小人閑居為不善日記|シリアル・キラーとアメリカン・ガール|noirse

シリアル・キラーとアメリカン・ガール

text by noirse

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ルート91・ハーヴェスト・フェスティヴァルの目玉は、ジェイソン・アルディーンだった。ジェイソンはミリオンセラーを連発している、現在最も人気のあるカントリー・シンガーのひとりだ。

ジェイソンのステージの最中、銃撃が始まった。彼はステージを急いで後にするのが精いっぱいで、観客に危険を呼びかける余裕はなかった。そのために、その後非難を浴びることになる。ラスベガス・ストリップ銃乱射事件は、犠牲者58人を数える、アメリカ最大の大量殺人事件となった。犯人は自殺し、動機の糸口すら判明していない。

今回の乱射事件の特徴のひとつに、狙われたのがカントリー音楽の聴衆だったという点がある。カントリーのリスナーは共和党支持者や、田舎に住む白人が多く、いきおい銃規制反対派が多い。結果、犯人はリベラルな思想の持主だったという、根拠のないデマが飛び交う始末となった。

ステージに立っていたミュージシャンたちも、保守的なスタンスが売りだった。ジェイソン・アルディーンは、デビュー曲〈Hicktown〉や、ヒット・シングル〈Big Green Tractor〉のタイトルからも分かる通り、レッドネックとかホワイト・トラッシュ、いわゆる「貧乏白人」の人気を集めてきた歌手だ。
ジェイソンの直前にステージに立っていたのは、ジョシュ・アボット・バンドだ。地元テキサスでブレイクした彼らは、星条旗をジャケットにあしらうのを誇りとするような連中だった。ギタリストのケイレブ・キーターは銃規制反対派だったが、事件後、意見を改めると表明した。

 

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高所に陣取り、行き交う群衆に狙いを定め、手あたり次第、次々と撃ち殺す。この手の事件で最も有名なのが、1966年のテキサスタワー事件だ。テキサス大学の時計台、通称「テキサスタワー」に男が立てこもり、眼下の人々をライフルで殺害。犯人の元海兵隊員、チャールズ・ホイットマンは警察により射殺された。

事件は世間に大きな衝撃を与え、様々なフィクションの題材にもなった。その最も早い作例に《殺人者はライフルを持っている!》(1968)がある。連続射殺犯と《フランケンシュタイン》(1931)の名優ボリス・カーロフ(彼自身の役で出演している)が対決する、不思議な映画だ。監督はのちに《ペーパー・ムーン》(1973)を手掛けるピーター・ボグダノヴィッチ、プロデューサーは、「低予算映画の王者」ロジャー・コーマンだ。

ロジャー・コーマンの十八番は金勘定だが、時局を見る才にも長けていた。規制の厳しかった時代に、暴力やドラッグ、暴走族などの過激な題材を率先して取り入れ、着実に稼いだ。低予算ゆえに、スタッフも、ボグダノヴィッチのような無名の若者を多く募った。その結果、コッポラやスコセッシなど、後年の大物が何人もコーマン・スクールから輩出されていく。そのうちのひとりに、ジョナサン・デミがいた。

 

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映画監督ジョナサン・デミの代表作といえば、《羊たちの沈黙》(1991)だ。原作者トマス・ハリスは、ハンニバル・レクター博士や殺人鬼「バッファロー・ビル」を造型する際、「ミルウォーキーの怪物」ジェフリー・ダーマー、「ブルックリン・ヴァンパイア」アルバート・フィッシュ、300人を殺したとも言われるヘンリー・リー・ルーカス、天才テッド・バンティなど、何人かの殺人者をモデルにした。

ダーマーとフィッシュは有名なカニバル(食人者)だが、ルーカスとバンティは違う。いくつかの州を渡り歩きながら、次々と殺人を重ねていったシリアル・キラーだ。
《羊たちの沈黙》で二人の影響を彷彿とさせるのは、議員の娘が誘拐されるシーンだろう。真夜中、車に乗って帰宅した娘は、待ち構えていたバッファロー・ビルに誘拐される。娘がその直前まで聞いていたのが、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズの〈アメリカン・ガール〉(1976)だ。

「しがらみに縛られていたけど、何処か別の場所に、人生に必要な何かがあるんじゃないかって、そう考えずにはいられなかった」
「大丈夫さ、気楽に行こう、この夜を乗り越えるんだ 彼女はアメリカン・ガールなんだから」

アメリカらしい自由と希望のイメージが刻み込まれたこのナンバーは、発表から40年経った今も、ロック・クラシックとして愛されている。しかし、〈アメリカン・ガール〉を口ずさみながら真夜中をドライブする女の子たち全員が、そんなにうまくいったわけではない。

《羊たちの沈黙》から十数年を経て、デミは再度〈アメリカン・ガール〉を映画に使用している。《幸せをつかむ歌》(2015)は、ロック・スターに憧れて、夫や子供を残して飛び出したリッキー(メリル・ストリープ)が、夢に破れ、家に戻るというストーリーだ。〈アメリカン・ガール〉を歌うリッキーは、この曲を体現する存在だが、家に戻ってきた彼女に居場所はない。

居場所がないくらいならまだいい。真夜中を抜け出していったアメリカン・ガールの中には、貧困の中で売春する者や、麻薬で破滅する者もたくさんいるだろう。そして、何者かの手にかかり、誰にも気付かれないまま、行方知らずになった子もいたはずだ。

 

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ジョナサン・デミほど音楽に精通した映画監督は少ないだろう。ニール・ヤングやロビン・ヒッチコックら、いくつもの音楽ドキュメンタリーを手掛け、特にトーキング・ヘッズのステージを収めた《ストップ・メイキング・センス》(1984)は、ライブ・フィルムの傑作として高く評価されている。
ジョナサンの現場に出入りしていた甥、テッド・デミも、映画監督の道を志す。彼がディレクターを務めた《Yo! MTV Raps》(1988-1995)は、当時のヒップホップ・カルチャーに大きな影響を与えている。1981年以降、時代を席捲したMTVを背景に、デミ一家は音楽文化に、多大な貢献を残した。

トム・ペティも、MTV時代を代表するロック・シンガーで、意欲的にヴィデオ撮影に取り組んだ。とりわけ強いインパクトを残したのは〈Mary Jane’s Last Dance〉(1993)だ。
死体安置所の男(トム自身が演じている)が、ブロンド美人の死体を見初め、屋敷に連れ帰り、ダンスに興じるという内容で、ネクロフィリア(死体愛好症)を間接的に――というには避けがたいほど露骨に――描いている。チャールズ・ブコウスキーの短編小説から材を採ったこのヴィデオは、死体役のキム・ベイシンガーを、同時期の《ツインピークス》(1990-91)の「ローラ・パーマー」のように妖しく、魅力的に映し出している。

トム・ペティは、ともすると明解で、竹を割ったようなロックンロールを信条としているように思われている。だが、ソフトな笑顔の裏に、アメリカの闇を張り付けたような曲を紡ぎ続けた男でもある。それはジョナサン・デミも同じだ。彼らはアメリカの夢や希望をロックに乗せて謳いながら、一方で自分たちが抱える薄暗さを見つめ、暴き出していったのだ。

 

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ラスベガスの乱射事件の翌日、トム・ペティは、突然の心臓発作で亡くなった。ジョナサン・デミはこの4月に逝去。遺作は人気ポップシンガー、ジャスティン・ティンバーレイクのツアー・ドキュメンタリーだった。

トムの死の数日後、非難の渦中にあったジェイソン・アルディーンは、TV番組サタデー・ナイト・ライブに出演。自分も含め、みんなが傷付き、苦しんでいるという声明をリリースした(ケイレブ・キーターとは違い、銃所持の賛否については触れていない)。

ジェイソンはあわせて、トム・ペティの〈I Won’t Back Down〉(1989)を歌った。「絶対に引き下がらないし、諦めもしない」という歌詞は、理不尽な事件に対するメッセージとしては適切なのかもしれない。だが、亡くなったばかりのトム・ペティの曲を、いわば「利用」したことを考えると、それでいいのか、首を傾げざるを得ない(もっとも彼は、もともとこの曲を持ち歌にしており、そこまで深い意図はなかったのかもしれない)。

一方、トム・ペティと親しかったボブ・ディランは、マスコミを遠ざけている彼にしてはめずらしく、いち早く追悼の言葉を発し、その後のステージでトム・ペティの〈Learning to Fly〉(1991)を披露している。パイロットの言葉をヒントにしたこの曲のほうが、トム・ペティの追悼にはふさわしいと思うが、どうだろうか。

 

Well some say life will beat you down
Break your heart, steal your crown
So I’ve started out, for God knows where
I guess I’ll know when I get there

誰かが言ってたんだ、人生はおまえを打ちのめし
心を引き裂き、大事なものを奪っていくって
でももう出発してしまったんだ 神さまも知っているはずさ
そこが何処かなんて、辿り着いたときに分かればいいんだ

(中略)

I’m learning to fly, but I ain’t got wings
Coming down is the hardest thing

空の飛びかたは知ってるけど、翼があるわけじゃない
どうやって降りればいいのか、それだけは難しくて分からないんだ

(和訳はnoirseによる)

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noirse
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