東京二期会 ワーグナー:《ローエングリン》|藤堂清

東京二期会オペラ劇場
ワーグナー:《ローエングリン》(全3幕)

2018年2月25日 東京文化会館大ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)GP

<スタッフ>
指揮:準・メルクル
演出:深作健太
装置:松井るみ
衣裳:前田文子
照明:喜多村 貴
合唱指揮:増田宏昭
演出助手:太田麻衣子
舞台監督:八木清市
公演監督:大野徹也
公演監督補:牧川修一

<キャスト>
ハインリヒ・デア・フォーグラー:金子 宏
ローエングリン:小原啓楼
エルザ・フォン・ブラバント:木下美穂子
フリードリヒ・フォン・テルラムント:小森輝彦
オルトルート:清水華澄
王の伝令:加賀清孝
4人のブラバントの貴族:
  菅野 敦
  櫻井 淳
  湯澤直幹
  金子慧一
ローエングリン(青年時代):丸山敦史
ゴットフリート:上村亜呂葉
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京都交響楽団

 

この日の公演でまず取り上げるべきは演出。
深作健太の二度目のオペラ演出、前回の《ダナエの愛》では、ユピテルにヴォータンを重ね合わせたり、一部で現代の廃墟を舞台にしたりといったところはあったが、舞台設定や役柄を変更することはなかった。
今回の《ローエングリン》は時代、登場人物をすべて「読み替え」たもの。主役のローエングリンをバイエルン国王、ルートヴィヒ二世(ワーグナーのオペラの熱心な支持者でバイロイト歌劇場建築の支援など彼の後半生の作曲活動に大きな影響を与えた)とし、戦争の続いた1800年代後半のヨーロッパにおけるプロイセン王国とバイエルン王国の関係者を他の役に割り当てた。ドイツ国王ハインリヒはプロイセンの首相ビスマルク、テルラムントはルートヴィヒの侍医で彼とともに死んだグッデンといった具合。普仏戦争やその後できるドイツ帝国におけるプロイセン王国とバイエルン王国の位置・役割を、このオペラにおけるドイツとブラバントの間の関係に投影している。
前奏曲の続いている間に幕が上がり、少年ゴットフリートが中央の台上で膝を立てて座っている。舞台上部にはデジタル時計があり、0時から23時59分59秒といった具合に時間が戻っていく。彼はほとんどの場面で舞台上にいて、話の進展を見続ける。年老いたルートヴィヒ二世も初めから舞台上にいて、《ローエングリン》のスコアを読んだり、それを抱えてうろうろしたりと落ち着きがない。舞台も、建設中の城の壁に取り囲まれているといったように、ルートヴィヒの好みを視覚化したもの。物語は彼の回想あるいは夢として描かれていく。
エルザの夢の後、「白鳥が」という声に導かれるようにルートヴィヒはローエングリンとして中央の壇に立つ。テルラムントとの神明裁判では、用意された剣を断り、メスより重いものを扱いなれていないテルラムント(=グッデン)を素手で討ち伏せる。
第2幕は、看護師オルトルート(左目に眼帯をし、槍のような長い棒を持っている)が野戦病院で立ち働く場面から始まる。医師や看護師の努力むなしく傷病兵たちは亡くなっていく。いらだち、赤十字の腕章を踏みつける彼女。一方のテルラムントは動こうとはせず、自らの状況をただ嘆く。エルザの同情を引き、彼女に近づき、禁じられた問いを言わせようとするオルトルート(リンゴを片手に持って)、その策略が効き始める。オルトルートはヴォータンを主神とするゲルマンの神々を信奉しているが、ドイツ(あるいはプロイセン王国)の戦争に対峙する立場であることが示される。
第3幕の冒頭では、ルートヴィヒ(ローエングリン)は彼のあこがれであったフランスのルイ14世を模した金色のいでたちで、エルザとダンスを踊る。エルザが禁問を破ると、グッデン(テルラムント)とブラバントの貴族が現れ、ルートヴィヒを拘束する。名乗りを上げた後の場面では、ルートヴィヒがグッデンを引き連れ、舞台奥のシュタインベルク湖に向かう。そこには湖畔に立てられた十字架があり、彼の謎の死を暗示する。
ローエングリンの「ゴットフリートを導き手(フューラー)に」という言葉とともにデジタル時計が0時から進みはじめ、上に上がっていた三角形の枠が降り、人々を押し潰す。残されたエルザ、オルトルート、ゴットフリートが祈る中、幕となる。
読み替えとして、ていねいに歴史上のできごとを反映しており、またリンゴや若きルートヴィヒの肖像画などの小道具もうまく使われている、随所に顔を出す、青年時代のローエングリン(ルートヴィヒ)もフラッシュバック的効果があった。
日本人によるこういった思い切った読み替え演出はいままでなかったように思う。その点でもたいへん興味深い舞台であった。ただ、深作はこの読み替えによって、戦争やテロ、難民といった現代の課題と共通する問題を描きたかったのではないかと思うが、盛り込まれたものが多すぎ、そういった重要なメッセージが筆者にはあまり感じられなかった。

演奏面では、準・メルクルの指揮のすばらしさが際立っていた。
早めのテンポでオーケストラをドライヴしながら、細部まで目配りのきいた緻密な音楽を聴かせてくれた。響きが厚ぼったくならず、といって薄っぺらでもなく、音楽の構造が自然に耳に入ってくる。新国立劇場で《ニーベルングの指環》を振ったころと較べると、基本的な路線は変わっていないが、聴かせ方が上手になった。例えば、第3幕の名乗りの場面では、オーケストラの音を極端に抑え、歌手が声を張り上げる必要がないように弾かせていた。
東京都交響楽団も整った音色で、とくに弦楽器の充実が感じられた。メルクルとこのオケの相性はよいようだ。

日本人だけでワーグナーを上演するとなると、歌手がむずかしいといわれる。ローエングリンの小原、エルザの木下はイタリア・オペラを得意とする歌い手。しかし、メルクルの指揮のもとでは、彼らのように母音がきちんと響かせる歌い方がオーケストラにのって会場に拡がる。第1幕のエルザの夢や第3幕のローエングリンの名乗りでの無理のない歌い口は良いできであった。オルトルートの清水は声に力があり、最後までこの悪役(今回の演出では良役?)を立派に歌い切った。テルラムントの小森には力みが感じられるところもあったが、子音がはっきりとしているという点で、一日の長があった。

近年の二期会の公演では、海外の歌劇場のプロダクションを借り、その演出で見せるというケースが多くなっている。それに対し、今回はまったく自前のプロダクションであり、立派な成果を上げた。演出に関しては賛否が分かれるかもしれないが、それもまたプロダクションの価値の一部だろう。二期会の《ローエングリン》、前回は1979年でほぼ40年ぶりの上演だったということだが、3~5年位のうちに演出をブラッシュアップして再演されることを期待したい。

(2018/3/15)