちで大小さまざまな規模のマーケットが出ている印象を受けた。この旧市街の広場のほかにもヴァーツラフ広場やプラハ城、そしてカレル橋のたもとなどでも見られた。

初日は市内を歩いて色々と見て回ったが、2日目と3日目はプラハの城を見て回った。まず2日目はスメタナの交響詩でもおなじみのヴィシェフラドに。ここはかつてボヘミア王の城があった場所で、市の南のほうのヴルタヴァ川沿いにある。城の建物はほとんど残されていないが、敷地内には聖マルティン教会のロトンダや、聖ペテロ聖パウロ教会などが現存する。そしてここでの見どころは多くの芸術家の墓だろう。聖ペテロ聖パウロ教会の隣には墓地があり、そこにはドヴォルザークやスメタナ、アルフォンス・ミュシャ、ラファエル・クーベリックなどの墓がある。なかでもスメタナの墓は特に目立っており、《モルダウ》の楽譜(おそらく自筆譜からとったもの)が彫られている。そして次の日には有名なプラハ城に行った。こちらも城の建物はほとんど残っていないが、聖イジー教会や聖ヴィート大聖堂などの宗教施設が残されている。そして特に印象的なのが聖ヴィート大聖堂だった。この聖堂はウィーンのシュテファン聖堂と同じくゴシック様式の建物で、どちらも14世紀以降に現在の形への改築が始められたそうだ。この2つの建物は規模も外観も内部も非常によく似ている。またどちらも塔にのぼって市内を一望することができる。実はシュテファン聖堂の塔にはまだのぼったことがないが(ウィーンにいる間に一度は行っておきたい)、今回の旅行では聖ヴィート大聖堂の塔にのぼってみた。こちらの塔にはエレベーターがなく、(たしか)150段からなる螺旋階段を休みなしに歩いて上がらなければならない。塔の上からは辺り一面オレンジ色の屋根の市街を見ることができ、まさに壮観な眺めだった。ただ問題なのはこの塔を降りるときだった。私は高所恐怖症ではないけれど、螺旋階段を降りるのが大の苦手で、しかもこの塔の階段には手すりがなく、もし一歩でも踏み外したら・・・などと考えながら恐る恐る降りて行った。
また聖堂の内部も壮大で、しかも色とりどりのステンドグラスが見られるが、その中にはアルフォンス・ミュシャのデザインによるものもあった。

そしてこの日(3日目)はプラハ城を見たあとヴルタヴァ川のクルージングに参加した。ヴルタヴァ川はドイツ語でモルダウ川と呼ばれ、スメタナの交響詩でもおなじみである。市内の真ん中を流れており、まさにウィーンのドナウ川のような位置づけである(ドナウ川よりは規模が小さいが)。そして川の周りにはカレル橋、国民劇場、貿易産業省、ルドルフィヌム、ストラカアカデミー、スメタナ博物館、ヴィシェフラドなど、市内の主要な建物が多い。またプラハ城も川からよく見える。(ただ、クルージングはカレル橋から北のルートだったので、ヴィシェフラドと国民劇場は見られなかったが。)
川からこれだけ主要な施設が見えるところはウィーンのドナウ川と大きく異なる。ウィーンの主要な建物はどれもドナウ川からは離れたところにあるので、川からは全く見えない。余談だがドナウ川沿いにあって目を引く建物といえば、U1のDonauinselの駅のそばにある「アッシジの聖フランチェスコ教会」と、その対岸にあるホテルMeliá Viennaくらいだろうか。

そしてプラハでは、オペラの上演が盛んなところもウィーンと似ている。こちらでは国立歌劇場や国民劇場、エステート劇場、カーリンミュージックシアターなどでオペラが上演される。今回の旅行では2日目(25日)に国民劇場でヤナーチェクの《ブロウチェク氏の旅行》を、そして4日目(27日)にはカーリンミュージックシアターでグノーの《ロミオとジュリエット》を観てきた。
特に印象に残ったのが前者のほうだった。《ブロウチェク氏の旅行》は2部からなるオペラで、プラハの住宅の家主ブロウチェク氏が居酒屋ヴィカールカで酔っぱらって月世界に行ったり15世紀のプラハにタイムスリップしたりするという物語である。第1部「ブロウチェク氏の月への旅」ではヴィカールカで泥酔して千鳥足になったブロウチェク氏が月へと昇っていき、そこでヴィカールカで顔見知りの人たちにそっくりの月世界の人々に出会う。そして第2部「ブロウチェク氏の15世紀への旅」では同じくヴィカールカで酔っぱらったブロウチェク氏が夢の中でフス戦争の時代のプラハに行く。そこで神聖ローマ帝国の軍との戦いで意気軒昂としているフス教徒たちと出会うが、ブロウチェク氏は戦争から逃げ、その言い訳として様々な嘘をついたことがあだとなり火刑に処せられてしまう。
今回の上演では非常に凝った演出で見応えを感じた。私は12,3年前にウィーンに来たとき同じオペラをVolksoperでも観たが、この時は軽い感じの演出でコミカルなSFの物語のように描かれていた。それに対し今回のプラハでの上演では、単なる夢の世界の物語としてではなく、特に第2部ではこの作品に対するチェコ人の思い入れのようなものが強く感じられた。フス派の人々の気迫が見事に表現され、第2部の第2幕でそれが頂点に達しているかのようだった。ここでは男声合唱によりフス派の聖歌《汝ら神の戦士達よ》が高らかと歌われるが(この歌の旋律はスメタナの《我が祖国》の《ターボル》と《ブラニーク》や、ドヴォルザークの序曲《フス教徒》にも引用されている)、それがとりわけ力強くまた神々しく表現されていた。

今回の旅行では、このほかにも音楽関係の博物館(スメタナ博物館やドヴォルザーク博物館、音楽博物館)や、スメタナホールやミュシャの絵で有名な市民会館、ミュシャの美術館などを回り、音楽をはじめプラハの芸術に触れることができた。
プラハにはウィーンから簡単に行くことができ、日本からの旅行でも両方の都市を一緒に回る人も少なくないだろう。実は自分もプラハの旅行は去年から考えてはいたけれど、腰の重い私は、気軽に行けると思っていると逆になかなか行かなくなってしまう。そしてウィーンで最後のイースターを迎える今回、それがようやく実現したのだった。

 (2018/4/15)

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佐野旭司 (Akitsugu  Sano)
東京都出身。青山学院大学文学部卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および博士後期課程修了。博士(音楽学)。マーラー、シェーンベルクを中心に世紀転換期ウィーンの音楽の研究を行う。
東京藝術大学音楽学部教育研究助手、同非常勤講師を務め、現在オーストリア政府奨学生としてウィーンに留学中。