新日本フィルハーモニー交響楽団 第585回定期演奏会|谷口昭弘
新日本フィルハーモニー交響楽団 第585回定期演奏会
ジェイド<サントリーホール・シリーズ>
2018年 3月17日 サントリーホール
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
指揮:タン・ドゥン
パーカッション:ベイベイ・ワン
パーカッション:藤井はるか
パーカッション:ジャン・モウ
パーカッション:柴原誠(新日本フィル打楽器奏者)
<曲目>
タン・ドゥン:《オーガニック3部作》
《水の協奏曲》~ウォーター・パーカッションとオーケストラのための~
《紙の協奏曲》~ペーパー・パーカッションとオーケストラのための~
《大地の協奏曲》~セラミック・パーカッションとオーケストラのための~(日本初演)
タン・ドゥンという名前を聞くと、アジア音楽祭’90オープニング・コンサートで演奏された《オン・タオイズム》がNHK教育テレビ(当時)の『文化ジャーナル』という番組で放送され、この人がオーケストラに向かって何やら叫んでいたという記憶しかなく、また彼の《新マタイ受難曲》について文章を書く時にCDを聴いたり動画を観たりしたくらいで、実はそれほど詳しくない。「胡散臭い」だとか「あざとい」とか「ケレン味がある」だとか、いろいろ噂では聞いていたのだけれど、せっかく彼の作品をまとめて生で体験する機会があるというので、サントリーホールに出かけてきた。
まず目についたのは、指揮者の下手側に置かれた水の入った大きなボウルで、興味をそそる。第1曲目の《水の協奏曲》のためのもののようだ。オルガンも水色に照らされていて、何やら儀式めいた雰囲気が漂う。その《水の協奏曲》の冒頭部分では、ウォーターフォンというホラー映画やサスペンスで使われる楽器が弓で弾かれ、揺らされる。オーケストラの方は、トロンボーンやチューバの「ブルッ、ブルッ」という音。やがて高弦がロングトーンでクラスター音を奏でていく。打楽器奏者は、やがて水の入った大きなボウルと戯れていく。時には激しく水の表面を手で叩きつけたり、そっと触ってみたり、カップを使ってバシャバシャしてみたり。特に最後の手法はカメルーン辺りでバカ族(バカ・ピグミー)がやっているウォーター・ドラミング(水太鼓)を想起させた。この一連の動作を支えるオケの方だが、金管楽器奏者はマウスピースだけの音でバジングしたり、それを叩いてみたり、通常の奏法では得られない音響を作り出す。全体にオケの方は不穏な嘆きや叫びを作っていた。突然旋律らしきものが短く現れたが、基本は短い音型をいろいろ出しながら進めていった。
次のセクションではスーパーボールでこすったドラを水につけるなど、リズム的な躍動感よりも、より神秘的・瞑想的な側面が追求されてくる。オーケストラの方も金管のブレス音、弦楽器のグリッサンドに加え、そしてチェロのノスタルジックな独奏やクラリネット独奏があり、冒頭部分に比べると旋律的な展開。西洋から眺めた東洋音楽といった様相を呈してくる。やがてボウルに満たされた水の上に桶のようなものがいくつか浮かべられ(調べてみたところ、これはどうやらサラダボウルを使ったドラムだったらしい)、これを打楽器としてリズミックに叩く部分が続く。木の深く、柔らかい音がした。さらに筒の中に玉か何かを入れた創作楽器が登場し、マラカスのようにシャカシャカさせるなど、冒頭部分の「水」から少しずつ逸脱していった。オーケストラにはオスティナートがあちこちで聞かれ、少しずつ興奮度を上げていく。木管楽器のマウスピースによる「オギャー」という赤ん坊にも似た声にもにた音も印象に残る。最後は大きな水切りが登場し、ボウルの中の水を汲んで、それをボウルの上からジャバーと流した。
15分の休憩の後は、《紙の協奏曲》である。舞台の上手・下手の天井から長い紙がぶら下がっており、見た目のインパクトは大きい。これはドラムのように使われた。そのほか紙をくしゃくしゃにしたり、破ったり、震わせたり。紙笛も登場した。楽曲解説によると、タン・ドゥンがかつて住んでいた中国の村には、シャーマンたちが紙を使って儀式をしており、そこから紙を使った作品のアイディアが浮かんだらしい。そのためか紙を打楽器のようにして使う奏者たちも、単に音を鳴らすだけでなく、体の動きにも演劇的な要素を加えていたようだった。オケの方は第1ヴァイオリンが客席の四方に散りばめられていて、空間にか細い音が投射されていく。また舞台上の団員も楽譜をリズミカルに譜めくりし、紙音に参加していく。この紙音の展開のネタがひと通りおわると、アルトフルートが旋律を奏で、これをもとにオーケストラが進んでいく。紙ネタはやがてさらに展開され、紙を開いたり閉じたりすることでオスティナート・リズムを聴かせたり、紙ほうきがでてきたり、しまいには扇子や傘まで登場。後半はオケがゴリゴリとなったかと思うと、ヴァイオリンが楽しそうな旋律を聴かせたりする。しかし全般的には水の協奏曲同様、どこかしら20世紀に開拓された不協和音を効果的にまぶしつつ進めていくのが彼の「現代性」なのだろう。オリジナル楽器や特殊奏法をネタとして面白く聴かせ、作品として構成するスキル、見せ方・聴かせ方の上手さは間違いなくある。
再度の15分の休憩とタン・ドゥンのトークの後は、《大地の協奏曲》の日本初演である。副題は「セラミックと石でつくられた99の楽器=アース・インスツルメンツとオーケストラのために」。第1楽章は「青春について」と題され、ステージ下手の床にずらっと並んだ箱状や円すい状の石器・陶器が冒頭から賑やかなオーケストラと共演する。その音色はアメリカの実験音楽家ハリー・パーチの創作打楽器アンサンブルを思わせる独特な音程の混在。時おりインドネシアのガムランを想起させるようなリズム・オスティナートも登場した。そして背後では弦楽器のピチカートがこだまする。やがて登場するセラミック・バス・ホルンから生み出されるのはオーストラリアの先住民の楽器ディジュリドゥを思わせる重低音の世界。オケは木管のマウスピース音で絡んでくる。
第2楽章「地上の悲しみを歌う酒席の歌」では中国の民族楽器シュン(日本の弥生の土笛の先祖ではなかったか)のオカリナ風な音が素朴な旋律を奏でたり、一気にアジア的世界が形成される。オケのほうからは管楽器のブレスの音、マウスピースを叩く音など特殊な効果。マリンバの独奏もあり、後半は下降グリッサンドを含めた民謡風の旋律が、あちこちに散らばった第1ヴァイオリンから演奏される。復調的な箇所もあるが、基本は親しみやすい旋律と前衛的手法の混在で、マーラーも引用されていた。第3楽章「春の酔いどれ」は、獰猛なブラスのざわめきに始まり、これまで登場した楽器も交えて自在な展開を見せる。脈略もなく続くようでいて、どうやって終結させるのかと思うと「バン!」という一撃で無理やり終わらせて、呆気にとられた。
全3曲を通して感じたことは、タン・ドゥンの立ち位置を考えるのは本当に難しいということだ。いや、そういうことを考えるから、変なポジション・トークをせねばならず、前衛の立場から考えると安易だとか、分かりやすい構成はあざとい、ということになるのかもしれない。確かに彼の音楽は深淵な思想や繊細な音の配置を期待するものではないけれど、あっけらかんとした思い切りのよさ、いろんなネタを取り込みつつ楽しませ続ける構成力はさすがというところだろうか。ひとまず今回の「オーガニック三部作」公演は、楽しいひとときを与えてくれたコンサートとして記憶に残しておこうと思う。
(2018/4/15)