パリ・東京雑感|戦争の喜び|松浦茂長

戦争の喜び

text & photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

いつものように9月末に帰国し、蓼科に行った。日本の自然はなぜこんなに美しいのだろう。山のもみじや澄んだ川の写真はフランスの友人たちに気に入られ、「今年も送ってね」と注文される。母が建てた山荘を朽ち果てさせないために、毎年この時期に掃除と手入れに行かざるを得ないのだが、パリの生活と東京の生活の間に、蓼科と言う<クッション>を挟んだのには予想外の効用があることに気づいた。
①不便をしのんでも街を美しく保つ努力をするか、②伝統的な美を破壊し、機能・効率のために美しさは一切考慮しないか、パリと東京は、二つの都市理念それぞれのお手本のようなものだ。15分も地下鉄に乗れば、うっとりするセーヌ河沿いの眺めがあり、気が滅入ったら、近くを散歩するだけで気分が持ち直すような、そんな街から、いきなり東京の生活に切り替えたのではショックが大きすぎる。東京生活も1,2週間すれば、醜悪な町並みに目が慣れるし、第一、パリでのように、建物をいちいち眺める習慣から、なるべく建物を見ないで歩く習慣に、モードが切り替わるはずではある。でもその前に、あの美しい自然の中で暮らさないと、なにかが挫けてしまうかもしれない。
山荘は鹿山という昔の入会地にあり、ここは一風変わった共同体を構成している。古い別荘地だから、たっぷり夏休みをとれた学者・教師や著述業、それに音楽家が異常に多く、若杉弘、畑中良輔、青木十良、岡部多喜子等の表札が見られた。(恥ずかしいことに青木さんが偉大なチェリストだということを知らず、散歩で出会ったとき、「何をしていらっしゃいますか」なんて聞いてしまった。澄み切った目が忘れられない)。現役では作曲の新実徳英さんが我が家から3軒目だ。
Mさんの別荘は1階が図書館になっていて、彼の蔵書とDVDを自由に借りられる。杉並の自宅近くの区立図書館よりはるかに中身の濃いコレクションなので、膨大な本の背表紙を眺めているだけで気持ちが高揚してくる。今年はツヴァイク全集に目が留まり、『昨日の世界』を借りた。

シュテファン・ツヴァイク(右)

この本はツヴァイクの自伝であるが、それ以上に、文明の絶頂から前代未聞の野蛮に転落した<ヨーロッパの物語>でもある。亡命先でこの本を書きあげると、妻とともに自殺する。死に行くヨーロッパに殉じたのだ。(1942年)
19世紀末、彼の生まれ育ったウィーン、大学時代のベルリン、そして憧れのパリについて書いた前半部分からは自信にあふれ、未来への懸念などとは縁のない、目のくらむようなヨーロッパの姿がくっきりと浮かび上がり、いま我々が見るヨーロッパはかつてのヨーロッパの抜け殻、遺骸みたいなものにすぎないことを、あらためて思い知らされる。

「今日の世代は、破局と崩壊と危機とのうちに育ち、彼らにとっては戦争というものはいつでも有りうべきものであり、ほとんど毎日のように予想されるものであったのであるから、あの世紀の変わり目以来、当時若かったわれわれを元気づけていたオプティミズムと世界に対する信頼とを、彼らに描いて見せることはおそらく困難であろう。…ヨーロッパがこれほど強力で、豊かで、美しかったことはなかったし、これほど強くもっとよい未来を信じたことはなかった」

僕は、パリ・オペラ座でギュスターヴ・シャルパンティエの『ルイーズ』(1900年)を見たとき、この<世紀の変わり目>のオプティミズムのすごさを初めて実感した記憶がある。農村から都市へ移り住み、家族から解き放される近代化が手放しで礼賛され、その先には無限の幸福が待っている。工業化と都市化=進歩=幸福への固い信仰が、あの徹頭徹尾明るいオペラを生み出したのだ。
時代は理性の勝利であり、戦争と言う野蛮は克服された。平和と繁栄は永久に続くと多くの人々は感じていた。ところが、まさにそのオプティミズムの絶頂で、人類がかつて経験したことのない破壊と殺戮が始まる。第1次大戦勃発を知ったときの最初の反応は、驚きと疑惑。ツヴァイクは「人々はそれを信じることができなかった。それはこのような狂気を信じたくはなかったからである。」と読み解いている。しかし、そんな当惑は一瞬で吹き飛ぶ。

「何びとも、国民も政府も欲しなかった戦争、それを使って遊戯し恫喝していた外交官たちの不手際な手から、彼ら自身の意図に反して滑り落ちたこの戦争、それに対する最初の恐怖は、突然の熱狂に変わっていた。…200万のひとつの町(ウィーン)、5000万のひとつの国は、自分たちは世界史を、けっして二度とはめぐって来ない瞬間を、相ともに体験しているのだということ、各人はその微小な自我をこの燃え立っている群衆(出征兵)のなかに投じ、そこであらゆる利己心から自分の身を浄化するよう呼びかけられているのだということを、このときにあって感じたのであった。…見知らぬ人々も街頭で言葉を交わし、多年相避けていた人々も互いに手を握り合い、到る処に生気のあふれる顔が見られた。」

破壊と殺戮が圧倒的な自我の高揚と全国民の一体感をもたらすのは、人間の心の奥深くにそうした仕掛けが組み込まれているからに違いない。貧富の差が拡大し、人々の関係がよそよそしくなった今の日本でも、いざ戦争となれば、そんな矛盾・不満はいっぺんで吹き飛んでしまうだろう。戦争はなぜ大歓喜と比類ない同胞愛をもたらすのか?

「この陶酔の中には、更にひとつのより深い、より秘密にあふれた力が働いていたのである。荒波はきわめて強力に、きわめて突如として人類の上に砕けてきたので、それは表面を攪拌して、人間獣の暗い無意識な根源的衝動と本能とを上層へひきずり上げた――それは、フロイトが深い洞察をもって<文化に対する不快感>と呼んだものであり、さまざまな法律や規則ずくめの市民的社会から一度飛び出して、原始の血の本能を荒狂わせようとする欲求であった。」

現代とは比較にならない洗練された文明の中に生きていた1914年のヨーロッパ人でさえ、<文化に対する不快感>を持ち、嬉々として<原始の血の本能>の荒狂うに任せたとすると、干からびた現代文明のなかで育った若者は、戦争のもたらす歓喜を、大いなる<自我の高揚>のうちに、大歓迎するだろう。
原始の興奮の前に、理性の声は弱い。平和を唱えたツヴァイクの友人たちのほとんどは脱落し、ロマン・ロランだけが支えだった。伝記作家として名高いツヴァイクだけに、修道僧のように禁欲的に平和のために働くロランの描写は深い感動を与えてくれる。

ロダン作アダム

きな臭い昨日今日の日本にとってよそごとでないので、戦争の心理分析を長々と引用してしまったけれど、この本の面白さは、なんといっても同時代人との出会いのシーンにある。ロマン・ロランもその一人だが、ツヴァイクがリヒャルト・シュトラウスのためにオペラ『無口な女』の台本を書いたときのスリリングな物語や、ロダンのアトリエを訪ね、図らずも創造の神秘に触れるシーンがすごい。
ロダンとの「中流の農夫」のような食事がすむと、アトリエに導かれる。たまたま制作中の夫人像の前でツヴァイクが思わず「すばらしい」とつぶやくと、ロダンは「ただあの肩のところが…」と言うなり、箆をとって手を加え始めた。ロダンは変貌する。

「食事のときは親しげにぼんやりしていた彼の眼は、今や奇妙な光にひきつって、彼は大きく、若くなったように見えた。彼は働きに働き、その力強い、重々しい身体の全情熱と全力とを挙げて働いた。彼が激しく進み出たり退いたりするたびに、床がめりめりいった。しかし彼にはそれが聞こえなかった。彼は、自分の背後に音もたてずに一人の若い男が、胸をはずませて言葉もなく、このような無双の巨匠が仕事しているのを眺めることができる幸福に浸って立っているのに、気が付かなかった」

ロダンの荒々しい手の動きは、ためらうようになり、やがてとまる。そしてアトリエから引き揚げようとして、そこに「若い外国人」がいるのを「発見」し「ほとんど怒ったように」見つめる。しかし、次の瞬間ツヴァイクの存在を思い出し謝罪するのだ。

「この時において私は、あらゆる偉大な芸術の、永遠の秘密が開かれているのを見たのであった。すなわち集中ということであり、あらゆる力、あらゆる感覚の凝集であり、あらゆる芸術家の、自己の外にあること、世界の外にあることである。私は生涯忘れられない何ものかを学んだのであった。」

その時、ロダンの魂はどこにあったのか?「世界の外」の時間空間を超えた「目には見えないが絶対の完成のヴィジョン」にとらえられ、地上のロダンの肉体が、床をめりめりいわせて働かされたのだろうか。

総選挙に間に合うように、紅葉の盛りを待たずに東京に帰った。友人からは「いつ原爆が落ちるか分からない時に、よくぞ帰られました。政治・経済も、科学も、頭脳が存在しないかのような日本。できる範囲の行動をして、あとは眺めるという気持ちです。信州移住は現実的かも知れません。」と、痛烈なメール。戦争の熱狂がはじまれば、平和の声は無力かもしれないが、せめてロマン・ロランを読み直して心の準備をしておこう。

(2017年10月28日)