セドリック・ティベルギアン ピアノリサイタル|齋藤俊夫
2017年10月1日 すみだトリフォニー小ホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 三浦興一/写真提供:すみだトリフォニーホール
<演奏>
ピアノ:セドリック・ティベルギアン
<曲目>
フランツ・リスト
『調性のないバガテル』
『メフィスト・ワルツ第4番』
『悲しみのゴンドラ』
『死のチャルダッシュ』
『ピアノ・ソナタ ロ短調』
モデスト・ペトロヴィチ・ムソルグスキー
組曲『展覧会の絵』
(アンコール)
モーリス・ラヴェル
『鏡』より『悲しい鳥たち』
ティベルギアンのピアノの美しさについて語るのは難しい。超絶技巧の持ち主ながら、決してその技巧を誇示することはなく(あるいは彼が上手すぎて超絶技巧を難なく弾いてしまうからかもしれないが)、澄んだ音色であるが、透明という形容は似合わない芯の太く密度の濃い音色であるし、過剰な感情表現をすることはないが、しかし全く感情的な所がないかというとそうでもない。一言で言えば完璧なピアニストなのだが、そんな一言で済ませてしまうのはあまりにも言葉足らずである。
まずティベルギアンが椅子に座るなり無造作に手を伸ばして弾き始めた、リスト晩年の、20世紀の無調・表現主義を先取りしたとも言える『調性のないバガテル』の整然とした姿に驚かされた。速いパッセージも一つ一つの音の輪郭がにじんだり乱れたりすることなくはっきりと聴こえてくる。その後のリストの小品3作も、ピアニシモからフォルテシモまで、明るい曲調から沈鬱な曲調、そして激烈な曲調まで、決してロマン派作品の演奏にありがちな厚塗りの色彩にならない明晰な演奏であった。
そして前半の大作、リストのピアノ・ソナタロ短調もまた非凡。ティベルギアンは演奏しながらグールドのように唸り声に似た声を漏らし、そこに彼の感情がこめられているのは明らかなのだが、決して音楽の「鳴り響きつつ動く形式」がその感情によって歪められることがない。リストの音楽の物語的構造が実に論理的に再現される。また高度な技巧を要する部分も、それが完璧に弾きこなされるがゆえに、技巧を聴くのではなく音楽そのものを聴くことができる。ロマン派的なメロディーに陶酔することも、感情に耽溺することもなく、音楽という抽象的構築物の、そしてピアノの音色(それはティベルギアンの音色でもある)の美しさそのものが響いてきた。約30分、全く冗長に感じることがなかった。
後半の『展覧会の絵』もまた無造作な仕草で弾き始められたのだが、冒頭のプロムナードの主題をフォルテシモで大見得切るように提示するのではなく、まことさりげなく、あっさりと弾いたのがまずティベルギアンの個性であろう。
しかし、それに続く組曲の各曲は実に個性豊か。ダイナミクスがはっきりと弾き分けられた劇的な「小人」、左手の反復音型に乗って陰鬱な雰囲気をたたえた「古城」、音色・音量の細やかな弾き分けが魅惑的な「テュイルリー」「卵の殻をつけたひなどりの踊り」、巨大な音の岩がぶつかってくるかのような「ブィドロ」「リモージュの市場」「バーバ・ヤガー」、ロシア的アイロニーに満ちた「ザムエル・ゴルデンベルクとシュムイレ」、音の減衰を把握しきった「カタコンブ」、濃い靄の中に迷い込んだかのような「死者たちとともに死者の言葉で」、各曲それぞれの音楽的イメージが明瞭に描かれていた。
そして最後の「キエフの大門」は、冒頭のプロムナードと同様に穏やかに始められるのだが、そこから徐々に高揚していき、壮大なフィナーレを迎える。だが、ただ単に鍵盤を強打していただけではない。ピアノの響き、自分の響きがどういうものか、どのような音楽を今構築しているのかを完璧に自覚し、音楽の構造と人間の感覚を見事にシンクロさせたがゆえの、本物の音楽でしか味わえない感動。ブラボー!このような天才と出会えたことを心から喜びたい。