シュニトケ&ショスタコーヴィチプロジェクトII|齋藤俊夫

シュニトケ&ショスタコーヴィチプロジェクトII――チェンバー・オーケストラ

2018年3月25日 トッパンホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:井上道義
ヴァイオリン:山根一仁(*)
ヴァイオリン:アビゲイル・ヤング(**)
ピアノ、チェンバロ、プリペアド・ピアノ:北村朋幹(***)
トランペット:長谷川智之(****)
トッパンホール チェンバー・オーケストラ

<曲目>
アルフレート・シュニトケ:『コンチェルト・グロッソ第1番』(1976-77)(*)(**)(***)
アルヴォ・ペルト:『タブラ・ラサ』(1977)(*)(**)(***)
アルフレート・シュニトケ:『モーツ―アルト・ア・ラ・ハイドン』(1977)(*)(**)
ドミトリー・ショスタコーヴィチ:『ピアノ協奏曲第1番 ハ短調』(1933)(***)(****)

 

照明を落とした暗闇の中で、プリペアド・ピアノの幽霊的な高音と弔鐘のような低音が響く。そして山根とヤングのソロが率いる弦楽オーケストラが絶望のさらに向こう岸の歌声を奏でる。音の「濁り」が実にロシア的、いや、ソ連的か?シュニトケ『コンチェルト・グロッソ第1番』はこのような第1楽章「プレリュード」で始まる。
第2楽章ではバロックのコンチェルト・グロッソ風に始まるも、怒り、悲しみ、怨恨、恐怖、そういった情念がほとばしり、バロック的秩序を崩壊させ、嵐のように吹き荒れる。
第3楽章に入って弦楽オーケストラが背後に退き、地獄の亡者の声のようなねっとりとしたうねりを作る中、ヴァイオリンソロ2人が叫び、やがて弦楽オーケストラも合わさって(おそらく弦楽パートを多声部にわけたミクロポリフォニーの技法を使って)恐ろしいほどの絶叫がホールを満たす。
第4楽章「カデンツァ」でのソロの直截的な怒りの叫びから続いて、第5楽章「ロンド」でのバロック風の音楽へと進むが、ヴァイオリンソロ2人とチェンバロの3人がどんどんバロック音楽を犯していき、何故かタンゴが挿入される。このタンゴは死者の踊り、「ダンス・マカブル」ではなかろうか。またバロック風に戻ったかと思うと全楽器が我勝ちに叫び、そして冒頭のプリペアド・ピアノの幽霊と弔鐘が再び現れる!
そしてもはや生者はどこにもいない。ピアノの弔鐘と、荒野を吹きすさぶ風のような弦楽器の音が消え入って、了。凄まじい音楽であった。

ペルトの「ティンティナブリ(鈴鳴らし)様式」の代表作、『タブラ・ラサ』、第1楽章はソロ2人、特に山根が上手すぎた。儚い弱音も、激しく斬りつけるような強音も、音楽的な隙が全くなく、最初から最後まで音の線が一本につながって聴こえてきた。
しかし、極めて遅いテンポの(今回の演奏は特に遅いテンポであった)第2楽章では第2ソロのヤングが少々音を外してしまっていたように聴こえた。縦の線(テンポとリズム)のずれと同時に、音のピッチも4分音かと思うくらいにずれていた部分があった。全体としては清澄な演奏であったが、それゆえにわずかなズレが聴き取れてしまったのだろう。

深刻な曲が続く中の箸休め的なシュニトケの冗談音楽『モーツ―アルト・ア・ラ・ハイドン』は、指揮者の服装を見た時点でもう冗談が始まっていた。白いフワフワのカールがかかったバッハの肖像画のようなカツラ、サイズの合っていない燕尾服(のような安物の服?)、蝶ネクタイや襟がプリントされたトレーナー、ジャージのズボン、胸ポケットにはだらりとハンカチ、足にはスニーカー、である。
モーツァルトとハイドンの断片を頭が良いのかバカバカしいのかわからないくらいにごった煮にした音楽で(ショスタコーヴィチも混じっていたかもしれない)、演奏者と指揮者が仲違いをして、演奏者がステージを出ていってしまい(ハイドンの『告別』のように)、最後には指揮者が酒(ボール紙に描かれた瓶であるが)をラッパ呑みして終わるという、いやはやなんとも冗談が過ぎる作品・演奏であった。

最後のショスタコーヴィチ『ピアノ協奏曲第1番』は大量のパロディを用いて、ショスタコーヴィチ的・ロシア的・ソ連的アイロニーが一杯になった作品。
筆者にはどこがどの曲のパロディかと正確には述べられないが、パロディだから笑えるか、というとそうではないのが「ショスタコーヴィチ的アイロニー」であり、北村朋幹の正確極まりないピアノによるパロディの連続が「シリアス」に聴こえてくる瞬間が恐ろしくもあるのである。例えば、第1楽章の最後のように。
第2楽章のチャイコフスキーがウォッカを飲んで即興しているようなピアノソロ、第3楽章の前期ロマン派のショパンやシューマンか誰かのようなピアノが弦楽の悲劇的な合奏と混じり合うのも実にショスタコーヴィチ的。
そして第4楽章はショスタコーヴィチ的アレグロで火を噴くピアノとトランペット!さらに全員でドンチャン騒ぎを繰り広げ、ピアノの超高速カデンツァの勢いをそのままに突撃ラッパに率いられて突貫し、ドンチャン騒ぎの最後は指揮者が客席を向いて終わり。笑って良いものか、深く真剣に考えるべきなのかはわからないが、見事であったことは確かである。

それにしても井上道義の指揮法の自由自在さは特筆せねばなるまい。踊るように、しかも軟体動物の踊りや人形の踊りのように指揮をしたり、腕をだらんと下げて振り子のようにそれをぶらぶらと揺らすだけの指揮など、「これで良いのか?」と思ってしまうような指揮法なのだが、現実に聴こえてくる音楽は実に見事、完璧に采配を取っているのである。山根一仁、北村朋幹らに全く引けを取らない「若さ」も具えていた。まさに達人の域に達した奇人と言えよう。

                                  (2018/4/15)