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スウェーデン放送合唱団|齋藤俊夫

スウェーデン放送合唱団

2017年9月14日 東京オペラシティコンサートホール
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<演奏>
指揮:ペーター・ダイクストラ
スウェーデン放送合唱団

<曲目>
アルヴォ・ペルト:『勝利の後』
スヴェン=ダヴィッド・サンドストレム:『新しい天と新しい地』
クシシュトフ・ペンデレツキ:『ベネディクトゥス』
クシシュトフ・ペンデレツキ:『アニュス・デイ』
ダーヴィド・ヴィカンデル:『すずらんの王様』
アルフレード・シュニトケ:『無伴奏合唱のための協奏曲』
(アンコール)
武満徹編曲:日本古謡『さくら』
アルヴェーン編曲:スウェーデン民謡『そして乙女は輪になって踊る』
W・A・モーツァルト:『アヴェ・ヴェルム・コルプス』

 

合唱の盛んな北欧やバルト三国の中でもトップクラスの実力を持つというスウェーデン放送合唱団が、前半に北欧・東欧の現代合唱小品を並べ、後半にシュニトケの大曲を歌うと聞いて大いに期待して足を運んだ。

まず、西方教会における最初期の聖歌作者、聖アンブロジウスを記念して書かれたペルト『勝利の後』、歌詞は教会音楽に関するロシアの古書の、アンブロジウスとアウグスティヌスが聖歌『テ・デウム』を歌う場面から編まれている。
歌詞が場面の説明である前半部分は、ルネサンス期の世俗歌曲のような明るく軽やかな歌であり、アンブロジウスとアウグスティヌスが聖歌を歌う場面に入ると一転して宗教的で静謐なアンティフォナが歌われる。最弱音から次第に高まっていき、この場面の最後の「われ望みは汝、主に拠り、常しえに空しからまじ」で頂点に至り、直後の「アメン」で静謐の中に消え行く。そしてまた世俗歌曲的な説明の歌詞が軽やかに歌われ、終曲。喜びに満ちた歌であった。

サンドストレム『新しい天と新しい地』は伝統的な和声では不協和音に当たる和音がとても美しい澄んだ歌声として響く。最弱音の歌声のなんと神秘的なことか。だが、後半に入って低音部が呻くような声を発し続けるなど、次第に緊張感が増し、不穏な気配が漂ってくる。それでも「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」とフォルテシモの協和音が輝くが、しかしその後で喉を絞るような、もはや歌声とは言えないような声が長く発せられて終わる。神秘的だが、宗教的恐怖とでも言える感覚も味わわされた。

ペンデレツキ2作品、『ベネディクトゥス』は中世からルネサンス期の厳格な対位法に基づく宗教歌曲。『アニュス・デイ』は伝統的な協和音による歌に始まるが、やがて不協和音と半音階的進行が悲痛な歌声で訴えかけてきて、最後には多数(プログラム・ノーツによると20声部)に分割された声部が不協和音を絶叫する。そして慰めるかのような、祈るような穏やかな歌声で締めくくられる。ペンデレツキが前衛的な書法から離れてからの時期の2作品だが、決して音楽的に衰えた所は感じられない、現代にふさわしい宗教音楽であった。

ヴィカンデルは1884~1955年のスウェーデンの作曲家。今回の演奏会では例外的に現代作品でも宗教音楽でもなかったが、后を失ったすずらん王の悲しみが美しくも寂しく歌われるのが実に心に染み入った。スウェーデンの主要な合唱レパートリーとのことだが、確かに素晴らしい作品であった。

そしてシュニトケ『無伴奏合唱のための協奏曲』は中世アルメニア詩人・神学者グリゴル・ナレカツィの宗教詩「悲歌の書」をテクストとした全4楽章の作品。
まず力強い序奏の歌声で倍音が会場に満ちるのに圧倒された。第1楽章は同音型の反復が満ち干を繰り返し、厳粛な重々しい雰囲気で音楽が進む。反復音型の波の上にソプラノのソロが最高音域で旋律を歌うのが強い印象を与える。そして楽章最後に創造主への賛美の長3和音が輝く。
第2楽章は狭い音域だがいったい声部がいくつあるんだと思わせる極めて複雑な書法で書かれた詩人の嘆きの歌。第1楽章と同じく反復の技法によって不協和音による沈鬱な響きが堆積していき、女声がディミヌエンドしていって消え入るように終わる。
第3楽章は第1、2楽章よりさらに複雑な書法で書かれた贖罪の歌。半音階的旋律と不協和音による苦しみに満ちた序盤に始まり、長調らしき優しい楽節に移る。だがまた半音階と不協和音による楽節に戻り、主への贖罪を求める。ここで長3和音での救いが得られたのかと思うとまた苦しみに返り、強烈なフォルテシモが叫ばれる。このように苦しみと救いを何度も行き来するが、最後に「汝の神聖な慈悲に霊感を受けたわたしの歌によって鎮めたまえ」と高らかに歓喜の歌声が響き渡る。
第4楽章では祈りとしての詩作の喜びと主への感謝が安らかに歌い上げられる。最後に透き通るような「アーメン」が天へと昇華され、全曲が終えられた。

主たる神への賛美、人間としての嘆きと贖罪、信仰の喜び、そして祈りと救い、宗教音楽の全てがここにあった。現代合唱技術の粋を集めて、なお「美しい」と心から感じられる素晴らしい合唱であった。