パリ・東京雑感|本当は保守的なリベラルの心 家族と愛国|松浦茂長

本当は保守的なリベラルの心 家族と愛国

text & phots by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

政治史学者の御厨貴さんによると、今の時代、保守と革新を見分ける標は家族観だそうだ。夫婦別姓を認めるのが<左>、同じ姓でなければならないというのが<右>。フランスだったら同性結婚に賛成が<左>、結婚は男と女でなければいけないというのが<右>…。ところが、たとえば EUへの賛成反対を目じるしにしようとすると、極右のルペンも極左のメランションもヨーロッパへの統合反対でぴったり一致してしまう。それにくらべ、伝統的家族=性関係への姿勢を基準にしたほうがきれいに右左に分けられる。では<左>とは性の自由を信条とする人たち、<右>とは家族を擁護する人たちと割り切ってよいのか?話はそう単純ではない。言うこととやることに大きなずれがあるのだ。

モスクワの結婚式

『ニューヨークタイムズ』に「民主党の州は共和党の州が説く家族価値を実行している」(ニコラス・クリストフ)という皮肉なタイトルのコラムが載っていた。共和党は古き良き家族擁護のチャンピオンを任じており、妊娠中絶反対、同性結婚反対を理由に共和党を選ぶ支持者が多い。ところが、現実を見るとセックスを経験した高校生が最も多い州は、ミシシッピ、アラバマ、西バージニアなど大統領選で共和党(トランプ)に入れた州に限られ、逆に高校でセックスを経験しない若者が最も多い5つの州はニューヨーク、カリフォルニア、ネブラスカなど、民主党(クリントン)に入れた州に限られた。また10代の妊娠が最も多いのは共和党の強い州、最も少ないのが民主党の強い州。離婚が多いのも共和党の州であり、アメリカ社会学ジャーナルによると、「宗教的保守主義の人は離婚のリスクが高い」という調査結果まである。驚いたことに、既婚者のためのデート・ウェブサイトの最大の顧客層は保守的な福音主義クリスチャンだということが、大掛かりな国際調査で分かったという。共和党支持者は、自らの主義を守れない偽善者なのだろうか?
クリストフはむしろ、リベラルの側の<偽善>を指摘する。「民主党支持者は、セックスの自由を縛ったり、結婚にこだわったりするのを嫌悪し、片親の家庭に対する差別を糾弾する。ところが、こうした性の寛容は表向きのポーズに過ぎず、自分の子には外に対しては寛容、自己に対しては自制・規律のしつけをする。その結果、リベラルの家庭の子は圧倒的に両親そろった伝統的な家庭を築くことになる。」つまり、リベラルは口では保守の家族価値を否定しながら、家の中ではこっそりそれを実践しているというわけだ。
そういえば、友人のオランダ人ジャーナリストの奥さん(当時60歳台)が、「娘は大勢お客を招いて教会で結婚式すると言うのよ。お母さんたちみたいな落ち着かない結婚生活は嫌なんですって。古臭い。」と驚いていたのを思い出す。ジャーナリスト夫婦とは20年を越えるお付き合いで、会うたびに懐かしさが増す理想的カップルに見えるが、娘さんの世代から見るとリベラルすぎるのかもしれない。
しかし、お母さんの世代にとって、家族の束縛を破ることは、真剣な人生の課題だった。夫婦とも再婚だ。娘にしてみれば、両親それぞれの前の結婚の子やら、込み入った関係がうっとうしいのかもしれない。でも、両親の世代が、女性も才能を生かし、対等に助け合って生きる新しい家族のお手本を築き上げてくれたからこそ、それを見て育った娘の世代は強固な家族を築こうという意志を持つようになった。心の底で彼女は、「お母さんたちみたいな素敵な結婚をしたい。そして一生を共にしたい」と感じているはず。親たちの世代の成し遂げた家族革命のおかげで家族は魅力を取り戻したのだ。

パリの結婚式

僕も、リベラルの<偽善>にだまされていたのかもしれない。フランスの若い人から届くのは「子供ができました」という知らせばかりで、「結婚しました」という案内は貰ったことがない。いや、写真入りの結婚の報告は貰ったけれど、あれは年取った同性カップルだった。若い男性カップルからは、カナダで借り腹して赤ちゃんができましたというたくさん写真の入った素敵なメッセージがあった。
そんな具合だから、伝統的家族はいまや風前の灯火なのだと信じかけたのだが、あれはリベラルの対社会的言説が作り出した虚像だったのではないか。フランスの若者の多くが、第一子が生まれてから結婚するのは、もしかしたら、軽率な壊れやすい結婚を避けよう、できることなら一生の相手と結ばれたいという願い、家族への真剣さの表れなのかもしれない。
もし、リベラルが、保守の掲げる家族倫理を、こっそり実行しているのだとしたら、<右>と<左>が不倶戴天の敵のように戦うのは滑稽だ。クリストフは家族価値をめぐる戦争をやめようと提案し、「リベラルも保守も子供が16歳で妊娠するのを望まないし、誰もが長続きするひたむきな結婚を願っている」と、ポスト家族革命時代の共通認識を要約している。
クリストフに言わせれば、対立の根は経済社会にある。共和党支持者の多くは経済的に恵まれないため、母子家庭だったり、宗教的な理由で早婚だったり、安定した家庭を作れない条件が多い。こうして家族=性への不安が強い環境に置かれたうえに、<左>から家族を相対化するリベラルな言説が浴びせられるから、彼らこそ災いの元凶だと思い込んでしまう。家族価値を揺るがす勢力への激しい攻撃の背景には、貧困・教育の欠如・不安があるのだ。

ところで、言うこととやること、建前と本音が<右>も<左>もそれぞれにひっくり返るのは、家族=性についてだけではなさそうだ。この診断術を別のホットな対立テーマ、国家や宗教に適用したらどうだろう。そういえば天皇退位の議論が盛んな頃、おかしなねじれが表面化しなかったか?本当は<右>が天皇を敬愛し、リベラルは天皇をカッコに入れたがるはずなのに、予想とは正反対の発言が次々聞こえて来た。あれは何だったのだろう?
天皇の仕事を制限したがる次のような意見は、リベラルの側からなら納得できるが、述べたのは筋金入りの<右>の論者。「天皇の仕事は祈ること。国民の前に姿をみせなくても、任務を怠ることにはならない」(渡部昇一氏)「天皇は存在することに最大の意義がある。公的行為ができなくなることと、退位との間には飛躍がある」(八木秀次氏)「天皇がご自分で拡大した役割を引き継がせたい意向のようだ。個人的な解釈による役割を次の天皇に課することになる」(平川祐弘氏)
天皇が被災地を訪問し、膝をついてお年寄りと交流したり、戦場だった離島を訪れたりして、「国民の前に姿をみせ」、国民と気持ちを一つにするのは、国民の象徴としての役割を「個人的に解釈」し、「拡大した」に過ぎず、そのような拡大解釈が次の天皇に押し付けられるのは困る。皇居の中で、せいぜい民の安寧を祈っておれば十分、というわけだ。
<右>の学者が天皇の活躍ぶりにいささか冷たいのと対照的に、護憲派の学者は民主主義を論ずるとき、天皇・皇后の発言を熱っぽく引用する。ただし、「政治学者として、これはルール違反なんですが」などと前置きして、リベラルの立場と、天皇擁護の矛盾に苦しみながらの発言が多い。

ではこの逆転現象にクリストフ説を応用するとどうなるか。家族革命後の子供たちが優しくて仲の良い家庭に満足し、心の底では家族を大切に思うように育ったのと同じように、護憲・リベラルの人々は、心の底ではいまの日本を<良し>として大切に守ろうと願っている、つまり本音と実践は、愛国者であり保守なのだ。(立憲民主党の枝野幸男氏は、リベラル保守を自称し始めた)。したがって、彼らが愛する戦後日本の基本構造=平和・人権を体現する天皇に<心ならずも>共感してしまう。リベラルの<偽善>だ。
他方、<右>の論者の心の中を探れば、いまの日本に強い違和感を抱き、素直に国を愛することができない、そのアイデンティティの不安から、観念的<国家>理念にこだわるのだ。天皇への八つ当たりとすらみえるいら立ちも、彼らの疎外感・不安の反映であり、祖国を愛することのできない苦悩の投影である。家族=性の崩れた地域ほど声高に伝統的家族倫理が主張されるのとそっくりではないか。

実態から乖離した古臭い言葉遣いをやめれば、左右の境界はきっと流動化する。<右>でもあり<左>でもあると自称するマクロンのような政治家が登場し、現実に沿った言葉を生み出すべき時なのだ。

(2017年11月28日)