国際作曲委嘱シリーズNo.40〈ゲオルク・フリードリヒ・ハース〉【室内楽】|片桐文子
サントリー芸術財団 サマーフェスティバル2017
サントリーホール国際作曲委嘱シリーズNo.40(監修:細川俊夫)
テーマ作曲家〈ゲオルク・フリードリヒ・ハース〉【室内楽】
2017年9月11日 サントリーホール ブルーローズ
Reviwed by 片桐文子(Fumiko Katagiri)
Photos by 林喜代種 ( Kiyotane Hayashi)
<曲目・演奏>
ゲオルク・フリードリヒ・ハース:
光へ[永野英樹pf、辺見康孝vn、多井智紀vc]
墓 モーツァルトKV616aによる[永野英樹pf、辺見康孝vn、多井智紀vc]
弦楽四重奏曲第2番[辺見康孝vn、亀井庸州vn、安田貴裕vla、多井智紀vc]
**休憩**
地球の終わりに[ミランダ・クックソンvn]
ひとつから三つを ジョスカン・デ・プレによる[杉山洋一cond、永野英樹pf、辺見康孝vn、多井智紀vc、若林かをりfl、上田希cl、神田佳子perc]
サントリーホール恒例のサマーフェス、今年のテーマ作曲家はハース。その室内楽作品を集めた公演を聴いた。編成は、ピアノ・トリオが2曲、弦楽四重奏、ヴァイオリン・ソロ、そして弦とピアノにパーカッションやフルートなどを加えたアンサンブルが1曲ずつ。演奏至難の曲ばかりだが、不思議な美しさと調和が心に残る。細部まで繊細に作り込まれているのに、神経質でなく、閉塞感もなく、まるで自然の光と風にゆったりと身を任せたような幸福な感覚が残った。
ハースは1953年、オーストリアのグラーツ生まれ。ウィーン音楽大学でフリードリヒ・ツェルハ(ベルクの未完のオペラ『ルル』を補筆・完成させた作曲家として知られる)に学び、1980~90年代にかけて、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加、IRCAM(フランス国立音響研究所)で学ぶ。いわゆる「スペクトル楽派」に分類される作曲家。現在はコロンビア大学で作曲を教え、ニューヨークを拠点にしている。
微分音、倍音を魅力的に使うのはハースの特色とも言え、今宵のプログラムでもそれは明らか。ここまで多種多様な使い方ができるものかと感嘆した。また、過去の優れた楽曲を取り上げ、換骨奪胎して自分の音楽へ鮮やかに変容させていく作品も初期の頃から発表していて、ここではその2つ(モーツァルトとジョスカン・デ・プレ)を聴くことができた。
冒頭2曲は日本初演、いずれもピアノ、ヴァイオリン、チェロのトリオで。
『光へ』は、さながら光の乱反射のごとく、3つのパートがそれぞれ拍のカウントも、奏法も作曲技法も異なる。しかしそれが不思議な調和を生み出している。後半、ピアノが和音の連打で上りつめたあとチェロのみが残るあたり、忘れがたい魅力。
合間に作曲家自身のトークがあり、2曲目の『墓』で取り上げたモーツァルトのKV616aを、「断片ではあるがモーツァルトの作品中最も美しい」と語っていた。確かに、そこかしこに浮かんでは消えていくモーツァルトの旋律、その美しさは比類ない。本来はグラスハーモニカのための作品で、チェロの多井智紀はその音色を意識した演奏をしている、それは演奏者独自の工夫です、とハースが紹介していた。確かに、グラスハーモニカの、わずかに軋むような金属的な響きを彷彿とさせるチェロ。
弦楽四重奏曲第2番は、演奏時間約20分の大曲。長いグリッサンド、繰り返される同音連打、突然くさびのように打ち込まれるドライな音、緊張感あふれる重音・微分音。こう書くといかにも現代音楽の無機質な音響を想起させるが、しかし聴いているうちに、自然界に満ちている音響、リズム、時間の流れはこういうものではないかと思えてくる。なぜか心が広やかに、自由になってくるのだ。風の揺らぎ、そよぐ木の葉、陽光のきらめき。そしてある時ふと思わされるのだ。これは人間の内面の動きそのものではないか、と。
クックソンのヴァイオリン・ソロ『地球の終わりに』。圧巻の演奏。書かれた音楽に忠実に、それ以上でも以下でもない、しかしまぎれもなくクックソン自身が語りかけてくる。温かな、柔らかい音。時に激しく打ちつける音があっても、決して叩きつけず、耳に痛い音などあり得ない。弾き終わってのち静かに湧き上がった喝采には、言葉にならない賛嘆の念が満ちていた。ただ、終盤、強音で激しくたたみかける部分、これは作品そのものに対する感想だが、同じような音型の繰り返しが長い。次の『ひとつから三つを』でも同じ感想を抱いたが、この執拗さは何を表現しているのか、
最後は、ジョスカン・デ・プレのミサ『ロム・アルメー(いくさ人)』の「アニュス・デイⅡ」を下敷きにした作品。ベテランの永野英樹のピアノを支えとした、若い奏者たちのアンサンブル。クックソンの名演のあとでは不利。どうしても、奏者の若さと、作品に向き合ってきた時間・経験の浅さを感じさせられてしまう。演奏前のトークがいささか長すぎて集中が途切れてしまったのも影響したかもしれない(やはり、あれだけ長く、2度にわたってトークをはさむならば、専門の通訳が欲しかったところ。作曲技法や奏法に関する用語に対応できる通訳を探すのは難しいとは思うが。ただ、曲がどのように作られているか、作曲者自身の解説はたいへん貴重で面白かった)。とはいえ作品の面白さは十分に伝わってきて、ハースへの興味がさらにかきたてられた。貴重な一夜だった。