ウィーン便り|イタリア旅行記|佐野旭司
イタリア旅行記
text & photos by 佐野旭司(Akitsugu Sano)
前回の年末年始はウィーンで過ごしたが、今回はその時期イタリアに旅行に行き、旅先で年を越した。
12月29日から1月2日までヴェネツィアとフィレンツェを回ったが、どちらもウィーンとは違った魅力が感じられる街だった。イタリア旅行に行ったのは十数年ぶりで、大学3年の時の夏休みにツアーで多くの都市を回ったのを思い出し、再び行ってみたくなったのでこちらで年末年始を過ごすことにした。
今回最初に訪れたのはヴェネツィアだった。実はウィーン中央駅(Hauptbahnhof)からヴェネツィアのサンタ・ルチア駅まで直通列車が出ていて、乗り換えなしで行くことができる。インターネットで距離を検索してみたところ、ウィーンとヴェネツィアは約435km離れており、ちょうど東京―神戸間とほぼ同じくらいだ。こうして比較してみると意外と近いことが分かる。
サンタ・ルチアはおそらくヴェネツィアの最も主要な駅だが、ここを出るとすぐ目の前に運河が流れている。今回はリアルト橋とサン・マルコ広場の中間にあるホテルに泊まったが、サンタ・ルチア駅からホテルの最寄り駅に行くには水上バスでこの運河を移動する。さすが水の都だけあって、船や水上バスが主要な交通手段となっている。ウィーンでも街の真ん中をドナウ川やドナウ運河が流れているが、おそらく市内を移動するのにここを通ることはない。ウィーンでも20区のハンデルスカイや22区のドナウ島、2区のシュヴェーデンプラッツあたりを結ぶ水上バスがあってもよさそうだが、おそらくバスや路面電車の交通網が十分なため必要ないのだろう。
それはさておき、ホテルに着いてすぐにサン・マルコ広場に行ってみた。ここはおそらくヴェネツィアのもっとも主要な広場で、ウィーンのシュテファン広場に相当するといえるだろう。ただその周辺の街並みはウィーンとは大きく違う。ヴェネツィアの中心部は基本的に細い路地ばかりで、この広場に至る道も、ウィーンのケルントナー通りやグラーベンに相当するような大きな通りはない。一方でこのサン・マルコ広場はシュテファン広場よりもはるかに大きく、サン・マルコ寺院もシュテファン聖堂とくらべて規模が大きい。また入場料もかかり内部は撮影禁止なのも、気軽に出入りできるシュテファン聖堂とは違う。中に入ってみたいと思ったが、なにしろ時期が時期で、入場者の長蛇の列ができていたので結局断念してしまった。
ヴェネツィアではその他にサン・マウリツィオ教会の楽器博物館と、サン・ヴィダル教会の演奏会に行った。楽器博物館は入場無料で、弦楽器(それも主に18世紀以降の)が中心に展示されていた。
また30日の夜に行った教会のコンサートはヴィヴァルディの《四季》を中心としたプログラムだった。ウィーンでも去年の夏に2回ほどヴィヴァルディの《四季》を聴いたが、今回の演奏はそのどちらとも違った独特の響きだった。ウィーンではまずシュテファン聖堂でSolisten des Wiener Kammer Orchestersという合奏団による演奏を聴いた。モダン楽器による演奏で、通奏低音もチェロとコントラバスのみでチェンバロも使っていなかった。チェンバロを一切使わない《四季》を聴くのは初めてだったが、簡素ながらも厳かな響きがした。一方カールス教会ではOrcheter 1756というオーケストラのメンバーが昨年6月から今年の1月初めにかけて公演を行っていた。こちらは古楽器を用いており、軽やかで色彩感があり華やかな印象を受けた。
そして今回聴いたヴェネツィアでの演奏会はInterpreti Venezianiという合奏団による演奏で、おそらくモダン楽器を用いていたが、古楽器の奏法をかなり意識していると思われる。こちらの演奏はウィーンのどちらの演奏とも違った響きで、とりわけチェンバロがよく目立っていたのが印象的だった。特に《秋》の第2楽章では弦楽器の音がかき消されそうなくらいの勢いだったが、全体的にもテオルボやリュートなどが加わっているのかと思わせるような演奏だった。
31日にはヴェネツィアを後にしてフィレンツェに移動した。着いた時には夕方だったのでこの日は観光らしい観光はしなかったが、夜に中心地の辺りを散策してみた。フィレンツェでもウィーンでも(そして友人の話を聞く限りヨーロッパの他の多くの都市でも)、大晦日の夜には爆竹や花火などで凄まじいお祭り騒ぎとなる。前回の大晦日はウィーンで過ごしたが、友人からは危険だからこの日は外出しない方がいいと言われていた。そして今回もドイツに住んでいる別の友人は家で大人しく大晦日の夜を過ごしたそうだ。にもかかわらず好奇心旺盛な私は(物は言いよう)、前回はウィーンを、そして今回はフィレンツェの街中をそれぞれ年が明ける時間帯に歩き回っていた。
フィレンツェでも夜になるとあちこちで爆竹の音が聞こえてくる。そして夜遅くなるにつれ大勢の人で賑わってくるが、ドゥオモからヴェッキオ橋にかけての辺りに特に多くの人が集まり、この辺りでは安全のために警察が巡回していた。年が変わる時にドゥオモの広場にいたが、この時間になると爆竹がさらに頻繁になり花火も上がる。私は0時を過ぎてわりとすぐにホテルに戻ったが、その帰り道では遠くのほう、それもヴェッキオ橋のあるアルノ川の方向から花火が何発も上がっているのが見えた。
こうした状況はウィーンともよく似ており、特に1区ではケルントナーやグラーベンを初め至る所に多くの人が集まる。前回の大晦日の夜、ちょうどシュテファン広場にいた時にカウントダウンが始まったが、あまりの人の多さに身動きが取れず、しかもここにある地下鉄の駅が閉鎖されていたためシュヴェーデンプラッツまで歩かなければならなかった。
それに比べるとフィレンツェの大晦日はまだ落ち着いているほうかもしれない。ドゥオモの広場にも大勢の人が集まっていたが、ウィーンのシュテファン広場のように歩くことすらままならないというほどではなかった。またフィレンツェにもウィーンと同様多くの広場があるが、ウィーンでは市庁舎広場やシュテファン広場などで野外ステージを設置してコンサートが開かれていたのに対し、フィレンツェの広場ではそのようなものは見られなかった。おそらく都市の大きさの違いなのだろう。
そして1月1日にはフィレンツェのドゥオモの中に入ってみた。中に入ると入り口で荷物チェックがあり、また体に金属探知機のようなものを当てられる。おそらくテロを警戒してのことだろう。
私が入ったのはちょうどミサが始まる時だったが、その雰囲気は私がこれまで見たウィーンの教会と同じようだった。ただシュテファン聖堂やペーター教会、アウグスティーナ教会などとは違い、オーケストラを伴うミサ曲の演奏はしていなかった。(フィレンツェのドゥオモの場合これは新年のミサに限ったことなのか、他のミサでもそうなのかは分からないが。)
フィレンツェのドゥオモはウィーンのシュテファン聖堂に相当する場所といえるかもしれない。こちらもシュテファン聖堂と同じよう、誰でも自由に出入りすることができ、また自分と同じように観光に来たと思しき人も他にいたが、ミサの最中は私語が目立たず静かだった。ここがシュテファン聖堂との大きな違いだろう。シュテファン聖堂では礼拝に参加する人と観光に来た人の場所は柵で仕切られているが、観光客のいるスペースでは常に私語が目立ちざわざわしている。先月クリスマスのミサを見に行った時にはツアーの団体もいて、しかもガイドの人がミサの最中に何やら解説をしていたのはさすがにびっくりした。いくら場所が柵で隔てられているとはいえ、お祈りをしている人が大勢いるのと同じ場所で平然とおしゃべりをするのはどうかといつも思っている。それに比べてフィレンツェのドゥオモの方は観光客がいながらも(私もその1人だが)厳粛な雰囲気が保たれており、シュテファン聖堂もこうであって欲しいと思った。
ウィーンで生活を始めて1年3か月ほど経つが、日本とは違いヨーロッパの様々な地域に気軽に足を運べるのもこちらで生活していればこそだろう。これまでにもウィーンからドイツのライプツィヒやハレ、スロヴァキアの首都ブラチスラヴァなどに行ったことがあるが、今後もまたヨーロッパの他の国や都市に行き、ウィーンとの違いを楽しみたい。
(2018/1/15)
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佐野旭司 (Akitsugu Sano)
東京都出身。青山学院大学文学部卒業、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程および博士後期課程修了。博士(音楽学)。マーラー、シェーンベルクを中心に世紀転換期ウィーンの音楽の研究を行う。
東京藝術大学音楽学部教育研究助手、同非常勤講師を務め、現在オーストリア政府奨学生としてウィーンに留学中