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東京都交響楽団 第847回定期演奏会Aシリーズ|齋藤俊夫

東京都交響楽団 第847回定期演奏会Aシリーズ

2018年1月18日 東京文化会館大ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団
     林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:大野和士
ピアノ:ヤン・ミヒールス
オンド・マルトノ:原田節

<曲目>
トリスタン・ミュライユ:『告別の鐘と微笑み~オリヴィエ・メシアンの追憶に』 (ピアノ独奏)

オリヴィエ・メシアン:『トゥーランガリラ交響曲』
  I.導入
  II.愛の歌 1
  III.トゥーランガリラ 1
  IV.愛の歌 2
  V.星の血の喜び
  VI.愛の眠りの庭
  VII.トゥーランガリラ 2
  VIII.愛の展開
  IX.トゥーランガリラ 3
  X.フィナーレ

 

第二次世界大戦後のクラシック音楽史上最大級の傑作、『トゥーランガリラ交響曲』の生演奏と聞けば行かずにはいられなかった。しかし、今回はこの作品の、いや、音楽一般の再現・解釈におけるジレンマ、あるいはアンチノミーをはっきりと悟らせるものとなった。

大曲の前菜的な、ミュライユが師・メシアン追悼のために書いた『告別の鐘と微笑み』。すぐに感得できるのが「メシアン的和声」「メシアンが愛した鳥の歌」が使われているということ。しかし、メシアンの音楽が常に歓喜に満ちていたのに対して、本作は悲しみ、終わりにはその昇華が感じられた。ヤン・ミヒールスの鋭利で澄んだピアノの音は格別に美しかった。

そしてメインディッシュの『トゥーランガリラ交響曲』である。この曲の演奏における2つの対立するアプローチとは、「冷静」と「情熱」、すなわち、 楽曲構造を譜面通りに正確に再現するか、音楽から喚起される感情を熱く表出するか、この2つである。今回大野和士が選んだのは徹底して「冷静」であったと筆者は捉えた。

音楽の正確さは今回文句の付けようもないほど見事であった。各パートが断片化され、その変拍子とポリリズムが合奏されて初めて1つになる、第2楽章や第5楽章の「ペルソナージュ・リトミック」の部分など、複雑極まりないこの音楽をよくぞまとめ上げてくれた、と感嘆した。打楽器群の一糸乱れぬ様は特筆したい。

だが、「冷静」と「情熱」は音楽的に対立するだけではない。この背反する2つが両立することがある(それゆえこれはアンチノミーである)のが音楽の奇蹟である。今回の演奏ではこの奇蹟は起きなかった。

全体的に金管が大人しく、第1楽章「導入」のトロンボーンによる「彫像の主題」や第5楽章「星の血の歓喜」の主題提示部など、筆者としては非常に「情熱」がかきたてられる箇所のはずなのだが、実に穏便。第3楽章「トゥーランガリラ 1」のピアノ等がガムラン的音楽を鳴らす後ろからトロンボーンが雄渾な旋律を吹き上げる部分も軽く聴こえた。
「和音の主題」「花の主題」「愛の主題」「彫像の主題」の4つが同時に現れる第8楽章「愛の展開」、そしてファンファーレ的な主題と「愛の主題」が複雑に絡まり合い圧倒的な終結を迎える終楽章「フィナーレ」は、極度に難しい、しかし「冷静」と「情熱」が二律背反的に同時に成立するべき楽章であるが、残念ながら「冷静」な、正確無比な音楽は成立すれど、そこに「情熱」は乏しく、終結部で音量がフォルテシモになっても、メシアン的・トゥーランガリラ的な「愛の歓喜」を筆者は味わえなかった。

生演奏でかくも正確無比なトゥーランガリラ交響曲を聴けたことは驚きに値し、大野和士と東京都交響楽団の力量ははっきりと示されたと言えよう。筆者の経験の内でも、こんな演奏は初めてであった。だが、情熱的な、メシアン的官能性も同時に味わいたかったというのは欲張りすぎというものであろうか?

(2018/2/15)

(C)堀田力丸

(C)堀田力丸