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名手たちによる室内楽の極(きわみ)|藤原聡

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2018-
名手たちによる室内楽の極(きわみ)

2018年3月29日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by ヒダキトモコ/写真提供:東京・春・音楽祭実行委員会

<演奏>
ヴァイオリン:長原幸太、小林壱成
ヴィオラ:鈴木康浩、生野正樹
チェロ:上森祥平、伊藤文嗣

<曲目>
ベートーヴェン:セレナード ニ長調 op.8
シューベルト:弦楽三重奏曲 第2番 変ロ長調 D581
コルンゴルト:弦楽六重奏曲 ニ長調 op.10
(アンコール)
J.シュトラウス2世(佐々木絵理編):『雷鳴と電光』

 

多彩なプログラムを誇る東京・春・音楽祭の中でも室内楽ファンが注目するのがこの「名手たちによる室内楽の極(きわみ)」シリーズだろう。読響のコンサートマスター長原幸太と首席ヴィオラ奏者鈴木康浩、ソリストの上森祥平がメインとなり、そこに編成の大きな曲を演奏するに際してゲストを呼ぶ形で開催される当シリーズは実演で聴く機会のあまりない曲を取り上げてくれることが多くて嬉しいが(昨年2017年はメインを有名なシューベルトの弦楽五重奏曲に置き、その前に比較的マイナーなモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲、ベートーヴェンの弦楽三重奏曲)、今年は何と言ってもメインのコルンゴルト。元々弦楽六重奏という編成の楽曲自体が少ないが、その中でも傑作の1つと言われている割にはなかなか実演でお目にかからない。それゆえ当夜のような名手たちによる演奏に接することが出来るのは僥倖である。

メインメンバー3人による最初のベートーヴェンはいい意味で「生真面目な」、そしてハイレヴェルな演奏。次の作品9以降に弦楽三重奏曲から弦楽四重奏曲へ編成を拡大して行く前の習作的な作品、という「軽さ」はなく、大きな構えの中で全体としてまとまることを優先したチンマリした音楽にはならずに3人が比較的大柄かつソリスティックに演奏しているのでスケールも大きいが、それでいて均衡は上手く保たれている。愉悦感にはやや乏しいが、それもベートーヴェン的という気がする。中でも第3楽章アダージョでの鈴木のヴィオラの深みある音色による絶妙な歌い回しが特に印象深い。尚当コンサートのパンフレットにも記述があったが、この楽章がヴィオラの歌によるアダージョと鋭利なスケルツォの極端な交代が実に奇妙であって聴き手のエモーションが分断されること甚だしい。ベートーヴェンは若書き(27歳)の習作と言われているような作品でもこういうことをしてしまう作曲家なのだ。だからこその後年の変化・深化なのだろう。

再度メインメンバーによるシューベルトでは、さすがにベートーヴェンの演奏時よりはリラックスした風情。その音楽は第1楽章など愉悦感はあってもあまりシューベルト的な感じではなく、こう言っては語弊があるかも知れないがハイドン的に古典的な楽想のように聴こえる(ここでもパンフレットから引けばハイドンのバリトン三重奏曲からの影響を指摘する説があるようだ)。このような印象は第3楽章まで続くが、しかし第4楽章になってようやく紛れもないシューベルトの「歌」が聴こえて来る。ただ、ここではもっと柔軟な歌い回しであるとか柔らかさが少し欲しくなりもする。その音楽は非常に立派で質が高いながらもどこか生真面目さが付いて回るのだ。素晴らしい演奏には違いないが、ベートーヴェンとの差異をより打ち出して頂けたらさらに楽しめたかも知れない。

休憩を挟んではいよいよコルンゴルトの弦楽六重奏曲。作曲者がこれを書いたのは17歳だと言うからその尋常でない天才ぶりに驚く他ないが(9歳時に作曲したカンタータを聴いてマーラーが「音楽学校も指導者も不要だ」と言ったとか、ピアノ・ソナタ第1番を指して「11歳の子の手になるものと知って最初に襲ってくるのは戦慄と恐怖です」とかのリヒャルト・シュトラウスが感嘆したとか、とにかくその手の話がゴロゴロある)、これは信じ難い成熟を見せる作品で、特に第2楽章での後年20歳時の作品『死の都』を先取りしていたと思われるような濃密かつ退廃的なロマンティシズムが圧倒的だが、ベルクの音楽にも出て来る屈折した「ウィンナワルツ」が登場するアイロニカルな第3楽章もまた到底17歳の少年の書いた作品とは思えない。メインメンバーとここで登場した小林、生野、伊藤(東響首席奏者)の3人が加わった6人で演奏されたこの例外的な音楽は、全メンバーの技量の高さによる音の厚みからしていかにもコルンゴルトに相応しいものだ。これは全楽章、わけてもブラームス的に晦渋なテクスチュアを誇る第1楽章で特に生かされるが、オーケストラやアンサンブル活動で培われたと思われる彼らのアンサンブル力は快速なプレストの終楽章でも遺憾なく発揮されていた感。さらに高い次元の話をするならばより緻密な音色の練り上げが欲しくもあったし(熱演ゆえその辺りは背後に退いていた)、内声とチェロの充実は良いにせよ全体としてみると旋律がもっと出て欲しい箇所もあった。しかしこの傑作を極めて質の高いこのような演奏で聴かせてもらったことに素直に感謝したいと思う。細かい注文はあるにせよ、実演でなかなか聴けない曲であるし、繰り返すがそれがここまで質の高い演奏であるからなおさら貴重な時間であった。

コルンゴルトの濃密濃厚退廃的な美の世界に遊んだあとにはガラッと雰囲気を変えてアンコールに『雷鳴と電光』、もうこれはノリノリの快演。大きく体を揺すって6人全体がそのバイブズを互いに交歓しあう様は見ていて実に楽しいが(確か2nd vnの小林だったが思わず、といった風情で途中で立ち上がって弾いていた‐笑)、これがコルンゴルトの「毒消し」として対照的に上手く作用して見事なお開き。このシリーズ、来年はどの曲が登場するでしょうか。楽しみです。

 (2018/4/15)