Quartet Plus クァルテット・エクセルシオ+柳瀬省太+宮田大|藤原聡
Quartet Plus クァルテット・エクセルシオ+柳瀬省太+宮田大
2018年1月18日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)
<演奏>
クァルテット・エクセルシオ
vn:西野ゆか、山田百子
va:吉田有紀子
vc:大友肇
ゲスト
va:柳瀬省太
vc:宮田大
<曲目>
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番 ニ短調 D810『死と乙女』
ブラームス:弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調 Op.18
(アンコール)
R.シュトラウス:歌劇『カプリッチョ』~前奏曲
日本の弦楽四重奏団が主体となり、そこにゲストアーティストが加わることによる「互いに触発し合い深化していく音楽を聴く」(紀尾井ホールのウェブサイトより)シリーズがこの「Quartet Plus」。第1弾は2017年3月に行なわれたウェールズSQ+金子平(クラリネット)によるもので、ここで取り上げるコンサートはその第2弾。この2回を見るに、年に1度、比較的年初に開催されるシリーズのようである。今後が楽しみな企画だ。今回はクァルテット・エクセルシオが主役を務め、後半のブラームスにはヴィオラ奏者として読売日本交響楽団の首席奏者を務める柳瀬省太、そしてチェロ奏者には宮田大が登場。
まず前半のシューベルトは、肯定的な意味で「過不足ない」演奏。非常に端正な造形を基調とし、その音楽を過度にロマンティックなものに(言い換えれば「恣意的」なものに)しない。しかし、それぞれの楽想の性格は的確に描き分けられるので表情は決して平坦なものに堕ちない(第2楽章での各変奏のコントラストや第3楽章での主部とトリオの対比の上手さ)。4声部のバランスは、大友肇による深みのある重厚で多様な表情を持つチェロをベースにして、そこに他3声が「乗っかる」という印象。その意味では全員が拮抗して我を前面に出すというタイプの演奏ではない。しかし大人しいという印象が皆無なのは、表現が上滑りせず緻密かつ丁寧に練り上げられているから、なのは一聴瞭然。この辺りはさすがに結成23年を迎えた常設団体の強みだろう。『死と乙女』ってどういう曲?と仮に問われたとして、「はい、これです」と言うに相応しい演奏。冒頭で「過不足ない」と書いたのはそういう意味だ。
休憩後は「Plus」の2名が登場してのブラームスだが、さて、これが前半とは演奏の印象がかなり異なり、演奏の息遣いは深く、起伏が大きくうねりまくる。曲と人数が違うのだから当然だろう、ではなくて、明らかにここで加わった2名がその演奏を猛烈に牽引しているため、その効果が全体に波及しているからだ。ゆえに中低音のどっしりとした厚みが比類ない。
例えばあの有名な第2楽章の冒頭メロディを第1ヴィオラの柳瀬が朗々とした図太い音を以って深い呼吸を伴いながら弾くのを耳にして思わずこれを書いている聴き手は打たれてしまうが、同じ楽章で第1チェロの宮田と第2チェロの大友(しかし美しい音だ)が下降する一続きのピチカートによるメロディを交互に演奏する箇所などに象徴されるように、その音色の同質感と表情の統一もまた抜群で決してこの両名が浮いている訳ではない。
スケルツォでのリズミカルな愉悦感もまた見事なもの。なるほど、部分部分ではアンサンブルが粗くなる箇所もないではなかったが(一例では第1楽章展開部)演奏全体の素晴らしさの前では瑕瑾に過ぎない。常設の弦楽六重奏団などないだろうから、この曲を演奏する際には必ずゲストを2名招く形となるが、当夜の演奏は「4+2」が抜群に首尾よく行った例ではなかろうか。この6人で同じブラームスの第2番も聴きたくなってしまった。
本プログラムの終了後に大友のスピーチ、「2曲では何となく物足りない感じもするでしょうからアンコールを弾きます」(大意)。R.シュトラウスのあの爛熟した美しさを誇る『カプリッチョ』前奏曲、これもまた抜群の美演であった。
(2018/2/15)