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五線紙のパンセ|酔っぱらいと綱渡り芸人(II)|伊左治 直

酔っぱらいと綱渡り芸人(II)

text by 伊左治 直 (Sunao Isaji)

新年あけましておめでとうございます。

一年のなかで、この月を担当する者にしか与えられない挨拶、その特権を行使してみた。
なかなか気持ちいい。
これで、この連載のプロフィール写真の意図も理解されるだろうし。

実際に年始の挨拶を書き、そして言葉に出してみると、それは人の意識をひらく呪文のようだ。つまり……などと語りだすとまた話が脱線するので、残念ながら諦めて前回の続きに戻ろう。あらためて詩の冒頭から紹介したい。

落日は 黄昏に高架橋を浮かばせ 
喪服を着た酔っぱらいは 私にチャップリンを思い起こさせた

月は まさに売春宿の女主人のように 
上前の冷たい煌めきを 星々から取り立てていた
そして雲 それは空の吸い取り紙となって
苦痛の血の染みを吸い取っていた

ああ息苦しい 狂っている

山高帽を被った酔っぱらいは 幾多もの無礼をしてのけた
ブラジルの夜にむかって ——私のブラジル!——

わたしはいつも詩の世界を現実のものとして本気でイメージする。だから相当に歪む異様な世界が、わたしを呼び込む。この詩の背景は、1968年から85年までブラジルが独裁政権の国で、多くの人が亡命していたことにあった(「苦痛の血」と訳したtorturadosは「拷問」という意味でもある)。そして、この曲を聴くまで、わたしはそのことを何も知らなかった。

“音楽運動”としてのボサノヴァは1956年、トム・ジョビンの『Chega de saudade』に始まり、67年のカエターノ・ヴェローゾとガル・コスタの共作アルバム『Domingo』で終わったと言われている(そして入れ替わるようにMPBが台頭してくる)。その当時、ブラジル国内では、新首都ブラジリアの建設や58年のワールドカップ初優勝に沸くが、64年にはクーデターが起き、68年の「軍政令第5条」の発令により国会の停止、無裁判での投獄、全ての伝達物の検閲など、シルバ大統領の完全な独裁政権が確立する。その一方でサンバは国の表看板として、また国民のガス抜きとして保護を受ける。ピエール・バルーのドキュメンタリー映画『サラヴァ』で、マリア・ベターニアの「お兄ちゃん(カエターノ・ヴェローゾ)が亡命しちゃったから、私たちが国内で歌い続けるの」といったセリフを聞くと、あらためて現実のことなのだと気付かされる。
この時代は、まさにわたしが生まれた年から中高生の頃に重なる。その当時の日本のブラジル音楽ファンの“大人”には、それがどの程度知られていたのだろうか。

エンフィウのお兄さんが多くの人とともに還ってくる夢を見る
泣いている 私たちの 優しく気高い母なる故郷が
マリアたち クラリシたちが ブラジルの大地で泣いている

この「エンフィウのお兄さん」は実在する。風刺漫画家エンフィウの兄で社会学者のベッチーニョのこと。彼は当時亡命中だったが、歌が広まり政府は彼を恩赦せざるを得なくなる。そして、この物語は最後に急展開を見せ、一人の娘が登場する。

でも 私は知っている
この刺すような痛みは無駄であってはならないと
“希望”は踊っている
細いラインを一歩一歩進むたびに 傷つくかもしれないけれど 
幻灯機の揺らぐ影絵の中 弛んだ危険な綱の上を渡っていく

不運

“希望”という名の綱渡り娘は知っている
すべての芸術家のショーは続けられなければならないことを

05年ゲネ風景

わたしは2005年の個展で、敢えてオープニングにこの曲を取り上げた。詩の最後の一節、「すべての芸術家のショーは続けられなければならない」という言葉は、そのまま私の宣言でもあった。

12年MC 伊左治と司会の岡田暁生

2008年に書かれた室内オーケストラ《綱渡りの娘、紫の花》は、この曲へのオマージュであり、綱渡りや蹴鞠、ブランコといった「浮遊する芸能」について考えるようになった自分にとっても、重要な一曲になった。また2012年の個展では、司会の岡田暁生の朗読とわたしのピアノ演奏で『酔っぱらいと綱渡り芸人』を紹介した上で、《綱渡りの娘、紫の花》が演奏された。

そして2018年12月2日、つまり今年最後の月に予定されている個展では、やはりこの曲が最初に演奏される予定である。

12年《綱渡りの娘、紫の花》

ただし誤解をおそれずに言っておくと、わたしがこの曲に深く惹きつけられるのは、抵抗歌という単純な理由だからではない。普遍的でありながら(広い意味で)前衛的であり、音楽も詩も美しく高度だからだ。当事者でないにも関わらずその抵抗歌を歌うのは、慎重な扱いとある種の“覚悟”が必要だと、わたしは思っている。

なお、この曲はエリス・レジーナの最初のシングルになり彼女の代表曲となる。だがそれは、彼女が前年に軍事政権下の国体(陸軍大運動会)で歌ったことに端を発する。それをエンフィウが痛烈に批判し、エリスがボスコとブランキと共に曲を作る過程は伝記『台風エリス』に詳しいので、お読み頂ければと思う。日本でも2年後に世界的な運動会が開かれる。その時にも、すべての芸術家のショーが続けられている日常であってほしいと、願っている。

(2018/1/15)

★演奏会情報 伊左治 直 個展
2018年12月2日 於:求道会館(後日詳報)

★CD情報 作品集「熱風サウダージ劇場」 フォンテック FOCD-2565

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伊左治 直(Sunao Isaji)
現代音楽系の作曲や即興演奏から、ブラジル音楽や昭和歌謡曲などのライブなど、様々な活動を展開している。サッカーや映画、日本史、時代劇、民俗学の愛好家でもあり、それらの興味は作曲へ強く影響を与えている。
作品集CDに《熱風サウダージ劇場》(FOCD2565)がある他、主な活動として、ラジオオペラ「密室音響劇《血の婚礼》」(NHK・FM)、「音楽の前衛Ⅰ~ジョン・ケージ上陸」アート・ディレクター、「ジャック・タチ・フィルム・フェスティバル」オープニングライブ、「原口統三没後五十年祭—伊左治直個展」「南蛮夜会—伊左治直個展」、雅楽作品《紫御殿物語》、声明・謡・民謡・ポップスの共演と映像による《ユメノ湯巡リ声ノ道行》、鼓童とオーケストラのための《浮島神楽》などがある。2005年、及び2012年にサントリー芸術財団による個展を開催(大阪いずみホール)。
これまで日本音楽コンクール第1位、日本現代音楽協会作曲新人賞、芥川作曲賞、出光音楽賞などを受賞。
なお、頻繁に間違えられるが「伊佐治」や「伊左地」ではなく「伊左治」が正確な表記である。