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パヴェル・コレスニコフ ピアノ・リサイタル|藤原聡

ピアノ・エトワール・シリーズ Vol.33 
パヴェル・コレスニコフ ピアノ・リサイタル

2018年1月27日 彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種 ( Kiyotane Hayashi)

<曲目>
シューベルト:『12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ』D145より
 ワルツ ロ短調 第10番、ワルツ ロ短調 第6番、
 ワルツ ロ長調 第2番、ワルツ イ短調 第3番、
 ワルツ 嬰へ短調 第9番、ワルツ ロ短調 第10番
シューベルト:ピアノ・ソナタ イ短調 D537
シューマン:『ウィーンの謝肉祭の道化』作品26
ショパン:
 ワルツ 変イ長調 作品69-1『告別』
 即興曲第1番 変イ長調 作品29
 ワルツ 嬰ハ短調 作品64-2
 幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66(遺作)
 マズルカ集より
  嬰ハ短調 作品30-4、ハ長調 作品56-2、イ短調 作品68-2、変ロ長調 KK.Ⅱa/3、
  ヘ短調 作品68-4
幻想曲 ヘ短調 作品49
ワルツ 変ホ長調 作品18『華麗なる大円舞曲』
(アンコール)
ルイ・クープラン:組曲 ト短調~『ブランクロシュ氏のトンボー』
ショパン:マズルカ 嬰ト短調 作品33-1

 

パヴェル・コレスニコフ、と書いても「誰ですか、その人は?」と思われる方が多いかも知れない。この1989年シベリア出身の若手ピアニスト、熱心なピアノ音楽ファンであればhyperionレーベルから発売されているショパンとチャイコフスキーのCD2枚(この1月に3枚目のCDが発売された)でその名前もしくは演奏を聴いているかも知れないし、あるいは2013年に大阪で公演も行なっているようなのでそれを聴かれた方もおられよう。だが、いずれにせよ現段階では「知る人ぞ知る」という存在であるのは間違いないように思う。今回が日本で初のソロ・リサイタルだというコレスニコフ(この1回のみ)、筆者も名前しか知らない存在、その逸材ぶりは耳にしたことがある、程度の認識しかなかった(すみません…)。期待しながらさいたま芸術劇場へ向かう。

まず演奏云々の前にそのプログラミングに目を見張る。冒頭、シューベルトの『12のワルツ、17のレントラーと9つのエコセーズ』からワルツを5曲抜き出し、調性に配慮して順番を入れ替えツィクルス風に演奏したり、後半のショパンではやはり調性と曲調に配慮したユニークな配列を取る。このプログラミングについてはコレスニコフ自身のコメントがさいたま芸術劇場のウェブサイトに掲載されているが、曰く「今回のプログラムはアイデアや様式が調和し、互いが直接的に関わりあった作品で構成されています」。プログラム全体が「ダンス」をテーマに密接に繋がっている一方、それぞれのダンス(舞曲)は「ちょっとした」「簡単な」ものではない、異なるジャンルの舞曲が持つ複雑な、強い、不安な…などの感情の「潜在性」を探り当てるプログラムだ、とも語る。
なかなかの知将と言う気がするが、実際の演奏では、最初に書いてしまえば前半のシューベルトとシューマンが抜群に良い。シューベルトでは、『12のワルツ~』においては一見単純な曲想を豊富な音色と絶妙な両手のバランス感覚で立体的に響かせ、こういうある種の「機会音楽」ですらシューベルトの手にかかればただ親しみ易いだけの曲ではない陰影と深みがあると明確に聴き手に伝え、ソナタでも柔らかい音色と内省的でインティメートな歌い口がいかにもシューベルトに相応しい(ちなみにコレスニコフはインタヴューでシューベルトが大好きだと語る)。
そしてシューマンでは完全に肩の力が抜け切って力みのない、それゆえに迫力があっても混濁せずに広がって行くfにまず驚かされる。ここでも柔らか味のある音色がまた魅力的で、これが「ロマンツェ」のような緩徐な部分でその効果を最大限に発揮する。勢いがありながらもそれだけに留まらない内面性も感じさせ、これは相当な名演奏だったと思う。

休憩を挟んだショパンでは、コレスニコフ独特の個性がより前面に出る。どの曲も一筆書きで一気に感興の赴くままに弾き切ったという印象が強いが、恐らくは全体を一連の流れとして聴かせる為の意識的なものだろう。
ワルツ変イ長調や『幻想即興曲』(主部のテンポの速いこと…)ではリズム的な遊びや装飾音をも取り入れ、かなり即興的な趣がある(思えば生前のショパンは即興演奏の達人だったそうな)。『幻想曲』も多くの演奏が沈滞して行くような足取りなのに対して軽快味すら漂わせ、一般的に耳にするショパン演奏とは相当に違って実にユニークであって、これには賛否両論が沸き起こると想像される。筆者は違和感を感じないと言えば嘘になるが、しかしあまりにショパンをナイーヴかつ感情的に弾いて(聴いて)はいまいか、と自問自答させられるような演奏になっているとも言え、その意味では既存・既知の感性の再確認に留まらない新たな感覚の掘り起こしによる聴体験をもたらしてくれたのがこのコレスニコフのショパンだったと言う気がするのだ。シューベルトとシューマンが抜群に良い、と先述したが、このショパンが良くないという意味ではない。しかし、小骨のように「引っかかる」。誤解を恐れずに言えば恐らくショパン・コンクールで入賞するような演奏ではないだろうが、しかしそこにこそ価値があるのはないか。コレスニコフ、噂に違わずの異才。

アンコールは2曲、中でもルイ・クープランの『ブランクロシュ氏のトンボー』(ちなみにコレスニコフの新譜はルイ・クープラン作品集で、この曲も収録されている)における歌い口にこの音楽家の才気がたっぷりと詰め込まれている。次回来日予定は定かではないが、特にピアノ・ファンはその機会が来たら逃さない方がよい。

(2018/2/15)