バルトルド・クイケン バロック・フルート ソロリサイタル|三島郁

バルトルド・クイケン バロック・フルート ソロリサイタル(Wakita Virtuoso Series)

2017年11月24日 イシハラホール(大阪)
Reviewed by 三島郁(Kaoru Mishima)

<演奏>
バルトルド・クイケン(バロック・フルート)

<曲目>
G. P. テレマン《ファンタジア 第7番 ニ長調》《ファンタジア 第6番 ニ短調》
M. ド・ラ・バール《組曲 ニ長調》
J. S. バッハ《パルティータ イ短調 BWV1013》
C. P. E. バッハ《ソナタ イ短調 Wq 132》
S. L. ヴァイス《組曲 ト長調》

 

フルート一本のソロであるのに、音楽的にはむしろ豊かなハーモニーを満喫した。
バルトルド・クイケンといえば、兄のヴィーランドやシギスヴァルト、そしてレオンハルトらとともに、戦後「古楽」を牽引してきた中心的存在、そして歴史的考証を取り入れた演奏実践のパイオニアの一人であり、今なおその活動の歩みを止めていない。そのクイケンのオール・ソロのプログラムが聴けるとなれば、歴史奏法実践者や愛好家でなくても楽しみでないはずがない。数年前にラ・プティット・バンドのメンバーとしての来日もあったが、今回はソロ公演を、しかも親密な空間で聴くことができるまたとない機会であった。

公演に先立つ、東京公演での共演者でもある鍵盤楽器奏者の渡邊順生氏とのプレトークがまず興味深い。クイケンは自身の活動について聞かれると、「奏法についても楽器についても知らないことばかりだった。だから図書館と博物館で長時間を過ごした」と答え、パイオニアとしてのはかり知れないほどの彼の試行錯誤がうかがえた。
話は当然楽器についても及ぶ。演奏前に、1700年頃から1750年頃までの、年代と地域の異なる、三種類のフルートをモデルにしたコピー楽器の音色を、聴衆に聴き比べさせてくれた。バロック時代のフルートと一口にいっても、その仕様、ピッチ、そして音色は当然一様ではない。演奏する作品に合わせて楽器を選ぶことが、聴き手に当然の行為としてとらえられたはずである。「古楽」に未知の者にもその壁を取り払い、しかし歴史を探る意味も伝えながら、同時に音楽を親しみやすく理解させる意図が伝わってきた。

すべてのプログラムを通して一貫していたのは、クイケンの演奏が、ソロの旋律の余韻の中に、バスのラインや和音やその進行まで想像できる楽しみを与えてくれたことである。むろん分析的にではなく感覚的に、である。また馴染みのあるソロ曲の中に、本来はフルートのソロ曲ではない作品やリラックスしたレパートリーをバランスよく、そして流れがうまく組み合わせられていた。

演奏はテレマンの《ファンタジア》から始まった。今年再び開館したイシハラホールに心地よく響く。この無伴奏のレパートリーの中でも同主調のニ長調とニ短調の2曲が敢えて選ばれたのは、長短の性格の違いだけではなく、それぞれがもつまったく異なる「アフェクト」を際立たせるためだったと感じた。この後のプログラムがすでに待ち遠しくなる。
本来は通奏低音付きのド・ラ・バールの《組曲》が曲目に選ばれていることに驚いた者も多かったはずだ。この曲でも、J. S. バッハの《パルティータ》においても、耳に実際に聞こえる音としてではなく、あくまで暗示的にバスや和音を聞かせる。聴きなれたこの曲でも、ところどころ初めて耳にする響きを発見させてくれた。同じくソロ曲として演奏されることの多いC. P. E. バッハの《ソナタ》においても、突然の休止や間、そして尋常でない和音の運びといった、そこかしこに散りばめられた多感様式のエッセンスによって、その都度驚きをもって時間と空間が作られており、あらためて新鮮にその驚きを楽しめた。
当時の手稿譜や資料を研究し尽くした彼ならではのプログラミングが、最後のヴァイスの《組曲》。原曲はリュート用の組曲である。クイケンは、クヴァンツあるいは彼の同僚による、ヴァイス作品のフルート用への編曲版を偶然発見し、そのクヴァンツに倣い、ヴァイスの曲を「フルートの言語に置き換えた」のである。
しかしこうしたクイケンの演奏に対する研究姿勢は実は聴く側には関係ない。演奏に感じられるのはまさにファンタジーだった。

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三島郁(Kaoru Mishima)
京都市立芸術大学、同志社女子大学、甲南女子大学、各非常勤講師。専門は西洋バロック期から19世紀までの鍵盤楽器音楽の作曲論、演奏論、記譜論。共著に『音楽を考える人のための基本文献34』(アルテスパブリッシング)など。