B→C ウェールズ弦楽四重奏団|藤原聡

東京オペラシティ リサイタルシリーズ B→C ウェールズ弦楽四重奏団

2018年3月13日 東京オペラシティ リサイタルホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photo by 池上直哉/写真提供:東京オペラシティ文化財団

<演奏>
ウェールズ弦楽四重奏団
  ヴァイオリン:﨑谷直人、三原久遠
  ヴィオラ:横溝耕一
  チェロ:富岡廉太郎

<曲目>
ハイドン:弦楽四重奏曲第1番 変ロ長調 Hob.Ⅲ:Ⅰ『狩』
ウェーベルン:6つのバガテル op.9
猿谷紀郎:アイテールの貪欲(1996)
シューベルト:弦楽四重奏曲第12番(断章) ハ短調 D703
J.S.バッハ:『フーガの技法』BWV1080から第1~4コントラプンクトゥス
藤倉大:弦楽四重奏曲第2番『フレア』(2010)
(アンコール)
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 op.18-3~第3楽章

 

1998年4月から開始された東京オペラシティ主催の「B→C(ビートゥーシー/バッハからコンテンポラリーへ)シリーズへの出演は今や若手日本人演奏家にとってある種のステイタスになっているように思える。バッハ作品とコンテンポラリー作品を必ずプログラムに加えるという決まりさえ守ればいかなる選曲も可能という自由さを持つ当シリーズ、それゆえ様々なアーティストが腕によりをかけてユニークなプログラミングを行なうので毎回実にフレッシュであり(上記プログラムを見れば即座にそれは理解できるだろう)、ありきたりなコンサートには絶対にならない。今回のB→Cはスタートしてから丁度200回目という記念回であり、ここにウェールズ弦楽四重奏団が満を持しての登場である(尚、当シリーズに弦楽四重奏団が登場するのは実に14年ぶりだという)。

1曲目はハイドンの弦楽四重奏曲第1番。これは実演ではなかなかお目にかからない曲目だが、その演奏は実に完成度が高い。何よりも4人の音色的な均質性と表現の指向性が完璧に一致しており、弦楽四重奏なのだから当然だろう、というようなレヴェルを大きく越えている。定量的な言い方になるが、通常の団体がセンチメートル単位の精度とすればウェールズはヴィブラートの幅や和音の作り方などミリ単位の世界で演奏している。しかも邦人団体にしばしばあるような全体性を優先する余り個々の顔(主張)が見えにくいという事態にも陥っていない(特にチェロの富岡氏の表現力に瞠目)。ハイドンのような古典作品ではこのようなウェールズの特質が大いに物を言い、ちょっと聴きには特別なことをしていないようでありながらアダージョでの深みあるハーモニーであるとかメヌエットでのフレージングの完璧な統一など、惚れ惚れするような出来栄え。実を言えば筆者はウェールズの実演は今回が初なのだが、録音よりも遥かに凄い。

ハイドンの後にウェーベルンというのがまたたまらない構成であるが、ここで彼らはウェーベルンの難曲をいとも「普通に」「肩の力が抜けきった」状態で演奏している(少なくとも出て来た音楽には微塵の気負いもない)。ことさらに鋭利に、とかニューロティックな緊張感を以って、などといういかにもな前衛的姿勢もない。ウェーベルンの音楽は作曲家が亡くなって70年以上経過した現在にあっても依然アヴァンギャルドな異物性が保たれているという点でまったく稀有なものだと思うが、ウェールズはそれを感じさせないほどに自然なのだ。これは裏を返せばテンポや音色の対照性をさらに際立たせた方がより強烈な印象を聴衆に与えられるということでもある。だが、彼らはそのような観点で演奏していない。もはやハイドンとウェーベルンは等価なのだ。勿論そういう演奏を可能にしているのは彼らの並外れた技術力の賜物であり、それ自体驚くべきことだ。

続く前半最後の曲は猿谷紀郎の『アイテールの貪欲』。この耳慣れない固有名詞についての説明はパンフレットにこうある、「…紀元94年に生まれたとされるローマの哲学詩人ルクレティウスは、唯一の著作『物の本性について』のなかで、あらゆる事物の盛衰を原子(アトム)の運動によって説明しました。」そして「彼は、『この世界と似たアトムの集合が、どこかよそにも必ずあることを認めなければならない』と説き、それを“アイテールが貪欲を抱いている”と表現した」(作曲者)。解説を読むと何やら難解そうな印象を抱くが、その音楽は、こういう言い方が適切かどうかは分からぬがかなり分り易く、その音楽の作られ方は西欧的であり4声部がそれぞれの主張を明確に繰り広げるようなもので、その技法が例えばクセナキス的なグリッサンドの連続などで成り立っているということだ。響きは斬新だが音楽の構成自体は明快、と聴いた。序盤の混沌から終盤の脱力への流れが単純に面白く聴ける。初めて聴いた曲ゆえ他演奏との比較(ニューアーツSQの録音がある)など細部の異同については論じかねるが、ウェールズの演奏精度はほぼ万全だったように思う。破綻がないのは彼らの技術力からして当然にも思うが、危うい箇所すらまるでないように聴こえる。

休憩を挟んでの最初は再度古典作品に戻ってシューベルト、これまた非常な名演奏でちょっと驚く。激しいながらも整然とした第1主題、それに対する伸びやかな歌心を遺憾なく発揮する第2主題。特筆すべきはこの第2主題から第1主題へ戻る経過句でのアゴーギクの活用。絶妙なテンポの緩め方によってその音楽は後ろ髪を引かれるような趣を呈する。最後のアコードの作り方も新鮮。今までに様々な『四重奏断章』を聴いたが、その中でも特筆すべき演奏だったように思う。

『フーガの技法』は基本的にノンヴィブラート、曲によっては控え目に用いる。全体の響きの純度が他演奏に比べても異様に高く、いい意味で弦楽四重奏のように聴こえない。しかも各声部の解像度も高い構造的演奏足り得ている。この2つを高次元で兼備している時点で彼らの実力が分かるというものだ。元来非常に抽象的な音楽ゆえ楽器を選ばない曲とも思えるが、その抽象性がこの演奏によってさらに高められ、何とも非現実的かつ無時間的な空間が現出していた。バッハの曲の中でも『フーガの技法』は難解でいささか退屈という印象があったのだが、ここではそのような思いは微塵も感じられない。バッハの凄さ云々というよりも(それは当たり前のことだ)、演奏によるものなのは明白。

そしていよいよ最後は藤倉大の『フレア』。今までどちらかと言うと抑制気味の演奏を聴かせていたウェールズがここでそのヴィルトゥオジティを遺憾なく発揮した感。聞けば彼らはこの作品を得意としており何度かコンサートに掛けたことがあるようだが、そのためかここでもほぼ完璧に思える。超絶技巧と多種多様な奏法のオンパレードのような作品で(作品委嘱者のアルディッティSQは「他人には演奏できないような難しい曲を」と言って藤倉大にリクエストしたとのこと。アルディッティは作品委嘱時に「出来るだけ演奏の難しい作品を」と言うのが常なようだ)中にはギターのピックを用いて弦をはじく箇所もあり視覚的にも楽しい。「頭で聴く」ことを余儀なくされるような難解な作品ではなく理屈抜きに面白い作品だが、ベルクのような響きも聴かれるなど(少なくとも筆者にはそう聴こえる箇所があった)そこには過去への参照もフッと忍び込み、作曲者は単に新奇で伝統から断絶した音楽を作っているのではないことは明白である。ここでもウェールズの面々は顔色1つ変えずにクールに弾き切るが、そこには冷静な熱狂も存在していて、ただ正確なだけでもなく、ただ盛り上げるだけでもなく、この2つが高次に融合している。凄いものを聴かせてもらいました。
アンコールにはベートーヴェン(余談だが、筆者には彼らのステージマナーの素っ気無さというか愛想のなさが好ましい。本人たちがどう考えているのかは知らぬが、「演奏で勝負ですから」とでも言っているようだ)。

ある演奏家の本当のところは実演に接してみないと分からない(それも可能な限り多く)とは常日頃理解しているつもりだが、ウェールズも録音だけだと普通に優秀でよくまとまった団代の1つ、程度にしか思っていなかったのだった。しかし当夜の実演でその本領の一端に触れた思い、これから出来る限り彼らをフォローして行こう。

関連評:ウェールズ弦楽四重奏団|谷口昭弘

(2018/4/15)