アンサンブル・コンテンポラリーα定期公演2018|齋藤俊夫
アンサンブル・コンテンポラリーα定期公演2018 結成20周年記念 『バッハ生誕333年に寄せて』
2018年3月30日 東京オペラシティリサイタルホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 矢島泰輔/写真提供:アンサンブル・コンテンポラリーα
<曲目・演奏>
J.S.バッハ:コラール前奏曲『おお人よ、汝の罪の大いなる罪を嘆け』BWV622(山本裕之編:ピアノ独奏版)
ピアノ:黒田亜樹
金子仁美:『《コンポラプンクトゥスI》~歌をうたい・・(III)ピアノのための』
ピアノ:黒田亜樹
斉木由美:『《コンポラプンクトゥスII》ラルゴ~独奏ヴァイオリンのための』
ヴァイオリン:佐藤まどか
鷹羽弘晃:『《コンポラプンクトゥスIII》ロジカルバック for 2 players』
ファゴット:塚原里江、打楽器:神田佳子
堰合聡:『《コンポラプンクトゥスIV》BACH遊戯~ヴァイオリンとチェロの為の』
ヴァイオリン:佐藤まどか、チェロ:松本ゆり子
鈴木純明:『《コンポラプンクトゥスV》リューベックのためのインヴェンションI〈春〉・ブクステフーデとJ.S.バッハに寄せて~クラリネットとヴィオラ、ピアノのための』
クラリネット:遠藤文江、ヴィオラ:安藤裕子、ピアノ:及川夕美
星谷丈夫:『《コンポラプンクトゥスVI》72の断片によるシンフォニア』
フルート:多久潤一朗、チェロ:松本ゆり子、ピアノ:及川夕美
川上統:『《コンポラプンクトゥスVII》シノドンティス・ムルチプンクタートゥス』
フルート:多久潤一朗、オーボエ:宮村和宏、クラリネット:遠藤文江、トランペット:曽我部清典、指揮:鷹羽弘晃
山本裕之:『《コンポラプンクトゥスVIII》BWV422.666……』
オーボエ:宮村和宏、ファゴット:塚原里江、ヴァイオリン:佐藤まどか、チェロ:松本卓以、指揮:鷹羽弘晃
伊藤弘之:『《コンポラプンクトゥスIX》ディスタンスィズ(ゴルトベルク変奏曲のアリアの創造的編曲)~ピアノと録音されたアンサンブルのための』
ピアノ:及川夕美、(以下録音)フルート:多久潤一朗、トロンボーン:池上亘、ヴァイオリン:野口千代光、コントラバス:柳澤智之
田村文生:『《コンポラプンクトゥスX》不在の線~6人の奏者のための』
フルート:多久潤一朗、クラリネット:遠藤文江、ファゴット:塚原里江、ヴァイオリン:花田和加子、ヴィオラ:安藤裕子、チェロ:松本卓以、指揮:田村文生
J.S.バッハ:コラール『おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け』BWV402(アンサンブル・コンテンポラリーα編・14人の奏者によるアンサンブル版)
フルート:多久潤一朗、オーボエ:宮村和宏、クラリネット:遠藤文江、鈴木生子、ファゴット:塚原里江、トランペット:曽我部清典、打楽器:神田佳子、ピアノ:及川夕美、黒田亜樹、ヴァイオリン:佐藤まどか、花田和加子、ヴィオラ:安藤裕子、チェロ:松本卓以、松本ゆり子、指揮:田村文生
映像:向井知子、山元史朗、杉浦莉代子
現代作曲家と演奏家の集団、アンサンブル・コンテンポラリーα(通称コンポラ)がついに結成20周年である。その記念としてバッハ生誕333年に寄せて、『コントラプンクトゥス』ならぬ『コンポラプンクトゥス』10曲を、バッハの編曲2曲に挟んだプログラムに、スクリーンに映像を映しての演奏会が催された。
最初に弾かれたのはバッハ『おお人よ、汝の罪の大いなる罪を嘆け』の山本裕之編ピアノ独奏版。穏やかな中にも厳粛な雰囲気を漂わせた原曲が、デュナーミクの幅を大きくとり、フォルテは豪奢に、ピアノはセンチメンタルにと、劇伴的・感情的な曲へと編曲された。なるほど、今夜は普段とは一味違った演奏会になるだろうと確信させられた。
金子作品、ごく小さな音量で、最高音域での反復音型が続く。会場の照明がほとんど落とされたこともあり、暗闇の中で小さな星がまたたくかのように、しかし、吉兆の星ではなく、凶兆の星のように、淡々とした狂気をはらんだピアノ作品であった。
斉木作品も暗闇の中の薄明のような音楽。特殊奏法を用いた、かすれたヴァイオリンの音を主とした「歌」であったが、音楽的集中力が際立って高く、またスクリーンに映された映像(沢山の絵の具をにじませたような画面がじわじわと動いているようなもの)とシンクロして、目と耳に響くその「歌」はとても美しく感じられた。
鷹羽作品は、ファゴットが断片を反復し、スネアドラムが連打して始まったかと思うと、次はファゴットがスネアドラムのように同音連打(打、ではなく、奏、であろうか)をして打楽器(スネアドラム、ウッドブロック、シンバル、カウベル、など)が断片の組み合わせを奏する。2人とも次第に打ち解けてきてファゴットが吹き歩きをするなどユーモラスな合奏をし、最後は2人で同音連打からスネアドラムのリムショット一発で了。肩の力を抜いて聴くことのできる楽しい作品であった。
バッハの音名象徴とバッハ数を元にしたという堰合作品はまずヴァイオリンが調性と無調の中間的旋律を奏で、チェロが4音からなる断片をそこに繰り返し挟む。やがてヴァイオリンが断片、チェロが旋律(ただしスタカートが主)を奏する。さらに進むと2人とも断片を奏するのだが、その断片が合わさると1つの旋律となる不思議な合奏になり、ラストは2人でバッハ的に堂々と終わる。パズル的な面白さが聴かせる作品であった。
鈴木作品はヴェーベルンが華やかになったような逆説的な楽想に始まり、次第に華やかさを増してバッハとブクステフーデ的になり、さらに華やかさというより奇妙さが増してきてプーランクの新古典主義音楽のようになって終わる。対位法が全曲の背骨を成しており、それゆえバッハ的と言える作品であった。
72個の断片を組み合わせた星谷作品は、静かな断片と、激しく神経を逆撫でするような断片が、3人で合わさったりぶつかり合ったりと「対位法的」に組み合わされた音楽。次第に静かな断片はほとんどなくなり、激しい合奏で了。過激な、という形容詞が合う作品であった。
ナマズの名前を副題とした川上作品は、フルートがボイス・パーカッションのように息と声で激しくリズムとビートを刻み、他の3人はバッハ的に典雅な合奏を続ける。フルートの激しいリズムに終始気圧されたが、根幹にあるのはバッハの音楽的秩序であり、最後には4人でバッハ的に終わる。ポップな要素を取り入れつつユニークな楽想を作り上げていた。
山本作品、最初の1音だけ「まとも」で、その後は全パートがバラバラに演奏し、かつ、1人1人の楽想も不気味で奇妙な、「脱・合奏」とでも言うべき音楽。しかし、時折、1人が、あるいは数人が「まとも」な音楽を奏でる瞬間がある。終わりが近づいてくるに従ってバッハ的合奏になるかと思いきや、最後はバッハをロードローラーで潰したような、やっぱり「まともではない」音楽で終わる。さすがは鬼才・山本と言うべきか。
伊藤作品を聴いて筆者は笑いをこらえることができなかった。『ゴルトベルク変奏曲』のアリアを4分音でずらした録音とピアノ(こちらは4分音ではない)による合奏なのだが、よく知っているゴルトベルクから外れた音が聴こえてくる度に、ヘナヘナと「腰砕け」的な可笑しみがこみ上げてくる。風景写真のピントをぼかして、楽器の映像と重ね合わせたような美しい映像に、この腰砕け的ゴルトベルクというギャップも実に楽しかった。
田村作品、6人の奏者が細い細い音で繊細なテクスチュアを織り成す。そしてその中からヴァイオリンの高音が垂直に立ち上り、他が水平方向に雲海を作り出す。やや武満徹を思わせなくもなかったが、人間性のくびきから解き放たれた透明な音楽に息を呑んだ。
最後はピアノ独奏による原曲の冒頭と最後を除く部分を10個のフレーズに分け、それを10人の作曲家がリレー形式で編曲したもの。どの作曲家がどの部分を書いたかは筆者にはわからなかったが(署名入りのスコアが映像で映されたが小さくて読めなかった)、一瞬ごとに音楽的性格が変わっていきつつ、バッハの原像が浮かんでいる音楽は余興的なれど十分に楽しかった。特に最後にクラスターを使った部分は「オチ」として秀逸だと感じたが、誰の担当であろうか?
「21世紀の新しいバッハ像が展開されてゆく」(チラシより)の言葉に偽りなし。21世紀には21世紀にふさわしいバッハ達がいることが確かめられた1夜であった。
(2018/4/15)