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作曲家の個展Ⅱ2017 |藤原聡

サントリー芸術財団コンサート 作曲家の個展Ⅱ2017 一柳慧・湯浅譲二

2017年10月30日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏・曲目>
東京都交響楽団
指揮:杉山洋一

一柳慧:ピアノ協奏曲第3番『分水嶺』(1991)
 (ピアノ:木村かをり)
湯浅譲二:ピアノ・コンチェルティーノ(1994)
 (ピアノ:児玉桃)
湯浅譲二:『オーケストラのための軌跡』(2017~)
湯浅譲二:クロノプラスティクⅡ-エドガー・ヴァレーズ讃-(1999/2000)
一柳慧:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(2017)
 (ヴァイオリン:成田達輝  チェロ:堤剛)

 

サントリー芸術財団が1981年から開始した「作曲家の個展」シリーズは、昨年から2人の作曲家の作品を1回のコンサートで並列して取り上げる「個展Ⅱ」として新たなスタートを切った。昨年は西村朗と野平一郎の特集であったが、今回は齢80を越えて未だ精力的に創作活動に勤しむ巨匠2人、一柳慧と湯浅譲二の作品を扱う。コンサート前半は両者のピアノとオーケストラのための作品(過去作)を並べ、後半はそれぞれの作曲家の新作を披露する――筈であったのだが、湯浅氏が体調を崩したことによりその新作はこの段階で完成を見ず、その代わりに『クロノプラスティクⅡ』が演奏されることとなった。だが、その前に数分ではあるが当該新作の完成部分(闘病しながら作曲された)が演奏された。つまり「ワーク・イン・プログレス」ということであり、最終的な完成形ではない訳だからこれを耳に出来る、というのは極めて貴重な機会だ。同じ音楽は2度と聴けないかも知れない(他方、未完成作品の断片をこういう形で演奏するのはどうなのか? という意見もあろう。しかし湯浅自身がゴーサインを出しているのだし、もしかしたら作曲家自身が現段階での実際の音を聴いてみたくなったのかも)。

前置きはこの辺りにして、1曲目の一柳慧作品。『分水嶺』とのタイトルが付けられているが、さて何のことか。作曲家自身はプログラムで書いている、「…おたがいに有機的な関係を育まないかたちで配置されているいくつかの短い音型の提示によってはじまります」。この段階では、ピアノとオケによって提示される音楽はそれぞれ別のベクトルを向いており、全体的な方向性が聴き取りにくく、その音楽には浮遊感と言うか実体のなさとでも言うか、ともかくそのようなよるべなさが付いて回る。そしてまた作曲家の言を引けば、第2楽章はレクイエムだという。さらに終楽章はいかにもリズミカルで快活な楽想に富み、ピアノとオケに統一感が生じ、全体的な律動感が生まれて来るのが感じられる。つまり、イリヤ・プリゴジンの著作をもじって言えば「混沌からの秩序」と言うようなテーマ性を内包しているようにも感じられるのだが、では何が「分水嶺」なのか。何もそこにこだわる必要もないのだが、混沌→喪(レクイエム)の作業を経ての世界への意志が何らかの善なるものを呼び起こすことを期待するということ、その意志の発動としての結果への最初の道筋が「分水嶺」なのか、と思ったりもする(牽強付会? 的外れ?)。そう読み込むと極めてオーソドックスなイデーということになるが、イデーを越えた音楽的魅力、と言う意味では「ウェルメイド」という域以上でも以下でもない、という印象。不遜な言い方かも知れないが、一柳氏ならこれくらいの曲は朝飯前(言い過ぎ?)という感がしてしまうのである(大した曲数を聴いていないと前置きしなくてはならないが、氏の近作にはそういうイメージがままある)。

曲順は最後になるが、その一柳氏の最新作「二重協奏曲」を続けて。30分を越える本作品、オケとソロの協奏部分はそれほどなく、むしろ交互に登場するような書式が多いと聴いたのだが、ソロは意外に短くオケが雄弁。協奏部分でもオケのダイナミックな響きが前面に出て来てソロがほとんど聴こえない。協調するヴァイオリンとチェロ/オーケストラという対比がいやでも目立つ。楽章は3つあるが、独立性と同時に「全体でひとつの楽章として移ってゆく在り方も意識されており」(一柳)、これは日本的な序破急を投影している、という。この音楽の時間軸に沿った変容はなかなかに先が読みにくく、そういう意味では非常に面白く聴けたのは間違いないのだが、音自体の新鮮味がいささか薄いのは否めず。筆者は一柳氏の近作とは相性があまり良くないのだろうか。多分技術とアイデアがわんさかあるのが一柳氏なのだろうが、それがともすると「はい、一丁上がり」的な器用さを感じさせ、しかしそれがどうしても既視感を内包するものとして聴こえてしまう…。

曲順戻って湯浅譲二作品をまとめて記述するが、休憩後最初に演奏された先述の『オーケストラのための軌跡』。2分程度の音楽であるが、その力強い音響の炸裂はどうだろう。80代半ばを越えた闘病中の作曲家の書いた曲とは到底思えないのだが、そういう文脈での聴き方を離れても、これは完成した暁にはかなりの傑作になるのでは、という予感が既にある。「ピアノ・コンチェルティーノ」は知っている限りでの湯浅作品中ではかなりリリカルな曲想を持つ(作曲者自身が「ショパンへのオマージュ」と言っている位)。一見合っているのか合っていないのか分からないようなピアノとオケの協奏の中から不思議な調和が感じられる瞬間が多々訪れるのが新鮮で面白い。そして当夜の白眉は何と言っても『クロノプラスティクⅡ』だと思う。とにかく作品してのインパクトが格段に強い。作曲家の感性は全く手垢が付いておらず、ヴァレーズへのオマージュと謳っているがヴァレーズに似ていないことの格好良さ。素人耳にも緻密に編み込まれたオーケストレーションの素晴らしさは聴き取れるが、この大胆かつ精密、さらに言えば上品ですらあるような「暴力的音響」(語義矛盾?)の大波とうねりは筆者にセシル・テイラーの最上のフリージャズを思い起こさせる。繰り替えすが当夜ダントツのベスト。

演奏はどれも指揮者である杉山洋一氏の献身的な姿勢と明快な音響構築において非常に優れていたと思う(『クロノプラスティクⅡ』で初演時の演奏に満足できなかった、とプログラムに書く湯浅氏だが、この日の演奏には恐らく満足されたことだろう)。コンテンポラリー作品において専門的な観点から突っ込んだことを書くなど筆者の手に余るが、常に期待しているのは「こちらの出来合いの感性を揺さぶる異物感」をもたらすようなハードコアな体験である。さて来年の「作曲家の個展」、特集作曲家は誰?